〈吉岡実〉人と作品(小林一郎 編)

最終更新日 2020年12月31日

吉岡実の著書や編纂書(所蔵本を中心に、一部吉岡家蔵本を含む)
吉岡実の著書や編纂書(所蔵本を中心に、一部吉岡家蔵本を含む)


小引
このページでは、吉岡実の人物と作品について端的にまとめた資料を引用・紹介させていただいた(吉岡実逝去時の各紙の訃報は、陽子夫人から借覧した切り抜きに限って採録し、若干難のある記述――例えば「「ユリイカ」誌に発表した「僧侶」で第九回H氏賞を受賞」は正しくは「詩集『僧侶』で第九回H氏賞を受賞」である――も原文のママとした)。引用した辞典・事典、著者略歴等における人名や書名、年代の誤記・誤植は事実と照らして訂正したが、とくに断らなかった。各文章末尾の( )内は執筆者名。私が書いた文はふたつあって、2000年のものは《広辞苑》(岩波書店)のパスティシュであり、1999年の「最も短い略歴」は《「死児」という絵〔増補版〕》(筑摩書房、1988)の記載の模倣である。おしまいに《〈吉岡実〉人と作品》の編者自身の「最も短い略歴」を付した。

(初稿 2002年11月、改稿 2009年10月、修正 2017年11月)


目次

●2020年代

吉岡実(2020、臼田捷治、《〈美しい本〉の文化誌――装幀百十年の系譜》)

吉岡実(2020、〔高橋順子〕、《大岡信『折々のうた』選 詩と歌謡〔岩波新書〕》)

●2010年代

吉岡実(2017、無署名、《大人になるまでに読みたい15歳の詩Eわらう》)

吉岡実(2017、〔尾崎真理子〕、《詩人なんて呼ばれて》)

吉岡実(2015、無署名、《戦後詩歌俳句人名事典》)

吉岡実(2015、大塚英良、《文学者掃苔録図書館――作家・詩人たち二五〇名のお墓めぐり》)

吉岡実(2015、西原大輔、《日本名詩選3――[昭和戦後篇]1946-1987》)

吉岡実(2015、臼田捷治、《書影の森――筑摩書房の装幀 1940-2014》)

吉岡実:筑摩書房(2014、中村鐵太郎、《アイデア idea》368号〈特集・日本オルタナ精神譜 1970-1994 否定形のブックデザイン〉)

吉岡実(2012、無署名、《「現代物故者事典」総索引(昭和元年〜平成23年)U学術・文芸・芸術篇》)

●2000年代

吉岡実(2009、無署名、《日本幻想作家事典》)

吉岡実(2008、澤正宏、《現代詩大事典》)

吉岡実(2007、無署名、《作家の別腹――文豪の愛した東京・あの味》)

吉岡実(2007、無署名、《詩の風景・詩人の肖像》)

吉岡実(2007、〔高橋順子〕、《新 折々のうた 総索引〔岩波新書〕》)

吉岡実(2007、高橋順子、《日本の現代詩101》)

吉岡実(2007、巖谷國士、《澁澤龍彦 幻想美術館》)

吉岡実(2007、無署名、《詩をよむ歓び》)

吉岡実(2006、無署名、《キネマの文學誌》)

Minoru Yoshioka〔英語〕(2006、無署名、[Five] Factorial)

吉岡実(2006、無署名、《戦後代表詩選――鮎川信夫から飯島耕一》)

吉岡実(2006、無署名、《吉岡実散文抄――詩神が住まう場所》)

吉岡実(2005、瀬尾育生、《日本文芸史――表現の流れ〔第8巻・現代U〕》)

吉岡実(2005、無署名、《伝記・評伝 全情報 2000-2004 日本・東洋編 付・総索引 1945-2004》)

吉岡実(2004、原田広美、《舞踏(BUTOH)大全―― 暗黒と光の王国》)

吉岡実(2004、無署名、《20世紀日本人名事典そ〜わ》)

吉岡実(2004、無署名、《座談会 昭和文学史〔第6巻〕》)

吉岡実(2004、無署名、《礼のかたち――こころには、姿がある。》)

吉岡実〔中国語〕(2003、無署名、《日本当代詩選》)

吉岡実(2003、晒名昇、《古田晁記念館資料集》)

吉岡実(2003、無署名、《新訂増補 人物レファレンス事典/昭和(戦後)・平成編 せ〜わ》)

吉岡実(2003、無署名、《現代日本の詩歌》)

吉岡実(2002、無署名、《言葉の力を贈りたい》)

吉岡実(2002、無署名、《詩歌人名事典 新訂第2版》)

YOSHIOKA Minoru〔フランス語〕(2002、無署名、PO&SIE, No. 100)

吉岡実(2001、無署名、《日本人名大辞典》)

MINORU YOSHIOKA〔イタリア語〕(2000、無署名、《Sei Budda di pietra――Antologia di poesia giapponese contemporanea》)

吉岡実(2000、中原忍冬、《「日本の詩」一〇〇年》)

吉岡実(2000、無署名、《新訂増補 人物レファレンス事典/明治・大正・昭和(戦前)編 す〜わ》)

吉岡実(2000、無署名、《伝記・評伝 全情報 95/99 日本・東洋編》)

●1990年代

吉岡実(1999、小林一郎、〔本ページのための書き下ろし〕)

吉岡実(1999、臼田捷治、《装幀時代》)

吉岡実を送ることば――後日の註(1999、大岡信、《捧げるうた 50篇》)

吉岡実(1999、小林一郎、《吉岡実未刊行散文集》)

吉岡実(1998、無署名、《年譜年表 総索引》)

Minoru Yoshioka〔フランス語〕(1997、Marc Kober、《Pris de Peur, le numero 5 [Poesie d'aujourd'hui au Japon]》)

吉岡実(1997、無署名、《日記書簡集解題目録 T 作家・芸術家》)

吉岡実(1997、高橋順子、《新 折々のうた 3〔岩波新書〕》)

吉岡実(1997、岩井寛、《作家の臨終・墓碑事典》)

吉岡実(1997、無署名、《討議戦後詩――詩のルネッサンスへ》)

吉岡実(1996、大塚美保・高橋智子、《日本名詩集成》)

吉岡実(1996、無署名、《読書案内・作品編 日本のエッセイ8000冊》)

吉岡実(1996、無署名、《特別展「虚空に遊ぶ 俳人 永田耕衣の世界」図録》)

吉岡実(1996、無署名、《うまやはし日記》〔第二刷〕)

吉岡実(1995、無署名、《講談社カラー版 日本語大辞典〔第二版〕》)

吉岡実(1995、無署名、《続・吉岡実詩集》)

吉岡実(1995、無署名、《伝記・評伝 全情報 90/94 日本・東洋編》)

吉岡実(1994、無署名、《作家の周辺》)

僧侶(1994、武藤信雄、《日本現代文学大事典 作品篇》)

静物(1994、武藤信雄、《日本現代文学大事典 作品篇》)

吉岡実(1994、武藤信雄、《日本現代文学大事典 人名・事項篇》)

吉岡実(1993、無署名、《現代物故者事典 1988〜1990》)

吉岡実(1993、桑原啓善、《名詩朗読でつづる日本の詩史》)

吉岡実(1993、無署名、《新文芸読本 澁澤龍彦》)

吉岡実(1993、無署名、《詩歌人名事典》)

吉岡実(1992、〔高橋順子〕、《折々のうた 総索引〔岩波新書〕》)

吉岡実(1992、無署名、《日本の詩歌 全情報 27/90》)

吉岡実(1991、無署名、《日本の詩歌展――詩・短歌・俳句の一〇〇年》会場での展示資料)

吉岡実(1991、石堂藍、《日本幻想作家名鑑》)

吉岡実(1991、無署名、《伝記・評伝 全情報 45/89 日本・東洋編 下 た〜わ》)

吉岡実(1991、無署名、《新潮日本人名辞典》)

吉岡実(1991、無署名、《土方巽展――風のメタモルフォーゼ(変容)》)

吉岡実(1990、入沢康夫、《[現代日本]朝日人物事典》)

吉岡実(1990、無署名、《昭和 二万日の全記録〔第15巻〕――石油危機を超えて 昭和47年〜50年》)

吉岡実(1990、無署名、《昭和 二万日の全記録〔第15巻〕――石油危機を超えて 昭和47年〜50年》)

吉岡実(1990、無署名、《昭和 二万日の全記録〔第15巻〕――石油危機を超えて 昭和47年〜50年》)

吉岡実(1990、無署名、《昭和 二万日の全記録〔第14巻〕――揺れる昭和元禄 昭和43年〜46年》)

吉岡実(1990、無署名、《昭和 二万日の全記録〔第13巻〕――東京オリンピックと新幹線 昭和39年〜42年》)

吉岡実(よしおか・みのる)氏=詩人・装幀家(1990、無署名、《図書新聞》)

実存主義的な詩風 吉岡実氏(よしおか・みのる=詩人)(1990、無署名、《北海道新聞〔夕刊〕》)

吉岡実氏(よしおか・みのる=詩人、元筑摩書房取締役)(1990、無署名、《産経新聞〔夕刊〕》)

実存主義で新詩風 吉岡実氏(よしおか・みのる=詩人)(1990、無署名、《東京新聞〔夕刊〕》)

吉岡実氏(よしおか・みのる=詩人、装丁家)(1990、無署名、《毎日新聞〔夕刊〕》)

超現実詩人 吉岡実氏が死去(1990、無署名、《朝日新聞〔夕刊〕》)

独特の幻視の世界――詩人・吉岡実氏死去(1990、無署名、《読売新聞〔夕刊〕》)

●1980年代

吉岡実(1988、原崎孝、《日本大百科全書 23》)

吉岡実(1988、大岡信、《増補改訂 新潮日本文学辞典》)

吉岡実(1987、無署名、《少年少女日本文学館 8――明治・大正・昭和詩歌選》)

吉岡実(1987、四方田犬彦、《最新流行》)

吉岡実(1987、無署名、《現代人名情報事典――WHO'S WHO IN WORLD TODAY》)

吉岡実〔中国語〕(1987、孫鈿、《日本当代詩選》)

吉岡実(1986、八木忠栄、《現代日本人物事典――20世紀 WHO'S WHO》)

吉岡実(1986、星野徹、《日本現代詩辞典》)

吉岡実(1984、吉岡実、《現代日本執筆者大事典77/82 第四巻(ひ〜わ)》)

吉岡実(1984、高橋順子、《第四 折々のうた〔岩波新書〕》)

吉岡実(1984、無署名、NHK市民大学、《詩の発見》)

吉岡実(1982、千葉宣一、《新版 現代作家辞典》)

吉岡実(1982、無署名、《余白に書く〔別冊〕》)

吉岡実(1981、無署名〔吉岡実もしくは編集委員会〕、《資料・現代の詩》)

●1970年代

吉岡実(1979、無署名、《昭和萬葉集 巻四――昭和十二年〜十四年》)

吉岡実(1979、無署名、《朝日新聞〔夕刊〕》)

吉岡実(1979、深井人詩、《人物書誌索引》)

YOSHIOKA MINORU〔英語〕(1978、無署名、Japanese Literature Today, No. 3)

吉岡実(1977、清水昶、《日本近代文学大事典 第三巻》)

吉岡実(1977、鶴岡善久、《現代人物事典》)

吉岡実(1976、中山文甫、《ALICE IN FLOWERLAND――花の国のアリス》)

吉岡実(1975、無署名、《日本の詩・昭和の詩U》)

人と作品(1975、原崎孝、《日本の詩・昭和の詩U》)

吉岡実(1974、小海永二、《グランド現代百科事典 20 ヨシ―ン》)

吉岡実略歴(1973、無署名、《魚藍〔新装版〕》)

吉岡実(1973、千葉宣一、《現代日本文學大系 93 現代詩集》)

YOSHIOKA MINORU〔英語〕(1972、無署名、《New Writing in Japan》)

吉岡實(1971、小寺謙吉・佐々木嘉朗、《著者別詩書刊行年次書目〔現代日本詩書綜覧 別巻〕》)

吉岡実(1971、無署名、《戦後詩大系 W》)

吉岡実(1970、無署名、《日本読書新聞》)

吉岡実(1970、小海永二、《日本の詩歌 27 現代詩集》)

●1960年代

吉岡実(1969、無署名、《日本詩人全集 34 昭和詩集(二)》)

よしおか・みのる(1969、無署名、《全集・現代文学の発見 第十三巻 言語空間の探検》)

吉岡実(1968、無署名、《読解講座 現代詩の鑑賞4――現代詩U》)

よしおか・みのる(1968、無署名、《全集・現代文学の発見 第九巻 性の追求》)

吉岡実(1968、大岡信、《新潮日本文学小辞典》)

吉岡實(1967、無署名、《現代文学大系67・現代詩集》)

吉岡実(1963、無署名、《現代詩人全集〔第10巻〕戦後U》)

吉岡實(1961、無署名、《日本読書新聞》)

小伝(1960、吉岡実、《現代日本名詩集大成 11》)

●1950年代

時の詩人――H賞をもらつた吉岡実(1959、無署名、《詩学》1959年5月号)

吉岡實(1959、無署名、《アンソロジー抒情詩》)

小林一郎〔一部、英語〕(2002/2006/2012/2019、小林一郎、[Five] Factorial


吉岡 実

(よしおか・みのる、一九一九〜九〇)…現代詩人であるとともに、筑摩書房在籍時に社内装幀の重要な担い手となる。同社の『太宰治全集』、『萩原朔太郎全集』などが代表作。独立後も装幀家としての活躍を続け、「飽きのこない」装幀作法は出版界の範となっている。 (臼田捷治)

《〈美しい本〉の文化誌――装幀百十年の系譜》、Book&Design、2020年4月25日


吉岡 実(一九一九―九〇)

詩人。東京本所生れ。出版社勤務。書籍の装丁家でもあった。特異な幻視の世界を構築した詩集『僧侶』『サフラン摘み』『薬玉』のほか、初期の短歌を集めた歌集『魚藍』がある。 〔高橋順子〕

《大岡信『折々のうた』選 詩と歌謡〔岩波新書〕》、岩波書店、2020年4月17日


吉岡 実(よしおか・みのる)

一九一九(大正8)年、東京市本所区(現・墨田区)生まれ。本所高等小学校を卒業後、本郷の医学出版社・南山堂に奉公。一九四〇(昭和15)年、徴兵、輜重隊(輸送などを受け持つ後方支援部隊)に配属され、満洲各地を転戦。同年、詩歌集『昏睡季節』、翌年、第一詩集『液体』を上梓。戦後は筑摩書房に勤務。詩集に『静物』(一九五五〈昭和30〉年)、『僧侶』(一九五八〈昭和33〉年、H氏賞)、『紡錘形』(一九六二〈昭和37〉年)、『神秘的な時代の詩』(一九七四〈昭和49〉年)、『サフラン摘み』(一九七六〈昭和51〉年、高見順賞)、『薬玉』(一九八三〈昭和58〉年、歴程賞)など。一九九〇(平成2)年、71歳で死去。 (無署名)

《大人になるまでに読みたい15歳の詩Eわらう》、ゆまに書房、2017年12月25日


吉岡実

(一九一九〜一九九〇年) 東京出身。本所高等小学校を卒業後、医学出版社で働きながら向島商業学校に通うが召集され、中国大陸を転戦する。五一年から筑摩書房に勤務。詩集『静物』で注目を浴び、『僧侶』(H氏賞)で戦後を代表するモダニズム詩人として評価を確立する。五九年、飯島耕一らと「鰐」を創刊。『サフラン摘み』(七六年)で高見順賞、『薬玉』で藤村記念歴程賞を受賞。書籍の装幀でも仕事を残した。(〔尾崎真理子〕)

《詩人なんて呼ばれて》、新潮社、2017年10月30日


吉岡 実 よしおか・みのる 詩人

大正8年(1919年)4月15日〜平成2年(1990年)5月31日 [生]東京都墨田区本所 [学]本所高小〔昭和9年〕卒 [歴]高等小学校卒業後、彫刻家を夢みたが果たさず医書出版南山堂に勤務し、その傍ら夜学に通う。昭和15年召集を受け、詩歌集「昏睡季節」を刊行して応召し、20年に復員。30年「静物」を刊行。34年「僧侶」でH氏賞を受賞、また清岡卓行らと「鰐」を創刊(37年まで)。51年「サフラン摘み」で高見順賞を、59年「薬玉」で藤村記念歴程賞を受賞。戦後は筑摩書房に勤め、本の装幀家としても有名である。他の著書に「うまやはし日記」「土方巽頌」などがある。 [賞]H氏賞(第9回)〔昭和34年〕「僧侶」,高見順賞(第7回)〔昭和51年〕「サフラン摘み」,歴程賞(第22回)〔昭和59年〕「薬玉」 (無署名)

《戦後詩歌俳句人名事典》、日外アソシエーツ、2015年10月25日


吉岡実 よしおか・みのる [一九一九―一九九〇]

◆本名=吉岡実(よしおか・みのる)◆大正八年四月一五日―平成二年五月三一日◆享年七一歳(永康院徳相実道居士)◆東京都豊島区巣鴨三丁目二一―二一・真性寺(真言宗)◆詩人。東京府生。向島商業学校(夜学)中退。昭和一五年第一詩集『昏睡季節』、翌年『液体』を刊行。三〇年『静物』で詩壇に登場、続く『僧侶』はH氏賞を受賞。大反響を呼んだ。『サフラン摘み』で高見順賞。ほかに『静かな家』『神秘的な時代の詩』『薬玉』などがある。(大塚英良)

《文学者掃苔録図書館――作家・詩人たち二五〇名のお墓めぐり》、原書房、2015年7月30日


吉岡実(一九一九〜一九九〇)よしおか・みのる

東京・本所[ほんじょ]生まれ。本所高等小学校卒。父は学校の用務員。出版社に小僧として奉公しつつ短歌を作った。召集されて満洲出 征、帰国後は本格的に詩を書き始める。一九七八年まで筑摩書房に勤務した。詩集に『液体』『静物』『僧侶』(H氏賞)『サフラン摘み』など。
下町の長屋で育ち、家には一冊の本もなかったが、叔母の家や図書館で本を読む楽しさを知った。作風は難解。不吉でグロテスクな素材や、偏執的生理的なイ メージを多用した。 (西原大輔)

《日本名詩選3――[昭和戦後篇]1946-1987》、 笹間書院、2015年6月25日


吉岡実(よしおか・みのる)

一九一九年東京都生まれ。太平洋戦争に出征を経て復員。神田の小さな出版社に勤めていたとき、恩地孝四郎宅に装幀の謝礼を持参したこと を機に装幀の研究に励むとともに詩作に取り組み始め、現代詩の旗手として鮮烈な活動を継続する。一九五一年に筑摩書房入社。主に広告部で広告制作・広報業 務に就く。三段八割新聞広告の名手でもあった。また同社刊行書の装幀を手がけ、各種全集を中心にその基調音を揺るぎないものにする。外回りの印刷用紙選び においても細心の心配りを見せた。他社からの依頼も増え、詩人による装幀の系譜に貴重な軌跡をしるした。七八年の筑摩の事実上の倒産にともない二十七年間 勤めた同社を退職。一九九〇年没。 (臼田捷治)

《書影の森――筑摩書房の装幀 1940-2014》、みずのわ出版、2015年5月3日


吉岡実:筑摩書房

YOSHIOKA MINORU1919-90
関東大震災を溯る4年前の大正8年、東京市本所区業平町、現在のスカイツリーの南に生まれる。世界ではなく「わが本所」を書くことを終の希みとした詩人の生誕。姉と兄2人(次兄は早逝)、4人兄弟の末子。「イモ屋で尻をカマであたためながら、ガキ大将として暮した」。芝居・活動好きの父母に連れられて浅草の劇場や近場のキネマに遊ぶ。父は明徳尋常小学校の小使い、母は目に一丁字もなかったといい、家には本がなかったが、友人宅や学校図書館で《小学生全集》《講談全集》、乱歩、史郎、不忘、綺堂など耽読。震災後、東駒形のち厩橋の四軒長屋へ移る。本所高等小学校を出て15歳で本郷の医書出版南山堂に住み込みの「奉公」に入り、4年務める。荷車で本を運びゲラを配る毎日。帝大医学部に通ううち、のちに虎の門病院設立に参画し院長を務めた冲中重雄に会い、「或る時、その人が試験管やフラスコなどの器がいっぱい置かれた、洗場へ悠然と小便するのを見て、私は驚いた」。文学、それも新傾向の表現への関心。『桐の花』の白秋に傾倒し作歌を試み、作句にも手を染める。日野草城の『旗艦』で富沢赤黄男、片山桃史らを読み「新しい詩の世界」の展開を悟る。現代俳句への強い関心は生涯続くことになるが、同じ頃ピカソの訳詩に出会い決定的に目をひらかれ、北園克衛、夭折のモダニスト左川ちか、リルケの詩集や『ロダン』などへ転進する。「乾燥した事物」「造形的なものへの転移」「未知の感覚とイマージュを呼び入れる」器、職人の手業としての詩。後年の詩人は早くも礎を固めていた。1940年、臨時召集に際して詩歌集『昏睡季節』を版行。翌年6月、遺書を期して詩集『液体』原稿を託し応召、満洲へ。「残酷で滑稽な軍隊生活」。済州島で敗戦を迎える。輜重兵として馬を扱う経験はのちに名篇「苦力」を生んだ。
 戦後のいわば公生活について、詩人の畏怖はただ自身へ向けてと、そして西脇順三郎、永田耕衣、土方巽の三つの名に関わるというに尽きる。〔……〕 (中村鐵太郎)

《アイデア idea》368号〈特集・日本オルタナ精神譜 1970-1994 否定形のブックデザイン〉、誠文堂新光社、2014年12月10日


吉岡 実 よしおか・みのる

大正8年4月15日〜平成2年5月31日 詩人.装幀家 (無署名)

《「現代物故者事典」総索引(昭和元年〜平成23年)U学術・文芸・芸術篇》、日外アソシエーツ、2012年11月25日


吉岡実

(よしおか・みのる 一九一九〜九〇)詩人。東京本所生。少年時代より短歌、俳句、詩に親しみ、自らも創作。詩歌集『昏睡季節』(四〇・私家版)を制作。四一年の応召に際し、北園克衛の影響が見られる詩集『液体』(私家版)を出す。戦後、筑摩書房勤務の傍ら詩作を続け、『静物』(五五・私家版)を刊行し、認められる。エロスとタナトスの香気漂う幻想的世界を描いて秀抜な『僧侶』(五八・書肆ユリイカ)によってH氏賞受賞。連作〔ママ〕「僧侶」「死児」に代表される特異なヴィジョン、残酷さと諧謔味の入り交じった詩風は高く評価されている。諸々の生と死を見据え、幻想的ヴィジョンと思想とを紡ぎ出した『サフラン摘み』(七六・青土社)で高見順賞受賞。母を中心とする家族のイメージが冥界を思わせる世界の中で語られる『薬玉』(八三・書肆山田)で歴程賞受賞。現代詩人の中でも最も幻想的な詩人の一人である。また句作もし、〈あけびの実たずさえゆくやわがむくろ〉などの句がある。エッセー集に『「死児」という絵』(八〇・思潮社)『土方巽頌』(八七・筑摩書房)ほか。装幀家としても知られる。
▼『吉岡実全詩集』(九六・筑摩書房) (無署名)

《日本幻想作家事典》、国書刊行会、2009年10月15日


吉岡実〈よしおか・みのる〉

一九一九・四・一五〜一九九〇・五・三一
《略歴》東京市本所区中ノ郷業平[なりひら]町(現、墨田区)生まれ。父紋太郎、母いとの三男。一九三二(昭7)年、本所高等小学校入学。関東大震災後に、住んでいた東駒形から厩[うまや]橋の四軒長屋へ転居、文学への親近はこの長屋の二階に住んでいた佐藤樹光(のちの書家、春陵)の影響が決定的であった。三四年、小学校を卒業し本郷の医書出版南山堂に小僧として奉公、短歌を作り始める。三八年、南山堂退社。春陵の書塾を手伝う。春陵がくれた北原白秋『花樫』は五十余年の愛蔵書となる。俳句も作りだす。翌年、徴兵検査を受ける。四〇年、西村書店入社。木下夕爾との二年間の文通始まる。斎藤史『魚歌』を愛読する。一月半の臨時召集で目黒大橋の輜重[しちょう]隊に入る。一〇月、初めての詩歌集『昏睡季節』(自費出版)刊。翌年、召集令状を受け麻布三連隊(陸軍歩兵部隊第三連隊)に入隊、『万葉集』、リルケ『ロダン』、ゲーテ『親和力』等を携え満洲に出征する。一二月、遺書として兄と友人に託した第一詩集『液体』(草蝉舎)が届く。/四五年、半年前に渡った済州島で敗戦を迎え復員する。満洲の部隊を転々としたが大半は輜重兵として馬と過ごす兵役生活であった。四九年、「卵」を主題とした表現を中心に、本格的な詩作を決意する。五一年に筑摩書房に入社、七八年の依願退職まで勤務する。五五年八月、最後の詩集にしようと『静物』(私家版)を刊行、飯島耕一に認められ、翌年に「今日の会」に誘われて入会する。五八年一一月、詩集『僧侶』(〈第九回H氏賞〉書肆ユリイカ)を刊行し詩壇に衝撃を与える。五九年八月に、超現実的な詩の特色を持った同人詩誌「鰐[わに]」に参加する。単行詩集八冊を刊行し、戦後の最も代表的な詩人の一人となった。 (澤正宏)

《現代詩大事典》、三省堂、2008年2月20日


吉岡実(よしおかみのる)

詩人。一九一九―一九九〇年。東京都本所生まれ。第二次世界大戦中は中国へ出征、韓国の済州島で終戦を迎えた。戦後は筑摩書房に勤務しながら作品を発表。詩作だけでなく本の装丁も手がけた。代表作に『僧侶』『サフラン摘み』など。 (無署名)

《作家の別腹――文豪の愛した東京・あの味》、光文社、2007年11月20日


吉岡実

一九一九―一九九〇年。東京本所生れ。主な詩集に『静物』一九五五年、『僧侶』一九五八年、『サフラン摘み』一九七六年、『薬玉』一九八三年、散文集に『「死児」という絵』一九八〇年、『うまやはし日記』一九九〇年その他。『吉岡実全詩集』筑摩書房、一九九六年。『昏睡季節』に先立つ作を含む詩歌集『赤鴉』二〇〇二年、弧木洞、句集『奴草』二〇〇三年、書肆山田、編書に『耕衣百句』コーベブックス、一九七六年など。 (無署名)

《詩の風景・詩人の肖像》、書肆山田、2007年11月10日


吉岡実

(1919-90)詩人。東京本所生れ。出版社勤務。書籍の装丁家でもあった。特異な幻視の世界を構築した詩集『僧侶』『サフラン摘み』『薬玉』のほか、初期の短歌を集めた歌集『魚藍』がある。 (〔高橋順子〕)

《新 折々のうた 総索引〔岩波新書〕》、岩波書店、2007年10月19日


吉岡実(よしおか・みのる)

一九一九年(大正八)四月十五日、東京生まれ。本所高小卒。戦前は南山堂、戦後は筑摩書房に勤務、装丁も手がける。かたわら詩作を続け、五八年詩集『僧侶』でH氏賞、七六年『サフラン摘み』で高見順賞、八四年『薬玉』で歴程賞受賞。「ユリイカ」に発表した詩は若い世代に大きな影響を与えた。一九九〇年五月三十一日死去。
収録作品――「タコ」 (高橋順子)

《日本の現代詩101》、新書館、2007年5月5日


吉岡実 よしおかみのる

1919年〜1990年 詩人。東京生まれ。少年期には北原白秋や佐藤春夫を好み、俳句にも惹かれていたが、やがて孤独な思索から幻想的・物質的イメージにみちた硬質な詩的言語を紡ぎだし、『僧侶』で戦後の詩壇に衝撃を与えた。筑摩書房の名編集者でもあり、澁澤龍彦、土方巽とはとくに親密に交友、下戸ながらしばしば酒席に列する。澁澤龍彦には「吉岡実の断章」(『人形愛序説』)などがある。 (巖谷國士)

《澁澤龍彦 幻想美術館》、平凡社、2007年4月12日


吉岡 実(よしおか・みのる)

(一九一九〜一九九〇)東京都出身。戦後、清岡卓行らと「鰐」創刊。詩集『僧侶』(一九五八)、『サフラン摘み』(一九七六)など。●「静物」出典・『吉岡実詩集』思潮社、一九六七年。 (無署名)

《詩をよむ歓び》、麗澤大学出版会、2007年2月17日


吉岡 実 よしおか・みのる

1919年、東京本所生まれ。詩人・装丁家。詩集に「僧侶」「サフラン摘み」など。1990年没。「吉岡実全詩集」が筑摩書房より刊行。(無署名)

《キネマの文學誌》、深夜叢書社、2006年12月28日


Minoru Yoshioka

吉岡実(1919-1990) published his first book of poems, 『昏睡季節』 A Season of Stupor in 1940. After the publication of 『静物』 Still Life, his first postwar publication, he quickly became a major figure in the avant-garde and is now considered one of Japan's most important postwar poets. His influence reached into other genres through his close friendships with major figures in contemporary Japanese painting and dance, including the Butoh pioneer Tatsumi Hjikata. Kusudama (Shoshi Yamada, 1983) may be Yoshioka's most important work, and is representative of his later experiments with quotation and collage. (無署名)

[Five] Factorial , summer 2006


吉岡 実 よしおか みのる

一九一九年東京生。四一年満州への応召。戦後、詩集『静物』『僧侶』刊行。五九年、飯島耕一らと「鰐」創刊。超現実的なリアリズムにまで高められた文体で、戦後最高の詩人の一人に数えられる。主な詩集『液体』『静かな家』『サフラン摘み』『薬玉』、散文集『「死児」という絵』など。書籍の装幀も多く手がけた。九〇年歿。九六年『吉岡実全詩集』刊行。 (無署名)

《戦後代表詩選――鮎川信夫から飯島耕一》、思潮社、2006年6月30日


吉岡実 よしおか・みのる

1919年東京生まれ。41年満州への応召に際し詩集『液体』上梓、終戦まで軍隊生活を送る。戦後に入り、55年『静物』刊行、58年『僧侶』でH氏賞受賞。59年飯島耕一らと「鰐」創刊。戦後最高の詩人の一人に数え上げられる。主著に、詩集『サフラン摘み』『薬玉』『ムーンドロップ』、随想集『「死児」という絵』、評伝『土方巽頌』など。書籍の装幀も多く手がけた。90年没。 (無署名)

《吉岡実散文抄――詩神が住まう場所》、思潮社、2006年3月1日 


吉岡実(大正八〜平成二)

戦前、モダニズム詩の影響下にすでに詩集『液体』をもっていた吉岡実[よしおかみのる]は、戦後、詩の脱理念化をもっとも徹底しておしすすめ、独特の存在感覚の上に詩の世界を築いた。詩集『静物』にくりかえし登場する〈卵〉、『僧侶』に登場する〈死児〉は、そのまま吉岡の詩の存在を象徴している。無機質によって現実から遮蔽され、その内部で完結している濃密な肉体性。作品のなかで、言葉は彫刻や絵画に比べうるような緊張した造形性をしめす。『紡錘形』『静かな家』では日常生活が描かれるが、論理的な思考を排した詩の言葉が、さまざまな対象をもっぱら空間的に構成する。徹底して造型的な詩法によって吉岡は、いかなる理念性、情緒性も媒介としない存在感覚と、原初的な思考を詩の中にとりだすことに成功した。 (瀬尾育生)

《日本文芸史――表現の流れ〔第8巻・現代U〕》、河出書房新社、2005年11月30日


吉岡 実〔1919〜1990〕 よしおか・みのる

◇吉岡実アラベスク 秋元幸人著 書肆山田 2002.5 488p 20cm 3800円 (I〔=ISBN〕)4-87995-543-4 (N〔=NDC〕)911.52 (無署名)

《伝記・評伝 全情報 2000-2004 日本・東洋編 付・総索引 1945-2004》、日外アソシエーツ、2005年7月25日


吉岡実(一九一九〜一九九〇)

詩人。幻視した世界をそのまま言葉に写すかの、強烈なイメージと詩語で知られる。詩集に『僧侶』『静かな家』『サフラン摘み』など。土方〔巽〕に求められて書いた詩に「闇夜が好き/母が好き/つとに死んだカンガルーの/吊り袋のなかをのぞけ/テル・テルの子供/ニッポンの死装束が白ならばなおさら/青い柱を負って歩き給え……」、で始まる〈青い柱はどこにあるか?〉がある。また『土方巽頌』の著者。 (原田広美)

《舞踏(BUTOH)大全―― 暗黒と光の王国》、現代書館、2004年9月20日


吉岡実 よしおか・みのる

昭和期の詩人、装幀家 〔生年月日〕大正8(1919)年4月 15日 〔没年月日〕平成2(1990)年5月31日 〔出身地〕東京都墨田区本所 〔学歴〕本所高等小学校(昭和9年)卒 〔主な受賞名〕H氏賞(第9回)(昭和34年)「僧侶」、高見順賞(第7回)(昭和51年)「サフラン摘み」、歴程賞(第22回)(昭和59年)「薬玉」 〔経歴〕高等小学校卒業後、彫刻家を夢みたが果たさず医書出版南山堂に勤務し、そのかたわら夜学に通う。昭和15年召集を受け、詩歌集「昏睡季節」を刊行して応召し、20年に復員。30年「静物」を刊行。34年「僧侶」でH氏賞を受賞、また清岡卓行らと「鰐」を創刊(37年まで)。51年「サフラン摘み」で高見順賞を、59年「薬玉」で藤村記念歴程賞を受賞。戦後は筑摩書房に勤め、本の装幀家としても有名である。他の著書に「うまやはし日記」「土方巽頌」などがある。(無署名)

《20世紀日本人名事典そ〜わ》、日外アソシエーツ、2004年7月26日


吉岡実[みのる]

一九一九〜九〇。詩人。東京生。大岡信らと『鰐[わに]』を創刊。『僧侶』でH氏賞。詩集『静物』『サフラン摘み』等。 (無署名)

《座談会 昭和文学史〔第6巻〕》、集英社、2004年2月28日


吉岡 実

よしおかみのる。一九一九〜一九九〇 詩人。書家をめざしたが果たせず、出版社に勤務。一九五八年に『僧侶』でH氏賞、『サフラン摘み』で高見順賞、『薬玉』で藤村記念歴程賞を受賞。死後さらに評価は高まる。(無記名)

《礼のかたち――こころには、姿がある。》、ラトルズ、2004年1月1日


吉岡実(1919-1990)

出生于東京。1941年開始在軍隊生活了5年。詩集有《液体》《静物》《僧侶》《紡錘形》《安静的家》《摘番紅花》等。随感集有《一幅名叫〈死児〉的画》。在俳句、舞踏、美術等方面也頗有造詣。(無記名) 〔簡体字は日本語の漢字に改めた〕 【試訳:東京に生まれる。1941年から5年に及ぶ軍隊生活を送る。詩集に《液体》《静物》《僧侶》《紡錘形》《静かな家》《サフラン摘み》等がある。随想集に《「死児」という絵》。俳句、舞踏、美術等にも造詣が深い。(無記名)】

《日本当代詩選》、作家出版社(北京)、2003年12月


吉岡実

筑摩書房元役員。造本担当。昭和二十六年入社。和田芳恵の女婿。現代詩人として著名。詩集「静物」、「僧侶」(H氏賞)、「紡錘形」、「薬玉」など。ほかに「土方巽頌」(昭62・9)、「『死児』という絵」増補版(筑摩叢書328、昭63・9)、「吉岡実全詩集」(平8・3)。東京生まれ。(一九一九―一九九〇)〔(前略)書名に刊行年月のみを示したものは、すべて筑摩書房刊行の書籍である。〕 (晒名昇)

《古田晁記念館資料集》、古田晁記念館、2003年10月30日


吉岡実 よしおか・みのる

大正8(1919)年4月15日〜平成2(1990)年5月31日 昭和期の詩人。復員後、「静物」を刊行。「僧侶」でH氏賞を受賞、本の装幀家としても有名。 (無署名)

《新訂増補 人物レファレンス事典/昭和(戦後)・平成編 せ〜わ》、日外アソシエーツ、2003年6月25日


吉岡実 1919-1990

東京都生まれ。本所高等小学校卒。第一詩集『液体』(一九四一年)を刊行後、満洲へ出征。戦後、五五年に詩集『静物』で詩界に登場する。『ユリイカ』周辺の詩人たちと識り、「僧侶」、「死児」を同誌に発表。詩集『僧侶』でH氏賞を受ける。独自の現代性をもったその詩法は後続世代の詩人たちにも大きな影響を与えた。他の詩集に『紡錘形』、『静かな家』、『サフラン摘み』(高見順賞)、『薬玉』(歴程賞)などがある。 (無署名)

《現代日本の詩歌》、毎日新聞社、2003年4月30日


吉岡実(一九一九〜一九九〇)

詩人、装幀家。東京都墨田区生まれ。本所高等小学校卒業。医学書の出版社に勤務し夜学に通う。戦後は筑摩書房に勤め、そのかたわら詩作を行なう。本の装幀家としても著名。『静物』『僧侶』『神秘的な時代の詩』『サフラン摘み』『薬玉』『ムーンドロップ』などの詩集、『うまやはし日記』『土方巽頌』などがある。 (無署名)

《言葉の力を贈りたい》、日本放送出版協会、2002年8月30日


吉岡実 よしおか・みのる

詩人 装幀家 〔生年月日〕大正8年4月15日 〔没年月日〕平成2年5月31日 〔出生(出身)地〕 東京都墨田区本所 〔学歴〕本所高等小学校(昭和9年)卒 〔受賞名〕H氏賞(第9回)(昭和34年)「僧侶」、高見順賞(第7回)(昭和51年)「サフラン摘み」、歴程賞(第22回)(昭和59年)「薬玉」 〔経歴〕高等小学校卒業後、彫刻家を夢みたが果たさず医書出版南山堂に勤務し、そのかたわら夜学に通う。昭和15年召集を受け、詩歌集「昏睡季節」を刊行して応召し、20年に復員。30年「静物」を刊行。34年「僧侶」でH氏賞を受賞、また清岡卓行らと「鰐」を創刊(37年まで)。51年「サフラン摘み」で高見順賞を、59年「薬玉」で藤村記念歴程賞を受賞。戦後は筑摩書房に勤め、本の装幀家としても有名である。他の著書に「うまやはし日記」「土方巽頌」などがある。 〔所属団体名〕日本文芸家協会 (無署名)

《詩歌人名事典 新訂第2版》、日外アソシエーツ、2002年7月25日


YOSHIOKA Minoru

Ne a Tokyo le 15 avril 1919. Il commence a travailler a 15 ans dans une masion d'edition d'ouvrages medicaux. Il commence a ecrire des tanka des cet age. En 1937, a 18 ans, il se met a ecrire des haiku. En 1938, il quitte la masion d'edition ou il etait apprenti et cherche a vivre en donnant des lecons de calligraphie. En 1940, il est appele, et prepare un recueil: Konsui Kisetsu (La Saison lethargique) fait de tanka et de poemes en vers libres. Son recrutement est annule en 1940. En 1941, il est de nouveau appele. Il repart en laissant en guise de testament un recueil intitule Ekitai (Fluide). Il fait la guerre entre 1940-1945. Il s'occupe essentiellement de chevaux en Mandchourie. Il revient en 1945. Il est alors engage dans une masion d'edition. Il decide d'abandonner le haiku pour la poesie contemporaine. En 1951, il entre a Chikuma-Shobo, ou il restera toute sa vie. Son premier recueil de poesie ≪ contemporaine ≫ Seibutsu (Natures mortes), vendu a 60 ex. En 1958, il publie Soryo (Moines). En 1959, il se marie avec Wada Yoko. Pour son mariage, il publie un receuil de tanka. Pour la premiere fois, il publie une anthologie personnelle: premiere publication qui n'est pas a compte d'auteur. 1962: Bosuikei (Fusiformes). 1968: Shizukana ie (Maison silencieuse). 1974: Shinpitekinajidaino shi (Poemses d'une epoque mysterieuse). 1976: Safurantsumi (Cueillette de safrans). 1979: Natsuno utage (Le Banquet d'ete). 1980: Poru Kureno shokutaku (La Table de Paul Klee). Premier et dernier recueil de prose: ≪ Shiji ≫ toiu e (Tableau intitule ≪ Enfant mort ≫). 1983: Kusudama. 1988: Mundoroppu (Moondrop). Juste avant de mourir il publie son journal de vingt annees sous le titre: ≪ Journal de Umayahashi ≫. Il meurt en 1990. (無署名)

PO&SIE, No. 100, juin 2002


よしおか-みのる【吉岡実】

(1919-90) 昭和時代の詩人。大正8年4月15日生まれ。昭和16年詩集「液体」をのこして応召。戦後、「静物」で詩壇に登場する。34年H氏賞を受賞した「僧侶[そうりよ]」は現代詩のひとつの到達点とされる。装丁家としても活躍。平成2年5月31日死去。71歳。東京出身。作品に「サフラン摘み」(昭和51年高見順賞)、「薬玉[くすだま]」(59年藤村記念歴程賞)など。 (無署名)

《日本人名大辞典》、講談社、2001年12月6日


MINORU YOSHIOKA

1919-1990
Nato a Tokyo, dopo aver terminato la scuola dell'obbligo frequento il liceo commerciale serale, mentre lavorava presso la ditta Nanzando. Furichiamato alle armi nel 1940 e parti per la Manciuria. Nel dopoguerra si impiego come legatore di libri nella casa editrice Chikuma. Oltre ai libri di poesia Il monaco e La raccolta dello zafferano, in cui ha espresso in modo singolare la sua fantasia, e autore di molte altre pubblicazioni, una delle quali e una raccolta giovanile di Tanka. (無署名)

Sei Budda di pietra――Antologia di poesia giapponese contemporanea, settembre 2000


吉岡 実

一九一九(大正八)年―一九九〇(平成二)年
 東京本所区中ノ郷業平町生まれ。本所高等小学校卒業。厩橋の四軒長屋に移転した時、二階の先住者、盛岡出身の佐藤樹光(書家)の影響で文学に親しむ。高等小学校を卒業後、医書出版南山堂に奉公。夜間商業学校に通わされるが中途退学。白秋、啄木、龍之介等の作品を読み、白秋の『桐の花』を模倣した短歌を作り始める。斎藤史『魚歌』を愛読。短歌、俳句は一九四八年頃まで続く。四一年詩集『液体』編集後満州へ出征。四五年朝鮮済州島で終戦を迎える。輜重兵として大半は馬と過ごし戦うことはなかった。復員後香柏書房に入社。四六年同僚に誘われ「新思潮」に入り翌年詩を発表する。四九年親しい俳句仲間と離れて詩を書いて行きたいと決意。五五年詩集『静物』を刊行。評価なく詩を止めようと思った時、五六年飯島耕一と出会い〈今日の会〉に入る。五八年詩集『僧侶』で第九回H氏賞受賞、七六年『サフラン摘み』で第七回高見順賞受賞、八四年『薬玉』で第二十二回藤村記念歴程賞受賞。ほか八冊の詩集がある。
 〔……〕 (中原忍冬)

《「日本の詩」一〇〇年》、土曜美術社出版販売、2000年8月30日


吉岡実 よしおか・みのる

大正8(1919)年4月15日〜平成2(1990)年5月31日 昭和期の詩人。詩集に「昏睡季節」「液体」など。 (無署名)

《新訂増補 人物レファレンス事典/明治・大正・昭和(戦前)編 す〜わ》、日外アソシエーツ、2000年7月25日


吉岡 実(1919〜1990) よしおか・みのる

◇詩と権力のあいだ 宇野邦一著 現代思潮社 1999.11 254p 19cm 2800円 (i〔=ISBN〕)4-329-01006-2
【内容】思考が螺旋を描くとき。批評は、言語と身体に滲透する見えない権力の形なき振動にじかに接しなければならない。宇野邦一の思考は、ドゥルーズに師事して以来20年、螺旋を描くように言語の権力をめぐる、はるかに深い次元に甦る。
【目次】吉岡実と土方巽 作家論 他者の散文 分裂症とは何か 権力、二つの位相 (無署名)

《伝記・評伝 全情報 95/99 日本・東洋編》、日外アソシエーツ、2000年6月26日


吉岡実(よしおか‐みのる)

詩人。別号、皚寧吉など。東京本所の生まれ。高等小学校卒。医学出版社に奉公。徴兵に際し、詩歌集《昏睡季節》、詩集《液体》刊行。輜重兵として満洲を転戦。戦後、筑摩書房に勤務。特異な幻視力で、堅牢にして柔軟な言語世界を構築した。主な詩集に《僧侶》《サフラン摘み》《薬玉》《吉岡実全詩集》、散文に《「死児」という絵》《土方巽頌》などがある。装丁家としても知られる。(1919〜1990) (小林一郎)

〔本ページのための書き下ろし〕、1999年12月31日


吉岡 実

(よしおか・みのる、一九一九―九〇)
一九一九年東京都生まれ。本所の高等小学校を出て、十五歳で医学書出版の南山堂に奉公。かたわら文学に親しみ、短歌をつくる。四〇年より二度にわたり召集を受け、四一年から満州、朝鮮と従軍。戦後、復員して四五年に神田の小さな出版社に勤める。翌四六年、恩地孝四郎に装幀の謝礼を持参したことを機に装幀の研究に励む。また、このころから詩を本格的に書き始め、以後、現代詩の最前線で鮮烈な詩作活動を展開した。五一年に筑摩書房入社、七八年の事実上の倒産にともない退職するまでの二十七年間、同社に勤務。主に広告・広報業務を担当しながら、五二年から装幀を手がける。『西脇順三郎全集』(七一年)ほかの神経の行き届いた仕事を残して、同社の社内装幀の伝統を揺るぎないものにした。他社からの装幀の依頼も六〇年代からふえ、詩人による装幀の系譜に貴重な足跡を残した。九〇年没。 (臼田捷治)

《装幀時代》、晶文社、1999年10月5日


吉岡実を送ることば――後日の註

一九九〇年六月三日、吉岡実の葬儀の時に読んだ弔辞。吉岡実(一九一九・四・一五―一九九〇・五・三一)の詩集で私が最も愛するのは、戦中の習作というべき第一詩集『液体』(一九四一)に続いて、戦後、詩人の友だちもなく、出版社の伝[つて]もなく、私家版で出した第二詩集『静物』(一九五五)と、これに続く『僧侶』(一九五八)である。二冊の詩集、とくに『僧侶』は、私たちが最も親密に付き合っていた時代に書かれた。吉岡のほか清岡卓行、飯島耕一、岩田宏、そして私の五人が出していた同人詩誌「鰐」(一九五九・八―一九六二・九、全十号)は、刊行されていた当時もその後も、現代詩を語る時にしばしば話題に上る雑誌になったが、今あらためてかえりみると、私が強く記憶にとどめている吉岡作品のうちの多くが、「鰐」刊行時よりもさらに以前のものだったことに気づき、吉岡実という存在が早くからいかに強烈な詩的個性として出現していたかに感銘を新たにする。彼は「鰐」の時代以降、『静かな家』(一九六八)とか『サフラン摘み』(一九七六)など話題の詩集を相ついで出したが、『静物』や『僧侶』の直接的な衝撃力は減り、「引用」の多用など、技術面での苦心が目立つようになった。私たちは常に親しい友だちであり続けたが、彼の引用(あるいは引用をよそおった)詩は、若い追随者を生み出した割には私にはよくわからないものが多く、評判が良ければ良いだけ、彼自身は悩んでいるだろうと思うことが多いのだった。しかしこれは話題にするにはデリケート すぎる点もあった。一回り年下の人間の、吉岡に対する友情の限界が、そのような一種の遠慮にあらわれていたのかもしれない。彼はまだまだ長生きできるつもりでいたし、友人たちもそれが当然であると感じていたから、実際に病院に入院してから腎臓が絶望的に弱っていることがわかった時は、落胆も大きかった。口惜しい死だった。 (大岡信)

《捧げるうた 50篇》、花神社、1999年6月30日


吉岡 実(よしおか みのる)

1919年 東京に生まれる
1934年 本所高等小学校卒業
1990年 東京で逝去
詩人・装丁家
著書 詩集《僧侶》《サフラン摘み》《薬玉》《吉岡実全詩集》ほか
    散文《「死児」という絵》《土方巽頌》《うまやはし日記》 (小林一郎)

《吉岡実未刊行散文集》、文藝空間、1999年5月31日

吉岡 実

◇現代の詩人 1 吉岡実 大岡信,谷川俊太郎編 高橋睦郎鑑賞 中央公論社 1984. 1 18cm
*年譜:p230〜237 (無署名)

《年譜年表 総索引》、日外アソシエーツ、1998年5月25日


Minoru Yoshioka

Minoru Yoshioka (1919-1990) est ne dans une famille d'artisans de Tokyo, il commence a travailler juste apres la formation primaire. C'est en 1941, a son entree dans l'armee imperiale pour aller en Chine comme soldat, que le poete laisse les manuscrits de ses premiers poemes aux siens et leur demande de les publier sous le titre de Liquide. Bien qu'il considere son premier recueil comme un testament, il rentre sain et sauf apres quatre ans de service en Mandchourie. Travaillant dans une maison d'editions de Tokyo, il continue d'ecrire des poemes uniques, qui ne semblent pas avoir le moindre rapport avec les tendances poetiques de ses contemporains. Collaborant avec les jeunes poetes, Makoto Ooka, Koichi Ijima, Takayuki Kiyooka, Hiroshi Iwata, il fonde la revue de poesie Wani (le crocodile), en 1959. La meme annee, son recueil de poemes Soryo (moines), recoit le prix monsieur H., le prix de poesie le plus prestigieux du Japon. Il est decede en 1990. (Marc Kober)

Pris de Peur, le numero 5 [Poesie d'aujourd'hui au Japon], decembre 1997

吉岡実 よしおか・みのる

 詩人、装幀家。大正8年4月15日、東京都墨田区本所生まれ。平成2年5月31日没(71歳)。本所高等小学校(昭和9年)卒。H氏賞(第9回)(昭和34年)「僧侶」、高見順賞(第7回)(昭和51年)「サフラン摘み)、歴程賞(第22回)(昭和59年)「薬玉」を受賞。高等小学校卒業後、彫刻家を夢みたが果たさず医書出版南山堂に勤務し、そのかたわら夜学に通う。昭和15年召集を受け、詩歌集「昏睡季節」を刊行して応召し、20年に復員。30年「静物」を刊行。34年「僧侶」でH氏賞を受賞、また清岡卓行らと「鰐」を創刊(37年まで)。51年「サフラン摘み」で高見順賞を、59年「薬玉」で藤村記念歴程賞を受賞。戦後は筑摩書房に勤め、本の装幀家としても有名である。他の著書に「うまやはし日記」「土方巽頌」などがある。 (無署名)

《日記書簡集解題目録 T 作家・芸術家》、日外アソシエーツ、1997年12月25日


吉岡実

(1919-90)詩人。東京本所生れ。出版社勤務。書籍の装丁家でもあった。特異な幻視の世界を構築した詩集『僧侶』『サフラン摘み』『薬玉』のほか、初期の短歌を集めた歌集『魚藍』がある。 (高橋順子)

《新 折々のうた 3〔岩波新書〕》、岩波書店、1997年11月20日


吉岡 実 よしおか みのる

超現実的な独特の作風で戦後詩に多大な影響を与えた詩人。平成二年(一九九〇)五月三十一日午後九時四分、急性腎不全のため東京都目黒区中目黒二丁目の東京共済病院で死去、七一歳。戒名は永康院徳相実道居士。
 〔……〕
  吉岡は大正八年(一九一九)四月十五日、東京本所に生まれる。商業学校中退。少年時より北原白秋らの詩を耽読して影響を受け、昭和十六年に詩集『液体』を発表した。戦後は孤高の中で詩作を続け、『静物』『僧侶』を著わし、のち大岡信らと「鰐」を創刊、その他『紡錘形』『静かな家』『サフラン摘み』『薬玉』などがある。
 墓碑は真性寺(東京都豊島区巣鴨三―二一―二一にあり、高さ一・五メートル程の墓石には「吉岡実墓」と刻まれている。〔墓石の写真〕 (岩井寛)

《作家の臨終・墓碑事典》、東京堂出版、1997年6月10日


吉岡実(よしおか・みのる)

一 九一九年、東京本所に生まれる。少年期に北原白秋、佐藤春夫の詩歌に親しみ、自らも短歌・俳句の習作を試みたが、二十歳前後に実験的なモダニズムと出会って、シュルレアリスティックな作風に転じた。出征前に詩歌集『昏睡季節』、『液体』を刊行、四一〜四五年にかけて満洲で軍隊生活を送り、帰国後、『静物』をまとめ『僧侶』(五八年)で超現実主義的イメージが現実的な像を結ぶという驚異的な詩を確立、注目を集めた。終生、果敢な実験的詩法を探りつづけ、戦後現代詩の前線で未踏の詩的領域を切り拓いたが、他者の章句を引用して織り成した『サフラン摘み』(七六年)、言葉による世界の肖像のごとき『薬玉』(八三年)と、その高峰は連山の趣きを成すものである。散文集に『「死児」という絵』『土方巽頌』等があり、本の装幀も手がけた。一九九〇年没。 (無署名)

《討議戦後詩――詩のルネッサンスへ》、思潮社、1997年1月25日 


吉岡実

よしおか みのる
大正八(一九一九)―平成二(一九九〇)
東京生れ。本所高小卒。少年時より俳句・短歌を作る。飯島耕一らと「鰐」創刊。モダニズムの独自な熟成により特異な生理感覚と幻覚的映像に満ちた作品を結晶させた。詩集『静物』『僧侶』ほか。歌集『魚藍』。 (大塚美保・高橋智子)

《日本名詩集成》、學燈社、1996年11月30日


吉岡実〔大正8〜平成2年〕

《詩人、装幀家》
『「死児」という絵』 増補版 筑摩書房 '88.9 370p(筑摩叢書 328) 2300円 [ISBN]4-480-01328-8
[内容]東京本所での生い立ちの記、出征を前に処女詩集を編むこと、詩作をめぐるさまざま、白秋など愛読した短歌俳句について、西脇順三郎はじめ詩人との交流記等々、極度に凝縮された文体による、「サフラン摘み」の詩人ただ1冊の散文集。80年版に今回新たに第5部として32篇を追加した増補版。 (無署名)

《読書案内・作品編 日本のエッセイ8000冊》、日外アソシエーツ、1996年11月20日


吉岡実

よしおか・みのる
大正8(1919)〜平成2(1990)
詩人。東京生まれ。詩集『僧侶』『静かな家』『サフラン摘み』ほか。
句集『吹毛集』(昭和30年刊)により耕衣の句と出会い、交遊を深める。昭和51年『耕衣百句』を自ら編纂。この一冊により、若い詩人たちにも耕衣の存在が知られるところとなった。 (無署名)

《特別展「虚空に遊ぶ 俳人 永田耕衣の世界」図録》、姫路文学館、1996年10月4日


吉岡実

詩 人。固有の宇宙として特異な詩空間を創出した。詩集に『吉岡実全詩集』『ムーンドロップ』『薬玉』『夏の宴』『サフラン摘み』『神秘的な時代の詩』『静かな家』『紡錘形』『静物』ほか、散文集に本書のほかに『「死児」という絵』『土方巽頌』がある。装幀家としても知られる。一九一九―一九九〇。(無署名)

《うまやはし日記》〔第二刷〕、書肆山田、1996年3月15日 


よしおか-みのる[よしをか―]【吉岡実】

(一九一九/九〇)詩人。東京生まれ。詩集『僧侶[そうりょ]』『静かな家』『サフラン摘み』など。 (無署名)

《講談社カラー版 日本語大辞典〔第二版〕》、講談社、1995年7月3日


吉岡実・よしおかみのる

1919年東京生まれ。1941〜45年、軍隊生活を送る。'41年満州への応召に際し詩集『液体』上梓。戦後、詩集『静物』('55)、『僧侶』('58、H氏賞)刊行、'59年清岡卓行、飯島耕一、大岡信らと詩誌「鰐」創刊。以後、詩集に『紡錘形』『吉岡実詩集』『静かな家』『神秘的な時代の詩』『サフラン摘み』(高見順賞受賞)、『夏の宴』『薬玉』『ムーンドロップ』ほか、歌集『魚藍』('59)、随想集『「死児」という絵』('80)、評伝『土方巽頌』('87)、日記『うまやはし日記』('90)などがある。書籍などの装幀も多く手がける。1990年5月31日歿。(無署名)

《続・吉岡実詩集》、思潮社・現代詩文庫129、1995年6月10日


吉岡 実〔1919〜1990〕 よしおか・みのる

◇〔書名=〕吉岡実 〔版表示=〕〔特装版〕 〔出版者=〕思潮社 〔出版年月=〕1991.4 〔ページ数=〕327p 〔大きさ=〕21cm 〔叢書名=〕(現代詩読本) 〔定価(刊行年現在)=〕2280円 〔ISBN((i)で表示)=〕(i)4-7837-1851-2
【内容】自己侵犯と変貌を繰り返し、ジャンルを超え、時代を超えて、鮮かな光芒を放った戦後最大の詩人、吉岡実。その逝去を機に、残された苛烈なテクストに新たな解読を試み、その身体性も含めて、トータルな詩人の姿を浮きぼりにする。
【目次】討議(自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂) 代表詩40選 作品論(吉岡実と俳句形式―『昏睡季節』について 言語の光と闇―吉岡実のエクリチュール 吉岡実の言葉についての私的なメモ 「私」の生れる場所―吉岡実の散文 ほか) 肖像(吉岡実の断章 吉岡実異聞 吉岡さんの装幀 ほか) 短評・書評(吉岡実の詩についての簡単な意見 H氏賞をうけた吉岡実の『僧侶』 装幀家・吉岡実 ほか) 追悼文(朝湯のなかで雨を聴く人 吉岡実追想 吉岡実さんを悼む 吉岡さんの死 ほか) 写真(吉岡実さんの“幻”を追って行った。) エッセイ(「想像力は死んだ 想像せよ」 好きな場所 突堤にて ほか) 資料(吉岡実年譜 書誌 参考文献目録 〈吉岡実〉を探す方法) (無署名)

《伝記・評伝 全情報 90/94 日本・東洋編》、日外アソシエーツ、1995年5月30日


吉岡実

Yoshioka Minoru(1919〜90)詩人。東京生れ。高等小学卒、22歳で詩集『液体』(昭16)を発表後、満州へ出征。戦後、強靱で豊かな現代的詩語を精錬した『静物』(昭30)で、戦後現代詩の高峰を築いた。『僧侶』(昭33)、『静かな家』(昭43)、『薬玉』(昭58)など、一作毎に高い評価を受けた。(無署名)

《作家の周辺》、新潮社、1994年10月20日


僧侶

そうりょ 詩集〔作者〕吉岡実〔初版〕昭和三三1958・一一、書肆ユリイカ刊。◇昭和三十一年から三十三年に書かれた作品を収めた第三詩集である。収録詩篇一九篇。『静物』(昭30)で描いた内面の生理をより生身のそれとしてダイナミックにとらえようとした作品群である。たとえば、作品『僧侶』で四人の僧侶が、「二人は飽食のため肥り/二人は創造のためやせほそり」「一人は森へ鳥の姿でかりうどを迎えにゆく/一人は川へ魚の姿で女中の股をのぞきにゆく/一人は街から馬の姿で殺戮の器具を積んでくる/一人は死んでいるので鐘をうつ」というふうに描かれる。これらの四人は生身の人間の内面の正体をそれぞれに受け持ったものたちである。また集中の一篇『夏』「内省の夏の海/暁の板の海/違い段の沖へ/ぼくは生臭い風を受け/自己の血を狩りに出る」などからもわかるように、心情としては、僧侶たちは作者の分身のような存在であるのだろう。しかし、「僧侶」と共に夥しく登場してくる「死児」とは何だろう。作者が「生けるわれわれを見る側にいる」(『死児』)と書くように、われわれの内部に住む生まれないものたちである。かれらは「僧侶」とは逆の方向の煩悩を静止する側に向かう存在である。「僧侶」と「死児」は作者の現実を生きる生理の二面性を意味するものであろう。ともあれ、これらの詩篇は、生身の人間として、鋭く現実の深みに入りこんでいくなかで創造されたものである。(武藤信雄)

《日本現代文学大事典 作品篇》、明治書院、1994年6月20日


静物

せいぶつ 詩集〔作者〕吉岡実〔初版〕昭和三〇1955・八、私家版。◇昭和二十四年から昭和三十年までに書かれた作品を収めた第二詩集である。一七篇を収録。戦後、朔太郎・茂吉・誓子などの作品との出会いがあった後、かつてのモダニズムを独自に熟成させた感覚で描いた作品群といえる。「静物」とは、さまざまに内面の生理を秘めながら静止したもののかたちであり、「死を凌駕」(『冬の歌』)する生のさまざまなる静止した表情である。だから、作品に描かれた「静物」は作者の生への感情を湛えている。「『僧侶』や『静物』は日本のウェッ卜な風土や近代性に反発して書いたものです。」(現代詩文庫『吉岡実詩集』昭43)と作者が語っているが、作者のその描きかたは常に静物画のこわさをひき出していく方向の、独自の現実への向かいかたで読者に迫ろうとしている。第一詩集『液体』(昭16)にすでにその芽生えはあるが、『吉岡実の詩』(現代詩文庫所収)で詩友の飯島耕一が「帰還兵士吉岡実は、ほとんど一人だけ、かつてのモダニズムの遺産をにないながら独自の詩の世界をきづきあげた。」と書いているように、『静物』によって、吉岡実の詩の世界がっくりあげられたといえる。以後、独自の美学によるその世界はさらに陰影を深めて一層磨かれながら、『僧侶』(昭33)『紡錘形』(昭37)『サフラン摘み』(昭51)などを生み出していくことになるのである。(武藤信雄)

《日本現代文学大事典 作品篇》、明治書院、1994年6月20日


吉岡実

よしおかみのる 大正八1919・四・一五〜平成二1990・五・三一。詩人。東京生。本所高等小学校卒。医書出版南山堂に奉公。少年時より短歌・俳句をつくり、のち詩をつくる。昭和十六年八月中国大陸へ出征、十二月太平洋戦争勃発直後、詩集『液体』を出す。済州島で終戦を迎え、復員後、はじめて朔太郎・茂吉・誓子などの韻文作品に出会う。昭和二十六年筑摩書房に入社。モダニズムの手法を独自に進展させて書きあげた『静物』(昭30)を出し、飯島耕一及び「ユリイカ」周辺の詩人たちを知る。さらに、生身の人間の生理を独自の美学を駆使して書きあげた『僧侶』(昭33)を出し、昭和三十四年にH氏賞を受ける。同年八月、飯島・大岡信らと「鰐」を創刊。その後も独自の美学で新しい世界を求めつづけ、『紡錘形』(昭37)『サフラン摘み』(昭51。高見順賞受賞)『薬玉』(昭58。歴程賞受賞)などの詩集を次つぎに出した。(全)『吉岡実詩集』全一巻(思潮社、昭42)。(武藤信雄)

《日本現代文学大事典 人名・事項篇》、明治書院、1994年6月20日


吉岡 実 よしおか・みのる

詩人 装幀家 〔没年月日、享年=満年齢〔死因〕〕平成2年(1990)5月31日 71歳〔急性心不全〕 〔生年月日〕大正8年(1919)4月15日 〔出生、出身地〕東京都墨田区本所 〔学歴〕本所高等小学校(昭和9年)卒 〔経歴〕高等小学校卒葉後、彫刻家を夢みたが果たさず医書出版南山堂に勤務し、そのかたわら夜学に通う。昭和15年召集を受け、詩歌集「昏睡季節」を刊行して応召し、20年に復員。30年「静物」を刊行。34年「僧侶」でH氏賞を受賞、また清岡卓行らと「鰐」を創刊(37年まで)。51年「サフラン摘み」で高見順賞を、59年「薬玉」で藤村記念歴程賞を受賞。戦後は筑摩書房に勤め、本の装幀家としても有名である。他の著書に「うまやはし日記」「土方巽頌」などがある。 〔受賞名〕H氏賞(第9回)(昭和34年)「僧侶」、高見順賞(第7回)(昭和51年)「サフラン摘み」、歴程賞(第22回)(昭和59年)「薬玉」 (無署名)

《現代物故者事典 1988〜1990》、日外アソシエーツ、1993年9月28日


吉岡実(大8〜平2)

 はじめ短歌、俳句に親しんだ。昭和十六年召集を受ける。入隊前の二日間で遺書としての第一詩集『液体』を編さんし、同年私家版として発行された。復員後は詩人との交際もなく詩を書いていたが、第二詩集『静物』を出して、飯島耕一を知って「鰐」に参加し、詩人たちとの交流も始まり、第三詩集『僧侶』(昭33)で、第九回H氏賞を受ける。
 〔……〕 (桑原啓善)

《名詩朗読でつづる日本の詩史》、でくのぼう出版、1993年7月30日


吉岡実(一九一九〜九〇)

詩人。東京都生まれ。代表作『静物』『僧侶』『サフラン摘み』『薬玉』他。 (無署名)

《新文芸読本 澁澤龍彦》、河出書房新社、1993年4月25日


吉岡 実 よしおか・みのる

詩人 装幀家 [生]大正8年4月15日 [没]平成2年5月31日 [出]東京都墨田区本所 [学]本所高等小学校(昭和9年)卒 [賞]H氏賞(第9回)(昭和34年)「僧侶」、高見順賞(第7回)(昭和51年)「サフラン摘み」、歴程賞(第22回)(昭和59年)「薬玉」 [歴]高等小学校卒業後、彫刻家を夢みたが果たさず医書出版南山堂に勤務し、そのかたわら夜学に通う。昭和15年召集を受け、詩歌集「昏睡季節」を刊行して応召し、20年に復員。30年「静物」を刊行。34年「僧侶」でH氏賞を受賞、また清岡卓行らと「鰐」を創刊(37年まで)。51年「サフラン摘み」で高見順賞を、59年「薬玉」で藤村記念歴程賞を受賞。戦後は筑摩書房に勤め、本の装幀家としても有名である。他の著書に「うまやはし日記」「土方巽頌」などがある。
[団]日本文芸家協会 (無署名)

《詩歌人名事典》、日外アソシエーツ、1993年4月21日


吉岡実

(1919-90)詩人。東京本所生れ。出版社勤務。書籍の装丁家でもあった。特異な幻視の世界を構築した詩集『僧侶』『サフラン摘み』『薬玉』のほか、初期の短歌を集めた歌集『魚藍』がある。 (〔高橋順子〕)

《折々のうた 総索引〔岩波新書〕》、岩波書店、1992年9月21日


吉岡 実 よしおか・みのる

◇液体 吉岡実著 1941 〈私家版〉
◇魚藍―歌集 吉岡実著 1959
◇薬玉 吉岡実著 書肆山田 1983
◇詩集 昏睡季節 吉岡実著 草蝉舎 1940 73p 2. 00円
◇サフラン摘み―吉岡実詩集 吉岡実著 東京 青土社 1977. 2 208p 23cm 1800円
◇静かな家 吉岡実著 思潮社 1968
◇新選吉岡実詩集 東京 思潮社 1978. 6 144p 19cm (新選現代詩文庫 110) 580円
◇神秘的な時代の詩 吉岡実著 湯川書房 1975
◇静物 吉岡実著 太田大八 1955 69p
◇僧侶―吉岡実詩集 吉岡実著 東京 ユリイカ 1958 91p 20cm
◇夏の宴 吉岡実著 青土社 1979
◇紡錘形 吉岡実著 草蝉舎 1962
◇ムーンドロップ 吉岡実著 東京 書肆山田 1988. 11 137p 23cm 2800円
◇吉岡実詩集 吉岡実著, 篠田一士編集解説 東京 ユリイカ 1959 148p 図版 17cm (今日の詩人双書 第5)
◇吉岡実詩集 吉岡実著 東京 思潮社 1967 365p 24cm
◇吉岡実詩集 吉岡実著 東京 思潮社 1968 146p 19cm (現代詩文庫)
◇吉岡実詩集紡錘形 吉岡実著 東京 思潮社 1962 80p 21cm 〈限定版〉 (無署名)
〔発行者の不正確なものがある、初版の刊行年(月)でないものがある、「紡錘形」と「吉岡実詩集紡錘形」とで異なった内容になっている――などの不備もあるが、そのままとする。〕

《日本の詩歌 全情報 27/90》、日外アソシエーツ、1992年3月19日


吉岡実(1919〜1990)

1949年(昭和24)ごろから、本格的に詩作を志し、1955年私家版の詩集『静物』を刊行。以後『僧侶』『サフラン摘み』など12冊の詩集を著し、特異な生理感覚に溢れた緻密な詩世界を構築した。本の装幀家としても知られる。 (無署名)

《日本の詩歌展――詩・短歌・俳句の一〇〇年》会場での展示資料〔したがって図録にはない〕、県立神奈川近代文学館、1991年10月19日〜11月24日


吉岡実

(よしおか・みのる 一九一九〜九〇)東京本所生。少年時代より短歌、俳句、詩に親しみ、自らも作る。四一年の応召に際し、北園克衛の影響が見られる詩集『液体』(私家版)を出す。戦後、筑摩書房勤務のかたわら詩作を続け、『静物』(五五・私家版)を刊行し、認められる。エロスとタナトスの香気漂う幻想的世界を描いて秀抜な『僧侶』(五八・書肆ユリイカ)によってH氏賞受賞。「僧侶」「死児」などの連作〔ママ〕のヴィジョンは特異なもので、残酷さと諧謔味のいりまじった詩風は高く評価されている。様々なものの生と死を見据え、そこから幻想的ヴィジョンと思想とを紡ぎ出した『サフラン摘み』(七六・青土社)で高見順賞受賞。母を中心とする家族のイメージが冥界を思わせる世界の中で語られる『薬玉』(八三・書肆山田)で歴程賞受賞。現代詩人の中でも最も幻想的な詩人の一人といえるだろう。装幀家としても有名。(石堂藍)

《日本幻想作家名鑑》、幻想文学出版局、1991年9月1日 


吉岡 実〔1919〜1990〕 よしおか・みのる

◇円環と卵形―吉岡実ノート 通雅彦著 東京 思潮社 1975 153p 20cm 1800円(N〔=NDC〕)911.52 (無署名)

《伝記・評伝 全情報 45/89 日本・東洋編 下 た〜わ》、日外アソシエーツ、1991年8月20日


よしおか みのる 吉岡実

大正八・四・一五―平成二・五・三一(一九一九―九〇) 昭和期の詩人。東京生れ。商業学校中退。昭和一五年(一九四〇)第一詩集『昏睡季節』、翌年『液体』を刊行、満州へ出征。三〇年『静物』で詩壇に登場、続く『僧侶』(昭三三)は戦後詩の達成した一極点として大きな反響を呼ぶ。三四年「鰐」創刊に参加。ほかに『紡錘形』(昭三七)、『静かな家』(昭四三)、『サフラン摘み』(昭五一)。 (無署名)

《新潮日本人名辞典》、新潮社、1991年3月5日


吉岡 実 YOSHIOKA, Minoru 1919-1990

詩人。東京都生まれ。超現実派風のイメージを硬質な文体にちりばめた詩法は、大きな衝撃を詩界に与え、とくに若い詩人たちに圧倒的な影響を及ぼす。『僧侶』('58年、H賞)、『薬玉』('83年、歴程賞)ほかすぐれた詩集が多い。生涯にわたり、美術・演劇等にも広い関心をもち、土方とは相互に影響を与えあう間柄で、詩画集「あんま」制作に参加している。 (無署名)

《土方巽展――風のメタモルフォーゼ(変容)》、秋田市立千秋美術館、1991年〔2月27日〕


吉岡実|よしおか・みのる

1919.4.15〜90.5.31
詩人。東京都本所生まれ。商業学校中退。若くして俳句短歌に親しみ、さらにモダニズム系の詩を愛読。1941(昭16)年、応召して大陸に渡るに際し処女詩集『液体』をまとめる。戦後、筑摩書房に入社。55年に詩集『静物』を刊行。やがて詩誌『ユリイカ』周辺の詩人たちとの交流がはじまり、傑作「僧侶」「死児」を同誌に発表。それらを含む詩集『僧侶』(58年)でH氏賞を受ける。超現実派風のイメージを硬質な文体にちりばめた詩法は、大きな衝撃を詩界に与え、とくに若い詩人たちに圧倒的な影響を及ぼす。59年に清岡卓行、飯島耕一らとともに同人詩誌『鰐』(〜62年)を創刊。その後の方法的模索は、『サフラン摘み』(76年、高見順賞)に至って新たな境地に達する。ほかにも『薬玉』(83年、歴程賞)ほか、すぐれた詩集が多い。生涯にわたり、美術・演劇などにも広い関心をもち、特に舞踊家・土方巽とは相互に影響を与えあう間柄だった。随筆・日記文にも佳編がある。 (入沢康夫)

《[現代日本]朝日人物事典》、朝日新聞社、1990年12月10日


吉岡実――よしおかみのる

〈大正8〜平成2年〉詩人。昭和49年『神秘的な時代の詩』を刊行、51年『サフラン摘み』で高見順賞、58年『薬玉』で歴程賞を受章〔賞〕した。(無署名)

《昭和 二万日の全記録〔第15巻〕――石油危機を超えて 昭和47年〜50年》、講談社、1990年8月24日


吉岡実――よしおかみのる

〈大正8〜平成2年〉詩人。昭和33年『僧侶』を刊行。舞踏や美術に対する造詣は深く、本の装幀も手がけた。戦後、筑摩書房に勤務した。(無署名)

《昭和 二万日の全記録〔第15巻〕――石油危機を超えて 昭和47年〜50年》、講談社、1990年8月24日


吉岡実――よしおかみのる

〈大正8〜平成2年〉詩人。昭和34年『鰐』創刊に参加、詩集『僧侶』でH氏賞を受賞する。詩集に『紡錘形』『サフラン摘み』『薬玉』など。(無署名)

《昭和 二万日の全記録〔第15巻〕――石油危機を超えて 昭和47年〜50年》、講談社、1990年8月24日


吉岡実――よしおかみのる

〈大正8〜平成2年〉詩人。昭和16年処女詩集『液体』を著し応召。33年『僧侶』刊行、翌年第9回H氏賞受賞。他に『サフラン摘み』など。(無署名)

《昭和 二万日の全記録〔第14巻〕――揺れる昭和元禄 昭和43年〜46年》、講談社、1990年7月24日


吉岡実――よしおかみのる

〈大正8年〜  〉詩人。戦争体験と死の意識の濃い『静物』『僧侶』で詩壇に登場した。昭和51年『サフラン摘み』で高見順賞受賞。(無署名)

《昭和 二万日の全記録〔第13巻〕――東京オリンピックと新幹線 昭和39年〜42年》、講談社、1990年6月24日


吉岡実(よしおか・みのる)氏=詩人・装幀家

五月三十一日午後九時四分、急性腎不全のため、東京都目黒区の東京共済病院で死去。七十一歳。葬儀・告別式は三日午後二時から、豊島区巣鴨の真性寺でおこなわれた。喪主は妻・陽子さん。自宅は〔……〕。
 吉岡氏は大正八年四月十五日、東京・本所生まれ。少年時から俳句・詩に魅かれ、昭和十六年の満州応召時に詩集「液体」をまとめる。戦後、三十四年に詩誌「ユリイカ」に発表した「僧侶」で第九回H氏賞、また五十二年に「サフラン摘み」で第七回高見順賞を受賞。大岡信、清岡卓行氏らと創刊した詩誌「鰐」の活動とともに、『紡鐘〔ママ〕形』『静かな家』『夏の宴』等、超現実的な作風の長篇詩で戦後詩に大きな影響を与えた。また、舞踏家・故土方巽氏と親交、『土方巽頌』の著書の他、『「死児」という絵』、『うまやはし日記』など、随筆・日記でも独自の世界を切り拓いた。 (無署名)

《図書新聞》、図書新聞、1990年6月16日


実存主義的な詩風 吉岡実氏(よしおか・みのる=詩人)

五月三十一日午後九時四分、急性腎(じん)不全のため、東京都目黒区の東京共済病院で死去、七十一歳。東京都出身。自宅は〔……〕。葬儀・告別式は三日午後二時から東京都豊島区巣鴨三ノ二一ノ二一、真性寺で。喪主は妻陽子(ようこ)さん。
 商業学校中退。少年時代、佐藤春夫、北原白秋などを読み、昭和十五年詩歌集「昏睡季節」を刊行。同年召集を受け、済州島で終戦を迎える。戦後は、私家版の詩集「静物」を刊行、三十四年「僧侶」で第九回H氏賞を受ける。同年清岡卓行、飯島耕一、大岡信らと「鰐」を創刊した。北園克衛らのモダニズムに影響を受け、戦中体験を通しての実存主義的な詩風にユーモアと超現実的な手法を加えた硬質な詩は、若い詩人たちに強く支持された。
 詩集に「吉岡実詩集」「静かな家」「サフラン摘み」(高見順賞)「薬玉」(歴程賞)「ムーンドロップ」(詩歌文学館賞受賞決定後、辞退)などがある。
 筑摩書房の重役としても活躍、また装丁家としても知られた。五十二年に亡くなった作家和田芳恵氏は義父。 (無署名)

《北海道新聞〔夕刊〕》、北海道新聞社、1990年6月1日


吉岡実氏(よしおか・みのる=詩人、元筑摩書房取締役)

三十一日午後九時四分、急性腎不全のため東京都目黒区の東京共済病院で死去、七十一歳。東京都出身。自宅は〔……〕。告別式は三日午後二時から豊島区巣鴨三ノ二一ノ二一、真性寺で。喪主は妻、陽子(ようこ)さん。
 吉岡氏は東京・本所の生まれ。昭和二十六年に筑摩書房入社。主に宣伝畑を歩き、PR誌「ちくま」の編集長も務め、五十三年退社した。
 昭和三十四年、詩集「僧侶」で第九回H氏賞、五十二年、詩集「サフラン摘み」で第七回高見順賞受賞。
 詩人・荒川洋治氏の話
「高校二年の時、図書館にあった吉岡さんの詩『僧侶』に出合った感動を今も覚えています。詩的言語は小説の言語とこうも違ってすごいのか、目がくらくらす るような感じでした。吉岡さんは、詩の言葉を世俗的な日差しから守ろうとした、その極北の詩的結晶を示した詩人だと思う。ぼくら以降の詩人はほとんどが出 発点においてその影響を受けているのではないか」 (無署名)

《産経新聞〔夕刊〕》、産業経済新聞東京本社、1990年6月1日


実存主義で新詩風 吉岡実氏(よしおか・みのる=詩人)

三十一日午後九時四分、急性腎(じん)不全のため東京都目黒区中目黒の東京共済病院で死去。七十一歳。東京都出身。自宅は〔……〕。告別式は三日午後二時から豊島区巣鴨三ノ二一ノ二一の真性(しんしょう)寺で。喪主は妻陽子(ようこ)さん。
 吉岡氏は大正八年、東京・本所生まれ、少年時代に北原白秋や佐藤春夫、水原秋桜子らの詩歌に親しみ、昭和十六年、満州(中国東北部)に出征する前に最初の詩集「液体」を出した。
 戦後、筑摩書房に入社。昭和三十四年、詩集「僧侶」で第九回H氏賞。同年、清岡卓行、飯島耕一、大岡信氏らと同人詩誌「鰐(わに)」を創刊し、三十七年まで続けた。
 吉岡氏は初期に北園克衛らのモダニズムの影響を受け、戦後は、戦争体験から実存主義的な手法も取り入れて新しい詩風を開いた。五十一年、詩集「サフラン摘み」で第七回高見順賞、五十九年同「薬玉(くすだま)」で第二十二回歴程賞を受賞。全詩集として「吉岡実詩集」(思潮社)がある。 (無署名)

《東京新聞〔夕刊〕》、中日新聞東京本社、1990年6月1日


吉岡実氏(よしおか・みのる=詩人、装丁家)

三十一日午後九時四分、急性じん不全のため東京都目黒区の東京共済病院で死去、七十一歳。葬儀・告別式は三日午後二時、豊島区巣鴨三の二一の二一の真性寺で。自宅は〔……〕。喪主は妻陽子(ようこ)さん。
 東京生まれ。高等小学校卒業後、出版社に勤務。モダニズムの影響を受け、戦争中、処女作「液体」を発表、戦後、戦中体験からの実存主義的と超現実的な手法を融合し、昭和三十四年、詩集「僧侶」で詩壇の登竜門「H氏賞」を受賞。現代の残酷のイメージをテーマにし、実験的な作品として詩壇に衝撃を与えた。同じころ、清岡卓行、大岡信氏らと「鰐(わに)」を創刊。筑摩書房に勤務するかたわら昭和五十一年には「サフラン摘み」で高見順賞を受賞。 (無署名)

《毎日新聞〔夕刊〕》、毎日新聞東京本社、1990年6月1日


超現実詩人 吉岡実氏が死去

  超現実的な独特の作風で戦後詩に大きな影響を与えた詩人の吉岡実(よしおか・みのる)氏が五月三十一日午後九時四分、急性腎不全のため、東京都目黒区の東京共済病院で亡くなった。七十一歳。告別式は三日午後二時から、豊島区巣鴨三ノ二一ノ二一の真性寺で。喪主は妻陽子(ようこ)さん。自宅は〔……〕。
 東京・本所生まれ。少年時代から俳句、詩の世界に強くひかれ、昭和十六年、満州への応召に際して詩集「液体」をまとめた。戦後は三十四年、「ユリイカ」誌に発表した「僧侶」で第九回H氏賞を受賞。同年、大岡信、清岡卓行氏らとともに同人詩誌「鰐」を創刊、三十七年まで充実した活動を続けた。五十二年には「サフラン摘み」で第七回高見順賞を受けた。
 舞踏家の故土方巽氏とも親交があり、六十一年の氏の死を悼み、『土方巽頌』を発表している。随筆や日記でも、独自の境地を示した。 (無署名)

《朝日新聞〔夕刊〕》、 朝日新聞東京本社 、1990年6月1日


独特の幻視の世界――詩人・吉岡実氏死去

  超現実的で難解な詩風で知られた詩人の吉岡実(よしおか・みのる)氏が、三十一日午後九時四分、急性ジン不全のため、東京・目黒区の東京共済病院で死去した。七十一歳。告別式は三日午後二時から豊島区巣鴨三の二一の二一、真性寺で。自宅は〔……〕。喪主は妻、陽子(ようこ)さん。
 東京・本所の生まれ。戦後、筑摩書房に勤務するかたわら詩を書き、清岡卓行氏らと詩誌「鰐」を創刊した。昭和三十四年詩集「僧侶」でH氏賞、五十一年「サフラン摘み」で高見順賞、五十九年「薬玉」で歴程賞を受賞。グロテスクかつエロチックなイメージで、独特の幻視の世界を詩として構成。筑摩書房では取締役などを歴任、装丁家としても知られ、同社の「宮沢賢治全集」「萩原朔太郎全集」などの装丁を手掛けた。 (無署名)

《読売新聞〔夕刊〕》、読売新聞東京本社、1990年6月1日


吉岡実 よしおかみのる

(一九一九― )詩人。東京・本所に生まれる。幼少期彫刻家を志したが果たさず、出版社に勤務しつつ夜学に通い文学書に親しむ。一九四〇年(昭和一五)応召の年詩歌集『昏睡[こんすい]季節』(私家版)刊。四一年私家版詩集『液体』、敗戦帰国後、五五年(昭和三〇)『静物』を刊行し、その詩風の特異さで注目される。第四詩集『僧侶[そうりよ]』(一九五八)でH氏賞を受賞。五九年清岡卓行[たかゆき]、大岡信[まこと]、飯島耕一[こういち]らと詩誌『鰐[わに]』を創刊。本の装丁家としても優れた仕事をしている。詩集はほかに『吉岡実詩集』(一九五九)、『紡錘形』(一九六二)、『吉岡実詩集』(一九六七、全詩集)、『静かな家』(一九六八)、『サフラン摘み』(一九七六。高見順賞受賞)、『薬玉[くすだま]』(一九八三。藤村記念歴程賞受賞)などがある。歌集には『魚藍[ぎよらん]』(一九五九)がある。 (原崎孝)

《日本大百科全書 23》、小学館、1988年9月1日


吉岡 実

よ しおか みのる 大正八・四・一五―(一九一九―) 詩人。東京に生れた。商業学校中退。少年時代、書家佐藤春陵に兄事し、その影響で北原白秋、佐藤春夫を耽読、結婚記念の私家版七〇部限定の歌集『魚藍』(昭三四刊)に収録された四七首には、この二詩人の影響が認められる。同じく少年時代から俳句に強くひかれ、水原秋桜子、山口誓子、富沢赤黄男、日野草城らを愛読した。次いで北園克衛、リルケの詩を読む。昭和一六年、満州への応召に際し青春の遺書として出した詩集『液体』には、北園克衛の影響が著しい。済州島で終戦。戦後は萩原朔太郎、斎藤茂吉らを愛読し、一人の詩友もない孤独の中で詩作を続け、『静物』(昭三〇刊)を刊行。H氏賞を受けた『僧侶』(昭三三刊)は、特異な幻覚的影像に充ちた言語構造の中に、虚無感とシニカルな笑いを充満させて大きな反響を呼んだ。「夜はいっそう遠巻きにする/魚のなかに/仮りに置かれた/骨たちが/星のある海をぬけだし/皿のうえで/ひそかに解体する/燈りは/他の皿へ移る/そこに生の飢餓は享けつがれる」(『静物』)。昭和初頭にモダニズムが開いた詩風が、この詩人に至って稀れに硬度の高い言葉に結晶したのである。三四年、清岡卓行、飯島耕一、岩田宏、大岡信らと「鰐」を創刊し、三七年まで続けた(通巻一〇冊)。他に『吉岡実詩集』(昭三四刊)、『紡錘形』(昭三七刊)、『静かな家』(昭四三刊)、『サフラン摘み』(昭五一刊。高見順賞)、『薬玉』(昭五八刊。歴程賞)がある。 (大岡信)

《増補改訂 新潮日本文学辞典》、新潮社、1988年1月20日


吉岡 実(一九一九―    )

東京生まれ。高等小学校を卒業後、彫刻家を夢みたが断念。与謝蕪村、佐藤春夫、北原白秋に熱中、『昏睡季節』を自費で出版。大岡信らと「鰐」を刊行。『僧侶』『紡錘形』などを刊行。装丁家としても知られる。 (無署名)

《少年少女日本文学館 8――明治・大正・昭和詩歌選》、講談社、1987年9月21日


吉岡実

よしおか・みのる 1919―.  東京生の詩人。白秋と北園克衛の影響のもとに詩歌の道に進み、戦前すでに詩集『液体』を刊行。『静物』発表後に「鰐」同人となる。主な詩集に『僧侶』『サフラン摘み』などがある。本稿〔〈吉岡実あるいは生物の袋について〉〕2で論じられた作品群〔〈聖あんま断腸詩篇〉〈青い柱はどこにあるか?〉〈聖あんま語彙篇〉〕はのちに土方巽に献げる一冊の詩集〔該当する「詩集」はなく、評伝《土方巽頌――〈日記〉と〈引用〉に依る》を指すか〕にまとめられた。(四方田犬彦)

《最新流行》、青土社、1987年8月25日


吉岡実 よしおか みのる

詩人、随筆家、装丁家 〔生地・生年月日〕東京1919.4.15
〔最終学歴〕商業学校中退 〔経歴〕医書出版南山堂を経て、1940応召、51筑摩書房入社、のち参与、59〈鰐〉創刊に参加 〔著作〕1940《昏睡季節》、41《液体》、55《静物》、58《僧侶》(59H氏賞)、59《吉岡実詩集》、歌集《魚藍》、62《紡錘形》、67《吉岡実詩集》、68《静かな家》、74《神秘的な時代の詩》、76《サフラン摘み》(高見順賞)、83《薬玉》(84歴程賞) (無署名)

《現代人名情報事典――WHO'S WHO IN WORLD TODAY》、平凡社、1987年8月25日


吉岡実(1919― )

一九一九年生於東京。曽就読於商業学校、輟学后在幾個出版社工作過。現任職於筑摩書房。係《今日》、《鰐》等詩刊同人。詩集有:《液体》(1941)、《静物》(1955)、《僧侶》(1958、獲H氏奨)、《静静的家》(1968)及歌集《魚筐》等。 (孫鈿)
〔簡体字は日本語の漢字に改めた〕

《日本当代詩選》、 湖南人民出版社、1987年7月


吉岡 実 よしおか みのる

1919・4・15〜 詩人。東京本所生れ。世界を秘儀的ユーモアで織る異色詩人。
高等小学校を卒業して医学書出版社に奉公した。第1詩集『液体』の原稿を兄に託して、昭和16年出征。まさに青春の遺書だった。終戦までの軍隊生活の影は屈折して作品に沈んでいる。30年『静物』を出して後、飯島耕一、ユリイカの伊達得夫及び周辺の詩人たちを知る。『僧侶』『紡錘形』『静かな家』などの世界を醸成しているのは、形体へのこだわり・諧謔・エロチシズム・ユーモア・奇妙な音楽性といった要素が強く、難解な現代詩の極北と見なされることが多い。それに比べて散文はストレートな味わいがあり、むしろ人なつこさがある。全エッセイを収めた『「死児」という絵』は詩法の根拠や人柄を語る大冊である。舞踏や美術・俳句・短歌に対する理解は深く、歌集に『魚藍』がある。詩集『サフラン摘み』で高見順賞受賞。 (八木忠栄)

《現代日本人物事典――20世紀 WHO'S WHO》、旺文社、1986年11月10日


吉岡 実

よ しおか みのる 詩人・歌人。大正八・四・一五〜(1919〜)。東京本所生まれ。本所高等小学校卒。在校中、同居人の佐藤春陵の影響で、白秋・牧水の短歌に親しむ。卒業後、医書出版南山堂に勤務、産婦人科図書からショックを受ける。短歌・俳句をつくる。以後、北園克衛・左川ちかを読み、詩をつくる。応召に際し、遺書として詩集『液体』(昭16)を出版。満州へ出征、済州島で終戦を迎え、復員。朔太郎・茂吉・西脇順三郎を読む。筑摩書房に入社(昭26)。詩集『静物』(昭30 私家版)を出し、これを最後の詩集とするつもりであったが、飯島耕一を知り、また書きはじめる。詩集『僧侶』(昭33 書肆ユリイカ)により第九回H氏賞受賞(昭34)。この詩集の特色は、「四人の僧侶/庭園をそぞろ歩き/ときに黒い布を巻きあげる/棒の形/憎しみもなしに/若い女を叩く/こうもりが叫ぶまで/一人は食事をつくる/一人は罪人を探しにゆく/一人は自涜/一人は女に殺される」(「僧侶」1)のように、風土化したシュールレアリスムの観があり、抽象的イメジと生理的感覚、形而上性と猥褻さを融合し、生と死の不条理の相を照らし出す。そのブラックユーモアは無類である。この年、結婚。歌集『魚藍』出版。清岡卓行・大岡信・飯島らと「鰐」創刊。以後、詩集『紡錘形』(昭37 草蝉舎)『吉岡実詩集』(昭42 思潮社)『静かな家』(昭43 同)『神秘的な時代の詩』(昭49 湯川書房)を出し、新しい展開を示した『サフラン摘み』(昭51・9 青土社)により高見順賞受賞(昭52)。『夏の宴』(昭54・10 同)のあと、『薬玉』(昭58 書肆山田)により歴程賞受賞(昭59)。ほかに随想集『「死児」という絵』(昭55・7 思潮社)がある。 (星野徹)

《日本現代詩辞典》、桜楓社、1986年2月15日 


吉岡 実 よしおか・みのる

〔職業〕詩人、装幀家 〔最近関心のあるテーマ〕現世をテーマの長篇詩 〔生年月日〕大正8年4月15日生 〔出生地〕東京都墨田区 〔最終学歴〕本所高等小学校(昭9)卒業 〔受賞等〕H氏賞(1959)、高見順賞(1976) 〔所属団体〕日本文芸家協会 〔住所以下は省略〕(吉岡実)

《現代日本執筆者大事典77/82 第四巻(ひ〜わ)》、日外アソシエーツ、1984年8月25日


吉岡実

(1919- )詩人。東京本所生れ。出版社勤務。書籍の装丁家でもある。特異な幻視の世界を構築した詩集『僧侶』『サフラン摘み』『薬玉』のほか、初期の短歌を集めた歌集『魚藍』がある。 (高橋順子)

《第四 折々のうた〔岩波新書〕》、岩波書店、1984年4月20日


吉岡実(よしおか・みのる 1919〜)

彫刻家を志望したが果たさず、出版社に勤務。58年、詩集『僧侶』を刊行し、翌年H氏賞。「鰐」創刊に参加。詩集はほかに『吉岡実詩集』(59)、『静かな家』(68)、『サフラン摘み』(76)など。本の装幀家としても知られている。 (無署名)

NHK市民大学《詩の発見》、日本放送出版協会、1984年4月1日


吉岡 実 よしおか みのる

一 九一九・四・一五〜 詩人。東京の下町、本所業平に生まれる。文学的遍歴は俳句より出発、秋桜子、赤黄男、草城らに特別の関心を抱いた。一〇代の後半、北原白秋の『花樫』の影響を受け、短歌に転じ、「秋ひらく詩集の余白夜ふかみ蟻のあしおとふとききにけり」など、当時の歌業は、戦後、『魚藍』(五九)に集大成されている。処女詩集『液体』(四一)は、出征直前、自らの青春の遺書として二日間で編集したという。輜重兵として新京、チチハル、ハルピンなど満州各地を移動、敗戦を済州島で迎えた五年間の戦争体験は、やはり人間認識や詩観の実存的中核を形成し、詩作の根源的なモチーフとなっている。平林敏彦、飯島耕一らの『今日』(五四・六〜五六・一二、通刊一〇冊)に参加。その後、大岡信、清岡卓行らの『鰐』(五九・八〜六二・九、通刊一〇冊)同人として活躍。『静物』(五五)は、凍った音楽のような死の韻律と、超現実風なマゾ・サディスティックなイメージ、陰惨なユーモアで異様な詩的緊張をたたえ、『僧侶』(五八)は、戦後詩の「マルドロオルの歌」として、戦慄的な詩的空間を独創、一大衝撃を与え、第九回日本現代詩人会H氏賞を受賞した。寺山修司は、吉岡の詩的特質を、怪奇人形芝居[グランギニョール]の世界に想定し、浅草の衛生博覧会の人体模型陳列会場や不具者ばかりの運動会へのノスタルジャの魅力であると評した(『戦後詩』六五)が、注目すべきは、詩の思想的背景にある、歴史の不条理や人間の原罪を自己告発的に糾問する、文明批評家としての苦悶と倫理の厳しさである。信条告白的に自らの詩法を解析した、「わたしの作詩法?」(『詩の本』第二巻、六七)、「『死児』という絵」(『ユリイカ』七一・一二)は 必読の価値があり、他に『紡錘形』(六二)、『静かな家』(六八)、『サフラン摘み』(七六)、『夏の宴』(七九)等の詩集がある。 (千葉宣一)

《新版 現代作家辞典》、東京堂出版、1982年7月5日


吉岡 実(よしおか・みのる)

詩人 一九一九、東京に生まれる。高等小学校卒。詩集「液体」「静物」「僧侶」「サフラン摘み」「夏の宴」随筆集「「死児」という絵」、等。 (無署名)

《余白に書く〔別冊〕》、みすず書房、1982年7月1日



〔=日本現代詩人会会員〕吉岡 実

@〔=郵便番号・現住所(電話番号)〕〔省略〕A〔=生年月日〕大8・4・15B〔=出生地〕東京・本所C〔=卒業又は修学校〕高等小学卒E〔=主な所属文学団体〕日本文芸家協会G〔=代表的著作・刊行年月・発行所〕詩集『静物』昭30・8私家版、詩集『僧侶』昭33・11書肆ユリイカ、詩集『サフラン摘み』昭51・9青土社

 静 物

夜はいっそう遠巻きにする
〔……〕
次に卵を呼び入れる (無署名〔吉岡実もしくは《資料・現代の詩》編集委員会〕)

《資料・現代の詩》、講談社、1981年6月20日


吉岡実よしおか・みのる

大8〜 商業学校中退。詩人。昭16応召、満州を経て済州島で終戦。筑摩書房勤務を経る(歌集)『魚藍』34(詩集)『静物』『僧侶』『吉岡実詩集』『サフラン摘み』他。 (無署名)

《昭和萬葉集 巻四――昭和十二年〜十四年》、講談社、1979年8月28日


吉岡実

(詩人)
よしおか・みのる 一九一九年、東京生まれ。五九年、超現実的でグロテスクなイメージにあふれた詩集「僧侶」でH氏賞受賞。七六年、詩集「サフラン摘み」で高見順賞を受けた。昨年十一月まで筑摩書房参与。 (無署名)

《朝日新聞〔夕刊〕》、朝日新聞社、1979年5月18日


吉岡 実 よしおか・みのる

 1919―    詩
〇ユリイカ 青土社 1973. 9 5(10) p172―174, 141 吉岡実詳細年譜, 主要参考文献 (深井人詩)

《人物書誌索引》、日外アソシエーツ、1979年3月10日


YOSHIOKA MINORU

Born in Tokyo on April 15, 1919. Wanted to become a sculptor when young, but this was not realized. Worked for a medical publishing company in Tokyo. During education at a commercial school, was interested in composing tanka and haiku poems. Served in the army for four years. Joined a coterie poetry magazine called Alligator. Since 1951, has been on the staff of a leading publishing house in Tokyo. Also well-known as a book designer. His published books of poems include: Liquid (1941), Still Life(1955), Priest(1958) (which won the Mr. H. Poetry Prize), Fishing Basket(1959) (a collection of tanka poems), Spindle Form (1962), Complete Poems (1967), A Quiet House (1968) and Picking Saffrons (1976) (which was awarded theTakami Jun Poetry Prize and from which the title poem is translated here). (無署名)

Japanese Literature Today , No. 3, March 1978


吉岡 実 よしおかみのる

大 正八・四・一五〜(1919〜)詩人。東京本所業平に生れる。父紋太郎、母いとの三男。昭和九年、高等小学校卒業後、彫刻家を夢みたが果たさず、医書出版南山堂に勤務。そのかたわら夜間商業に通う。そのころは、与謝蕪村、佐藤春夫、北原白秋らに熱中して友人二、三人と俳句や短歌をつくりはじめる。一五年、召集をうける。詩歌集『昏睡季節』(昭一五・一〇 草蝉舎)を限定一〇〇部で刊行。二〇年、済州島で終戦を迎える。復員。父母はすでに死去。三〇年八月、詩集『静物』を私家版として刊行。三三年一一月、詩集『僧侶』を書肆ユリイカより刊行。三四年、詩集『僧侶』により第九回H氏賞に推されるが一度辞退。清岡卓行らの奨めなどにより受賞を承諾。同年、和田陽子と結婚。記念として、十代後期につくった短歌四七首による歌集『魚藍』を私家版七〇部限定(非売)で刊行。また三四年八月、清岡卓行、大岡信、飯島耕一、岩田宏らと詩誌「鰐」を刊行する。書肆ユリイカより『今日の詩人双書』の一冊として『吉岡實詩集』(昭三四・八)を刊行。三七年九月、詩集『紡錘形』を草蝉舎より刊行。四二年一〇月、全詩集として『吉岡実詩集』(思潮社)を刊行。四三年七月、詩集『静かな家』(思潮社)を刊行。現在筑摩書房に勤務。本の装幀家としても知られている。/〔……〕〔写真「紡錘形(箱)」掲載〕〔……〕
〔参考文献〕粟津則雄『吉岡実論』(「詩と批評」昭四二・七)北川透『夢の異端と異端の夢』(「南北」昭四二・九)天沢退二郎『異聞・吉岡実論おぼえ書き』(「現代詩手帖」昭四二・一〇)清岡卓行『吉岡実論』(「文学」昭四三・一)飯島耕一『吉岡実の詩』(昭四三 思潮社刊『現代詩文庫』14所収) (清水昶)

《日本近代文学大事典 第三巻》、講談社、1977年11月18日


吉岡実 よしおか・みのる

詩人。1919(大正8)年4月15日、東京本所業平町に生まれる。蕪村、白秋などに親しむが、37年『みづゑ』に掲載されたピカソの詩に影響されて造形的な詩を書きはじめる。41年『液体』、55年『静物』などの詩集を刊行する。57年4月、詩誌『ユリイカ』に長詩「僧侶」を発表し詩壇の注目を集める。58年詩集『僧侶』を刊行、これにより59年第9回H氏賞を受賞する。『僧侶』においては日常性から解体された硬質の言語が、ちょうど銅版画の細密な線のように彫り込まれ、非現実の恐るべき陰惨なビジョンが展開されている。吉岡はその後62年『紡錘形』、68年『静かな家』、74年『神秘的な時代の詩』などの詩集を刊行する。吉岡の詩は年を追ってスピードとエロティシズムが加えられ「未経験なピンクの空間」と吉岡自身いうように、自由な、そして魅惑的な夢魔の詩を書き続けている。67年には全詩集的な『吉岡実詩集』(思潮社)も刊行されている。 (鶴岡善久)

《現代人物事典》、朝日新聞社、1977年3月1日


吉岡 実(よしおか みのる)詩人

一九一九年東京に生まれる
数多く作品をうみだす人ではなく、熟成させ、産出していくタイプの詩人である
詩集には〈僧侶〉〈静物〉〈吉岡実詩集〉等がある (中山文甫)

《ALICE IN FLOWERLAND――花の国のアリス》、未生流中山文甫会、1976年2月4日


吉岡 実

一九一九年四月、東京生まれ。詩集に『液体』草蝉舎(一九四一年)、『静物』私家版(一九五五年)、『僧侶』書肆ユリイカ(一九五八年)、『吉岡実詩集』思潮社(一九六七年)など。 (無署名)

《日本の詩・昭和の詩U》、ほるぷ出版、1975年12月1日


人と作品

 吉岡実はいわば戦後詩の中でも最も難解な詩を書く詩人といえましょう。一九一九年生まれで、一九四一年に『液体』という処女詩集を作っていますが、独自の詩風が確立したのは一九五五年に刊行された『静物』という詩集に収められた作品群からでしょう。この巻に収めた「静物」はこの詩集のはじめに収められている作品ですが、この一作でもこの詩人の詩語の稠密[ちゆうみつ]さ、絵画的な構図の裏側にはっきりと感じとれる時間の流れ、形而上学的な存在感などを読みとることができるでしょう。この詩人の作品について語ることは、ことばそのものの意味よりも、その背後にある形而上的な意味を語ることになり、それを散文でなす限りにおいて詩から遠ざかるというはなはだ厄介なことになる詩世界であります。この詩人はめったに散文を書くことがないと言われていますが、「わたしの作詩法?」(『詩の本U詩の技法』筑摩書房一九六七年刊)という自作を語る文章の中でつぎのように書いています。「わたしは詩を書く場合、テーマやその構成・構造をあらかじめ考えない。白紙状態がわたしにとって、最も詩を書くによい場なのだ。発端から結末がわかってしまうものをわたしは詩とも創造ともいえないと思っている。」「或る人は、わたしの詩を絵画性がある、又は彫刻的であるという。それでわたしはよいと思う。もともとわたしは彫刻家への夢があったから、造型への願望はつよいのである。詩は感情の吐露、自然への同化に向って、水が低きにつくように、ながれてはならないのである。それは、見えるもの、手にふれられるもの、重量があり、空間を占めるもの、実在――を意図してきたからである。だから形態は単純に見えても、多岐な時間の回路を持つ内部構成が必然的に要求される。能動的に連繋させながら、予知できぬ断絶をくり返す複雑さが表面張力をつくる。だからわたしたちはピカソの女の顔のように、あらゆるものを同時に見る複眼をもつことが必要だ。中心とはまさに一点だけれど、いくつもの支点をつくり複数の中心を移動させて、詩の増殖と回転を計るのだ。暗示・暗示、ぼやけた光源から美しい影が投影されて、小宇宙が拡がる。」と書いています。引用が少々長くなりましたが、これを読んでもわかるとおり、シュールレアリスムの自動記述の方法や意識の下層部の解放などと近似するところのあるのがわかるでしょう。きわめてユニークなイメージの構築も、読み馴れてくれば、その奥行きの深さ、衝撃性において深くとらえられることになるでしょう。 (原崎孝)

《日本の詩・昭和の詩U》、ほるぷ出版、1975年12月1日


よしおかみのる【吉岡実】

(一九一九〜 )現代の詩人。ショッキングな幻覚的イメージと稠密[ちゆうみつ]で硬質の言語美とを特色とする前衛的な詩風をもつ。▽東京・本所の生れ。商業学校中退。第二次世界大戦前すでに一冊の詩集『液体』(一九四一)を出版しているが、無名の期間が永く、詩壇への登場はずっと遅れた。『静物』(五五)に続く第三詩集『僧侶[そうりよ]』(五八)によってH氏賞を受賞。それを機会に広く紹介されるや、その難解だが魅惑的な作風によってたちまち多くの読者をひきつけ、今日では最も傑出した詩人のひとりとして詩壇にランクされている。詩集に右のほか、『紡錘形』(六二)、『静かな家』(六八)が、歌集に『魚藍』(五九)がある。 (小海永二)

《グランド現代百科事典 20 ヨシ―ン》、学習研究社、1974年1月1日


吉岡実略歴

一九一九年 東京本所に生まれる。
一九四一年 四五年まで軍隊生活。詩集『液体』刊。
一九五一年 筑摩書房に入社。
一九五五年 詩集『静物』私家版百部刊。
一九五六年 ユリイカ周辺の詩人達を知る。
一九五八年 詩集『僧侶』刊。ユリイカ版四百部。
一九五九年 和田陽子と結婚。歌集『魚藍』私家版七○部刊。今日の詩人双書『吉岡実詩集』刊。
一九六二年 詩集『紡錘形』刊。草蝉舎版四百部。
一九六七年 『吉岡実詩集』刊。思潮社。
一九六八年 詩集『静かな家』刊。思潮社版。現代詩文庫『吉岡実詩集』。
一九七三年 『魚藍』新装版。深夜叢書社八百部。同社より初期詩集『昏睡季節』続刊予定。 (無署名)

《魚藍〔新装版〕》、深夜叢書社、1973年8月28日


吉岡 実〔よしおか みのる〕

大正八年―(1919―) 四月一五日、東京の下町、本所業平の職人の家庭に生れる。父紋太郎、母いと。本所高等小学校卒業後、医書出版南山堂に勤めながら、夜間商業に通う。彫刻家を志すも果さず。同宿の書家、佐藤春陵の影響で、短詩型文学に親しみ、試作する。昭和一六年夏、出征。入営直前の二日間、自家版の処女詩集『液体』(一六・一二・一〇)の編集整理に没頭。青春の遺書の心境である。輜重兵として渡満。新京、チチハル、ハルピンを転戦。軍旗際で、シラノ・ド・ベルジュラックを風刺劇として上演、師団長の逆鱗にふれて転属。敗戦を済州島で迎える。二六年、筑摩書房入社。三〇年八月、詩集『静物』(自家版)上梓。詩誌『今日』同人。三三年一一月『僧侶』(書肆ユリイカ)上梓。第九回日本現代詩人会H氏賞を受く。三四年八月『吉岡実詩集』(「今日の詩人双書」書肆ユリイカ)上梓。『鰐』同人。三五年九月『現代日本名詩集大成』第11巻に参加。三七年一月、詩的随想「突堤にて」(『現代詩』)発表、九月、詩集『紡錘形』(草蝉舎)上梓。四二年一〇月『吉岡実詩集』(思潮社)上梓、一一月「わたしの作詩法?」(『詩の本』第二巻、筑摩書房)発表。四三年七月、詩集『静かな家』(思潮社)上梓。四六年一二月、評論「『死児』という絵」(『ユリイカ』)発表。四七年四月、連祷詩「葉」(『ユリイカ』)発表、一〇月、詩「タコ」(『ユリイカ』臨時増刊号・現代詩の実験)発表。なお、三四年に、歌集『魚藍』(自家版)を上梓する。 (千葉宣一)

《現代日本文學大系 93 現代詩集》、筑摩書房、1973年4月5日 


YOSHIOKA MINORU

: born in 1919 in Tokyo, he is one of the leading surrealist poets of the post-war years. His published collections include: Still Life (1955), Buddhist Monk (1958), The Spindle-Shape (1962), and The Quiet House (1968). (無署名)

《New Writing in Japan》、Penguin Books社、1972年〔月日不明〕


吉岡 實

@【本名、出身地、生歿年】東京(大8〜 A【所属又は主なる発表誌その他】鰐B【書名(発行年月、発行所、体裁装幀、挿画、序、跋その他メモ)】昏睡季節(昭15・10、私家版。液體≠フ巻末に、既刊として明記されてあるも不詳)液體(昭16・12、私家版草蝉舎=A菊判〔二一〇×一四八〕函入、自装、あとがき・小林 梁、池田行之、限100)静物(昭30・8、太田大八刊、A5判〔一八八×一三一〕函入)僧侶(昭33・11、書肆ユリイカ、A5判変型〔一九〇×一四五〕、H氏賞)吉岡實詩集今日の詩人双書(昭34・8、書肆ユリイカ、B6判桝型〔一六五×一四七〕、編・解説・篠田一士)紡錘形(昭37・9、思潮社、A5判〔二〇二×一五〇〕函入、挿・真鍋 博)吉岡実詩集(昭42・10、思潮社、B6判〔二三〇×一四二〕函入)静かな家(昭43・7、思潮社、A5判〔二一〇×一四八〕函入、挿・落合 茂)。 (小寺謙吉・佐々木嘉朗)
〔判型の表示は不備が多いので〔 〕内に実測値(=天地×左右ミリメートル)を補記した。なお本体の小寺謙吉・佐々木嘉朗編《現代日本詩書綜覧――昭和戦後篇》には《液體》(カラー)・《静物》・《僧侶》(モノクロ)の書影と書誌を収める。〕

《著者別詩書刊行年次書目〔現代日本詩書綜覧 別巻〕》、名著刊行会、1971年5月8日


吉岡実

@姓名(ルビ):吉岡実[よしおかみのる]A生年月日:一九一九年四月十五日B出身地:東京C最終出身校:商業学校(中退)D主著(発行所、発行年):詩集「静物」私家版(一九五五)詩集「僧侶」書肆ユリイカ(一九五八)E所属同人誌あるいは団体:「鰐」同人F受賞賞名:第九回H氏賞 (無署名)

《戦後詩大系 W》、三一書房、1971年2月15日


吉岡実

吉岡実(よしおか・みのる)氏は詩人。一九一九年(大8)東京生れ。詩集に『液体』『静物』『僧侶』(ユリイカ)『紡錘形』(草蝉舎)『静かな家』(思潮社)『吉岡実詩集』(思潮社)などがあるほか、歌集『魚藍』がある。 (無署名)

《日本読書新聞》、日本出版協会、1970年7月13日


吉岡実〔よしおかみのる〕

(1919〜) 東京・本所に生まれる。商業学校中退。二、三の出版社を経て、その後筑摩書房に勤務。『今日』、『鰐』に参加。詩集に『液体』(昭和十六年)、『静物』(昭和三十年)、『僧侶』(昭和三十三年)、『紡錘形』(昭和三十七年)、『静かな家』(昭和四十三年)等があり、『僧侶』によってH氏賞を受けた。他に歌集『魚藍』がある。 (小海永二)

《日本の詩歌 27 現代詩集》、中央公論社、1970年3月15日


吉岡 実

大正八年四月十五日、東京本所に生れる。商業学校中退。『鰐』に参加、同人に清岡卓行、飯島耕一、大岡信、岩田宏等。詩集『液体』(昭16・草蝉舎)『静物』(昭30・私家版)『僧侶』(昭33・ユリイカ)『紡錘形』(昭37・草蝉舎)『吉岡実詩集』(昭42・思潮社)『静かな家』(昭43・思潮社)、歌集『魚藍』(昭34・私家版)がある。二、三の出版社を経て現在、筑摩書房取締役編集局付。 (無署名)

《日本詩人全集 34 昭和詩集(二)》、新潮社、1969年7月31日


よしおか・みのる

一九一九年東京本所に生まれる。父紋太郎、母いとの三男。少年時代より浅草六区を徘徊する。兄事する書家の影響をうけて、短歌、俳句をつくる。白秋、春夫、直哉、竜之介、有三を愛読。高等小学校を出て、医書出版のN堂に奉公、以来出版関係の仕事に従事して今日に至る。一九四一年八月満州へ出征し、一九四五年終戦をむかえた朝鮮済州島より帰る。一九四一年《液体》刊行。一九五五年《静物》刊行。これより〈鰐〉グループ及ユリイカ周辺の詩人たちを知る。一九五八年《僧侶》刊行。一九五九年歌集《魚藍》刊行。一九六二年《紡錘形》刊行。一九六七年全詩集的な《吉岡実詩集》刊行。一九六八年《静かな家》刊行。 (無署名)

《全集・現代文学の発見 第十三巻 言語空間の探検》、學藝書林、1969年2月10日


吉岡実 よしおか みのる

大正八年―(一九一九年―) 東京本所に生まれる。高等小学校卒業。短歌、俳句を試作したこともある。今次大戦には満州へ出征した。詩風の特色は、硬質の言葉による異様なイメージの造型と、生理的感覚の直接的把握とによって、人間実存の底部の相を表現するところにあり、従って作品には神話性がただようことになる。現代詩の内でももっとも難解な作品を書いてきた。詩集に『液体』(昭一六)、『静物』(昭三〇)、『僧侶』(昭三三、H氏賞受賞詩集)、『紡錘形』(昭三七)、『吉岡実詩集』(昭四二)。 (無署名)

《読解講座 現代詩の鑑賞4――現代詩U》、明治書院、1968年9月5日


よしおか・みのる

一 九一九〜。東京本所の職人の家に生る。小学校のころより浅草六区を徘徊。本所高等小学校卒業後、医書出版南山堂に勤務。それまで家に一冊の本もなく、友人の本を読みあさるのみ。夜学の商業学校に通うも、彫刻家を夢み、また俳句短歌を学ぶ。一九四一年応召。詩集「液体」を自費出版、満洲などに転戦。済州島で終戦、帰国すれば父母は死去。ひとり詩をつくる。一九五一年筑摩書房に入社。「静物」自費出版。詩人たちとの交友。一九五八年詩集「僧侶」を刊行。五九年H氏賞を受賞。 (無署名)

《全集・現代文学の発見 第九巻 性の追求》、學藝書林、1968年2月10日



吉岡 実

よしおか みのる 大正八・四・一五―(一九一九―)詩人。東京に生まれた。商業学校中退。少年時代書家佐藤春陵に兄事し、その影響で北原白秋、佐藤春夫を耽[たん]読、結婚記念の私家版七〇部限定の歌集『魚藍』(昭三四刊)に収録された四七首には、この二詩人の影響が認められる。次いで北園克衛[かつえ]、リルケの詩を読む。昭和一六年、満州への応召に際し青春の遺書として出した詩集『液体』には北園克衛の影響が著しい。済州島で終戦。戦後は萩原[はぎわら]朔[さく]太郎、斎藤茂吉、山口誓子らを愛読し、一人の詩友もない孤独の中で詩作を続け『静物』(昭三〇刊)を刊行。H氏賞を受けた『僧侶』(昭三三刊)は特異な幻覚的影像に充[み]ちた言語構造の中に、虚無感とシニカルな笑いを充満させて大きな反響を呼んだ。「夜はいっそう遠巻きにする/魚のなかに/仮りに置かれた/骨たちが/星のある海をぬけだし/皿[さら]のうえで/ひそかに解体する/燈[あか]りは/他の皿へ移る/そこに生の飢餓は享[う]けつがれる」(『静物』)。昭和初頭にモダニズムが開いた詩風が、この詩人にいたって稀[ま]れに硬度の高い言葉に結晶したのである。三四年清岡卓行[たかゆき]、飯島[いいじま]耕一、岩田宏[ひろし]、大岡信[まこと]らと「鰐」を創刊。他に『吉岡実詩集』(昭三四刊)、『紡錘形』(昭三七刊)がある。 (大岡信)

《新潮日本文学小辞典》、新潮社、1968年1月20日


吉岡實

大正八年、東京本所に生まれる。父紋太郎、母いと。少年時より浅草六区を徘徊する。同居の盛岡の人佐藤春陵の影響をうけて短歌・俳句をつくる。白秋・春夫・直哉を愛読。高等小学校を出て、医書出版南山堂に奉公。中村葉子と出会う。昭和十六年八月、満州へ出征。十二月八日、太平洋戦争勃発。十日、詩集『液体』刊行。昭和二十年八月十五日、終戦。朝鮮済州島より帰る。父母すでに死去。はじめて、朔太郎、茂吉、誓子を読む。太田大八夫妻を知る。同居の画家T・Yの自殺を契機に、T・Iと出会う。昭和三十年『静物』刊行。これより「鰐」グループ及ユリイカ周辺の詩人たちを知る。昭和三十三年、『僧侶』刊行。昭和三十四年、H氏賞を受く。春、和田陽子と結婚。昭和三十七年、『紡錘形』刊行。筑摩書房勤務。 (無署名)

《現代文学大系67・現代詩集》、筑摩書房、1967年12月10日


吉岡 実[よしおか みのる]

大正八年(一九一九)―。東京に生る。
少年時、兄事した書家佐藤春陵の影響で、白秋、春夫を耽読。次いで北園克衛、リルケの詩を読む。昭和一六年満州へ出征、遺書として詩集「液体」を私家版刊行。済州島で終戦。帰還後、朔太郎、茂吉、誓子を愛読、孤独のうちに詩作。のち飯島耕一はじめ「ユリイカ」周辺の詩人達を知る。詩集「静物」(昭和三〇年)「僧侶」(同三三年)「吉岡実詩集」(同三四年)「紡錘形」(同三七年)「僧侶」により第九回H氏賞受賞。現在、筑摩書房勤務。 (無署名)

《現代詩人全集〔第10巻〕戦後U》、角川書店・角川文庫、1963年3月10日


吉岡實

吉岡実(よしおか・みのる)氏は詩人、筑摩書房取締役広告担当。一九一九年(大8)東京生れ、高等小学校卒、南山堂入社後二、三の出版社に勤務、戦後筑摩書房に入る。詩集は「液体」「静物」共に自家版「僧侶」ユリイカ(第9回H賞受賞・59年度)「吉岡実詩集」ユリイカ。「鰐」同人。 (無署名)

《日本読書新聞》、日本出版協会、1961年7月31日


小伝

一九一九年東京本所の職人の家に生れる。父紋太郎、母いと晩年の子。姉・兄の三人兄弟。明徳尋常小学校に入学。このころからよく浅草六区を徘徊。チャンバラ遊びの一方の旗頭。家に一冊の本もなく、友だちの本を読みあさる。本所高等小学校卒業後、医書出版南山堂に奉公。産婦人科図書をみてショックをうける。夜は商業学校へ通う。彫刻家を夢みて果さず。書家佐藤春陵の影響で俳句短歌を試みる。一九四一年夏出征。詩集『液体』自費出版。Y・Nとの恋愛感情も消滅。満州部隊の軍旗祭で、シラノ・ド・ベルジュラックを喜劇化して上演、師団長の逆鱗にふれ転属。済州島で終戦。父母すでに亡し。独り詩をつくる。一九五一年筑摩書房に入社広告を担当。一九五五年詩集『静物』自費出版。T・Iとの四年間の恋愛に終止符。飯島耕一を知り、『今日』に入る。はじめて詩人たちとつきあう。一九五八年詩集『僧侶』刊行。一九五九年五月、和田陽子と結婚。第九回H賞受賞。「鰐」同人。『吉岡実詩集』ユリイカより刊行。 (吉岡実)

《現代日本名詩集大成 11》、東京創元社、1960年9月10日


時の詩人――H賞をもらつた吉岡実

 一九一九年、東京は本所の業平橋に生まれた。今年四十才ジヤスト、新人という年令でもない。享保時代から巣鴨のあたりに家を設けていたというから、三代どころか百数十年来の江戸ツ子である。したがつて故郷がない。兄一人姉一人の三人兄弟だつたが姉ははやくに死んだ。
 少年時代はゴタブンにもれず立川文庫的忍術物語に傾倒したが、業平橋時代、彼の家に下宿していた若いデザイナーの影響で文学にふれるようになつた。築地小劇場で、滝沢修のルカでやつた「どん底」を見たのもこの頃である。その人はいまは書家として立つ、佐藤春陵という人だ。そして、十五・六才の頃には北原白秋などの短歌が好きで、自分でもさかんにつくつた。
 学業なかばで、医学書出版の南山堂に勤めた。そして視野が拡大されるにつれて、新しいものに憧れた。あるとき、「みづゑ」で読んだピカソの詩と、北園克衛の詩におどろき、それから一年ぐらい、夢中でシユルレアリスチツクな詩をつくつた。十九才から二十才にかけてのことである。この間の作品、三十数篇を集めて、一九四一年末、第一詩集『液体』をつくつた。しかし彼自身は同年の夏、召集を受けて満州に渡つていた。コバルト色のインクが指に浸み入りそうなこの詩集は、彼の不在中、太平洋戦争の勃発と同時に刊行されたわけである。
 新京の六七五部隊の軍旗祭で、仲間たちと「シラノ・ド・ベルジユラツク」を飜案上演し、カツサイを博したが、上層部ににらまれ、チチハル、ハルピン、などの部隊を転々として、済州島で終戦をむかえた。それでも陸軍伍長になつていた。
 復員後、二三の出版社の仕事をして、一九五一年いまの筑摩書房に入り、現在、広告部次長の椅子にいる。
 詩はひとりでコツコツ書きつづけ、どのグループにも入らず一九五五年、戦後の作品を集めて詩集『静物』を出した。これが機縁となつて清岡卓行を知り筑摩書房の囑託をしていた飯島耕一を知つた。そして「今日」に参加、現在に到つている。
 一九五三年頃、画家の吉田健男と一緒に住んでいたが、突然吉田が軽井沢で自殺した。すると吉田の初恋の女性があらわれ、この住所も境遇もわからぬ女性とのミスチツクな恋愛が二年ほど続いた。結局、その謎の女は人の妻君でこわれた。彼の四十年の独身生活を彩る奇妙なロマンスである。
 好きなものは、煙草(一日四〇本)、コーヒー(一日二杯以上)、映画(クレマン、ブニユエルなどが印象的だつた)。アルコールにはまつたくヨワイ。小柄な体躯に、修行僧のような額をのせて、けつこうよくしやべる。この五月に、よきアシスタントだつた和田陽子さんと結婚新生活に入る。詩のほうも新しい局面を拓くつもりだという。 (無署名)

《詩学》1959年5月号(14巻6号通号144)、詩学社、1959年5月31日


吉岡實

(1919-)東京生。商業学校中退。『今日』同人。詩集『液体』『静物』『僧侶』。 (無署名)

《アンソロジー抒情詩》、飯塚書店、1959年3月5日


小林 一郎(こばやし いちろう)

1955(昭和30)年 新潟県佐渡郡(現・佐渡市)に生まれ東京で育つ
1973(昭和48)年 吉岡実の詩を知る
1979(昭和54)年 原善や宇佐見森吉らと同人誌《文藝空間》を創刊
1980(昭和55)年 早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業(村上菊一郎教授のもとでアポリネールを学ぶ)
1984(昭和59)年 吉岡実の知遇を得る
《文藝空間》発行人、日本ペンクラブ電子文藝館委員
著書に《詩人としての吉岡実》(文藝空間、2013)ほか
編著に《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第2版〕》(文藝空間、2000)ほか
筆名もろだけんじでの著書に句集《樹霊半束》(文藝空間、1989)ほか
論文に〈個人書誌《吉岡実の詩の世界》をwebサイトにつくる〉(深井人詩編《文献探索2007》、金沢文圃閣、2008)ほか
ウェブサイトに《吉岡実の詩の世界――詩人・装丁家吉岡実の作品と人物の研究》〔2002年開設の本サイトである〕 URLは http://ikoba.d.dooo.jp/
 同サイト内の編纂資料に〈吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第4版〕〉(2017)、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(2019)ほか
メールアドレスは ikoba@jcom.home.ne.jp

Ichiro Kobayashi 小林一郎 was born in 1955, and is the publisher of the journal 『文藝空間』 Literary Space. His publications include 『樹霊半束』 Tree Spirit Semi-Lattice, a collection of haiku published under the name Kenji Moroda. Kobayashi is also the editor of 『吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第2版〕』 The Complete Minoru Yoshioka Poem Title Index, including a revised second edition, and maintains a website devoted to extensively archiving information regarding Minoru Yoshioka:
http://ikoba.d.dooo.jp/

[Five] Factorial , summer 2006

小林一郎、2002年5月31日、吉岡実十三回忌、巣鴨・真性寺の墓前にて 小林一郎、2019年4月15日、吉岡実生誕百年、巣鴨・真性寺の墓前にて
2002年5月31日、吉岡実十三回忌、巣鴨・真性寺の墓前にて(左)と2019年4月15日、吉岡実生誕百年、同処にて(右)


〈吉岡実〉人と作品 了

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