最終更新日2021年8月31日
〈吉岡実書誌〉(平出隆 監修《現代詩読本――特装版 吉岡実》、思潮社、1991年4月15日)の校正紙
昏睡季節 液体 静物 僧侶 魚藍 吉岡實詩集 紡錘形 吉岡実詩集 静かな家 吉岡実詩集 異霊祭 神秘的な時代の詩 Lilac Garden サフラン摘み 新選吉岡実詩集 夏の宴 ポール・クレーの食卓 「死児」という絵 薬玉 吉岡実 Celebration In Darkness 土方巽頌 「死児」という絵〔増補版〕 ムーンドロップ うまやはし日記 現代詩読本・吉岡実 Kusudama 続・吉岡実詩集 吉岡実全詩集 私のうしろを犬が歩いていた 赤鴉 奴草 吉岡実散文抄
耕衣百句 花狩 現代俳句全集 鑑賞現代俳句全集 現代俳句案内 高柳重信全集 美貌の青空
1956年 1959年
1960年 1961年 1962年 1963年 1965年 1967年 1968年 1969年
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1990年
◇本書誌には一九四〇年以降の吉岡実の全著書および被翻訳著書、編纂書、主要な作品収録書(一部、雑誌)、手がけた装丁作品を掲載した。また、全著書および被翻訳著書、編纂書は所蔵本の書影を掲げた(全著書および被翻訳著書、編纂書の〈解題〉は、二〇〇四年五月から二〇〇七年八月にかけて執筆した)。
◇それぞれのタイトルごとに刊行順に配列した。なお◆印は、未見その他による未確認情報を表わす。
◇記載項目および配列は次のとおり。
略号[単行詩集は丸中数字]と略記書名
冠称[原本に記載なき場合は補った]《書名――副書名〔版〕》初刊や再刊の別 刊行年[西暦に統一]月日と発行所(住所 発行者名)〈叢書名叢書番号〉 価格 寸法[変型判が多いので本文用紙の天地×左右(ミリメートル)を採寸した] 総頁数[表紙または見返しで挟まれた全頁の数] 製本製函様式など 発行部数や備考 装画装丁者など[明記されている氏名のみ採用した] 本文表記 本文組体裁や版式など 印刷所製本所など
〔内容〕前付 本文概要
本文題名[使用活字は原則として新字]
後付
◇吉岡実が編集に携わったことが本文その他に明記されている書籍のみ掲載した。
◇記載項目および配列は〈著書目録〉に準じる。
◇吉岡実の作品を収録した編纂書、全集・叢書、洋書・洋雑誌などで〈著書目録〉に記載されていないものから主要な文献を選んで掲載した。
◇記載項目および配列は次のとおり。
書名・雑誌名または全集・叢書名 編(訳)者名 刊行年月 発行所名 ▽収録作品(▼書きおろしの文)題名 *参考文献名=執筆者名
◇一九四一年から一九九〇年までに吉岡実が手がけた装丁作品[自著以外は装丁者名が明記されているか関係者の証言にあるもの]を掲載した。
◇一九五一年から一九七八年までの筑摩書房在社時の同社刊行物には原則的に装丁者名としてクレジットされていないので、本人・関係者の発言にあるものを挙げる(なお◆印は、書誌の編者が実見して吉岡実の装丁だと推定されるもの)。
◇記載項目および配列は次のとおり。
著者名など《書名――副書名〔版〕》(発行所名、発行年月)
*
〔2021年5月31日追記〕
《吉岡実言及書名・作品名索引〔解題付〕》の〈吉岡実簡略書誌〉に、再刊や特装版を除いた吉岡実の著書・被翻訳書、編纂書の簡略書誌――略記号・書名・発行年月日・発行所名――を発行順に掲げてある。丸中数字やパーレンで括った数字、アルファベット(本サイトの文中でも、しばしば説明のためにやむをえず補助的に使用しているが)は、
@ 《昏睡季節》 〔第一詩集〕
L 《赤鴉》 〔第一三詩集扱いだが、詩篇は収録されていない〕
(1) 《吉岡實詩集》 〔第一選詩集〕
(8) 《吉岡実全詩集》 〔第八選詩集扱いだが、全詩篇収録を目途とした〕
I 〈異霊祭〉 〔Ireisai〕
L 《Lilac Garden》 〔Lilac Garden〕
K 《耕衣百句》 〔Koihyakushu〕
S 《「死児」という絵》 〔Sijitoiue〕
C 《Celebration In Darkness》 〔Celebration In Darkness〕
H 《土方巽頌》 〔Hijikatatatsumishou〕
Se 《「死児」という絵〔増補版〕》 〔Sijitoiue enlarged〕
U 《うまやはし日記》 〔Umayahasinikki〕
Ku 《Kusudama》 〔Kusudama〕
W 《私のうしろを犬が歩いていた》 〔Watasinousirowoinugaaruiteita〕
Y 《奴草》 〔Yakkosou〕
YS 《吉岡実散文抄》 〔YosiokaMinoruSanbunshou〕
などと記したときは、この「略記号」だとお考えいただきたい(〔 〕内は略記号の根拠)。なおオリジナルな資料は、著書・被翻訳書が33タイトル、編纂書が7タイトルである(2006年3月末時点)。
詩集《昏睡季節》初刊表紙〔吉岡家蔵本のモノクロコピー〕(左)、同・奥付(中)、詩集《昏睡季節》初刊表紙〔出典:《浪速書林古書目録》第28号、浪速書林、1999年12月20日〕(右)
詩集《昏睡季節》初刊 一九四〇年一〇月一〇日 草蝉舎(東京市本所区厩橋二の一三吉岡方 発行者吉岡実)刊 頒価二円 一七二×一二一 総八〇頁 和紙袋綴 並製フランス装 限定一〇〇部記番(五冊は私家用本非売品) 押印[上掲88番本にあるが、11番本にはない] 本文旧字旧仮名 9ポ一四行組活版 印刷鳳林堂(東京市日本橋区茅場町二の三 印刷者本田鑑一郎)
〔内容〕献辞 〈序歌〉 詩篇計二〇篇 短歌旋頭歌計四六首
春 夏 秋 冬 遊子の歌 朝の硝子 歳月 あるひとへ 七月 白昼消息 臙脂 面紗せる会話 放埒 断章 葛飾哀歌 桐の花 杏菓子 病室 昏睡季節1 昏睡季節2 蜾蠃〔スガル〕鈔(短歌四四首 旋頭歌二首)
奥付 〈手紙にかへて〉を挿む[同文は随想〈わが処女詩集《液体》〉に引用されているが、《吉岡実全詩集》の〈吉岡実詩集覚書〉における翻刻の方が原文の内容に近いと思われる]
詩集《昏睡季節》初刊(11番本)に挿まれていた〈手紙にかへて〉(1940年10月3日脱稿)
出典:〈極稀、吉岡実、処女詩集『昏睡季節』、初版限定100部、昭和15年〉
詩集《昏睡季節》は吉岡実の最初の著作で、一九四〇年一〇月一〇日、二一歳の吉岡を発行人として草蝉舎から自費出版された。「詩集 昏睡季節」とある扉(本文共紙で袋綴じ)の裏に、次の記載がある。
皇紀二六〇〇年
うまやはし版
吉岡實著
冠称の「詩集」は原著のものだが、厳密に言えば詩歌集である。すなわち前半の詩篇の総題が〈昏睡季節〉であり、後半の短歌・旋頭歌の標題が〈蜾蠃〔スガル〕鈔〉、という二部構成になっている。吉岡はある時期まで本書についてまったく触れようとしなかったが、年を経るにつれて言及する機会が増えていった。代表的な部分を二箇所引く。
習作的詩歌集『昏睡季節』の二十篇のなかの三篇〔直前に〈春〉〈夏〉〈白昼消息〉が引用されている〕である。後半は短歌四十七首「蜾蠃〔スガル〕鈔」と名づけた。記憶があいまいだが、蜾蠃はスガルと訓み、ハチの一種。万葉集のなかに「スガルヲトメ」という華麗な表現があったように思う。これを改題したものが、現在の小歌集『魚藍』である。(〈新しい詩への目覚め〉、1975年、《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、八一ページ)私の処女詩集は、《液体》ということになっている。なぜかというと、その前年に印刷された、《昏睡季節》という小冊子があるが、それを秘匿してきたからである。二十篇の詩と四十余首の短歌で成立っている。習作の域を出ない作品集《昏睡季節》を、いまでも私は認知していない。(〈わが処女詩集《液体》〉、1978年、同前、七四ページ)
これらの随想が書かれるまえ、歌集《魚藍〔新装版〕》(深夜叢書社、1973)巻末の〈吉岡実略歴〉に次の記載がある。「一九七三年 『魚藍』新装版。深夜叢書社八百部。同社より初期詩集『昏睡季節』続刊予定」(同書、〔五八ページ〕)。さらに同じページの奥付下にはこうある。「《吉岡実初期作品叢書》T 歌稿篇」。経緯は不明だが、続刊予定の初期詩集は幻に終わった(予告された《昏睡季節》が出ていれば、そこには「《吉岡実初期作品叢書》U 詩稿篇」とでも記されただろうか)。歌集《魚藍〔新装版〕》をめぐって深夜叢書社社主・斎藤慎爾とやりとりするうちに、しだいに吉岡に《昏睡季節》(の詩篇)の封印を解く心情が湧きおこったのかと忖度するばかりだ。
本書は〈断章〉(@・14)がわずかに二行、いちばん長い〈面紗せる会話〉(@・12)でさえ一九行の、吉岡実詩集中いちばん小ぶりな本である。裏表紙のタツノオトシゴは以後のどの草蝉舎本にも見えず、出版元のマークではなさそうだ。表紙書名の書き文字(夢香洲書塾を手伝っていた吉岡本人のものか)や奥付の雅印と同様、マークが誰の手になるのか記されていない。
詩集《昏睡季節》は吉岡実の全著作中、最も稀覯の一書であり、現存する冊数も極少だと思われる。本書を手軽に読めるようになったのは、吉岡の歿後、《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)に全篇が収録されてからである。詩集中では、ギヨーム・アポリネールの「会話詩」を想わせる異色作〈面紗せる会話〉が興味深い。
なお、《昏睡季節》の組版の設計方針に関しては、〈詩集《昏睡季節》の組版〉を参照のこと。
〔2008年9月30日追記〕
上記のように、表紙の「昏睡季節」を書いたのが誰なのか、クレジットがないのではっきりしたことはわからない。だが著者たる者、遺書に代わる書物の題字を他人に書かせることはあるまい。吉岡は詩歌作品を遺すと同時に書作品(この場合、書はほとんど俳句作品に等しい)も遺したとみるべきだ。本書刊行前年の夏、書道雑誌《東邦書策》に掲載された吉岡(雅号「白苔」)の臨書には、随所に処女出版《昏睡季節》の題字に通じる特徴が認められる。おそらく次の著書、詩集《液体》の函・本扉の「液體」も吉岡自身の手になるものだろう。
《東邦書策》(筆華會、1939年8月号)掲載の吉岡実(雅号「白苔」)の書〔モノクロコピー〕
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩歌集《昏睡季節》本文校異〉を参照されたい。
詩集《液体》初刊 (左)函と表紙〔太田大八氏旧蔵本〕(右)奥付〔吉岡家蔵本のモノクロコピー〕
詩集《液体》初刊 一九四一年一二月一〇日 草蝉舎(東京市本所区厩橋二の一三吉岡方 発行者吉岡実)刊 非売品 二一〇×一四八 総五〇頁 並製フランス装 貼函 限定一〇〇部記番(一〇冊は私家用本) 検印 装丁吉岡実 本文旧字旧仮名 五号一七行組活版 印刷大日本印刷株式会社(東京市牛込区市谷加賀町一の一二 印刷者小坂孟)
〔内容〕著者肖像写真 目次 詩篇計三二篇
〈午前の部〉挽歌 花冷えの夜に 朝餐 溶ける花 蒸発 秋の前奏曲 失題 絵本 孤独 牧歌 相聞歌 誕生 乾いた婚姻図 微風 静物 忘れた吹笛の抒情 〈午後の部〉透明な花束 微熱ある夕に 風景 ひやしんす 花遅き日の歌 みどりの朝に――朝の序曲 或る葬曲の断想――墓地にて 失はれた夜の一楽章 灰色の手套 液体T 液体U 午睡 花の肖像 灯る曲線 哀歌 夢の飜訳――紛失した少年の日の唄
〈あとがき〉(小林梁・池田行之) 奥付 〈吉岡実作品集〉
詩集《液体》再刊 本扉と表紙
詩集《液体》再刊 一九七一年九月一〇日 湯川書房(発行者湯川成一)刊〈叢書溶ける魚No.2〉 編集鶴岡善久・政田岑生 定価記載なし 二三一×一四一 総四八頁 並製 本文表紙共紙別漉局紙耳付 折副付函入 二色刷 限定三〇〇部記番 毛筆署名 [別に限定八部の特装本あり] 本文新字新かな 五号一七行組活版 印刷鈴木美術印刷 製本片岡紙工
〔内容〕目次 詩篇計三二篇
詩篇は前掲初刊に同じ(ただし二部構成をやめ〈あとがき〉を除く)
〈覚書〉 奥付
《液体》は吉岡実の第二詩集。《昏睡季節》の一年二カ月後、再び自費で草蝉舎から刊行された。吉岡は〈詩集・ノオト〉に書く。「詩集『液体』は、感傷をぬきにしても、ぼくの青春の遺書といえる。なぜならば、ぼくの二十代の唯一の詩集であり、太平洋戦争の勃発した一九四一年十二月十日に刊行されている。酷寒の満洲で、ぼくは一冊の『液体』をうけとった。馬糞臭い兵隊の手に」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、七二ページ)。口絵の肖像〈著者近影〉は、昭和一四年八月一日の日記「夕食後、近所の写真屋で記念写真を撮る。わが長き髪のために」(《うまやはし日記》、書肆山田、1990、六三ページ)のときのものだろう。出征前に死を覚悟した吉岡は、前詩集《昏睡季節》ではなく本書を遺書とすべく、刊行を決意した。本文原稿と装丁案をとりまとめた吉岡から制作を託されたのが、兄・吉岡長夫と吉岡の友人・小林梁、池田行之である。小林、池田両氏の経歴は未詳だが、《うまやはし日記》等の記述を総合すると、小林氏は西村書店社長・西村知章の知人の甥で、開成館勤務。また、池田行之氏が池田行宇と同一人物だとすると、吉岡の俳句仲間。中村葉子の消息に詳しいところを見ると、南山堂時代の同僚のようだ。兄が予算を預かり、友人たち(二人とも出版人である)が実行部隊を務めた、といったところだろう。
高橋睦郎は句集《奴草》(書肆山田、2003)の〈一つの読み〉で「そして、『液体』はおそらく『昏睡季節』の延長線上にあって、北園克衛のモダニズムからは遠い。吉岡がまがりなりにも北園作品に近づいたのは次の『静物』からであって、そこには卵というフォルムとの出会いがあるだろう」(同書、一三ページ)と、《液体》が北園の影響のもとにあるという通説に異を唱えている。あるいは、吉岡が北園の詩に触発されて書いた詩は、当の北園のモダニズム詩よりは吉岡がそれまで親しんできた俳句にはるかに近い、と言わんとしている。その当否はともかく、《液体》は扱いづらい詩集である。吉岡自身、事実上の処女詩集と言いながら、読者に対しては《吉岡實詩集》(1959)、《吉岡実詩集》(1967)、《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》(1968)と、長らく《液体〔抄〕》の形で提出してきたからである。抄録詩篇は全三二篇中の一二篇、すなわち
挽歌(A・1)/蒸発(A・5)/牧歌(A・10)/乾いた婚姻図(A・13)/忘れた吹笛の抒情(A・16)/風景(A・19)/花遅き日の歌(A・21)/液体T(A・26)/液体U(A・27)/午睡(A・28)/灯る曲線(A・30)/夢の飜訳――紛失した少年の日の唄(A・32)
である。初版刊行のちょうど三〇年後の一九七一年、吉岡は〈叢書溶ける魚No.2〉としてようやく《液体》の全貌を明らかにしたが、わずか三〇〇部の刊行であった。《液体》前後の初期詩集の再録状況を整理してみると、各タイトルに対する吉岡の姿勢がはっきりとする。初版から全篇再録までの年数にご注目いただきたい。
初版(刊行年) | → | 全篇再録(刊行年) | ||
@ | 昏睡季節(1940) | → | (8) | 吉岡実全詩集(1996) |
A | 液体(1941) | → | A | 液体〔再刊〕(1971) |
B | 静物(1955) | → | (1) | 吉岡實詩集(1959) |
初版《液体》は若若しい詩情の発露こそ見られるものの、《静物》や《僧侶》を書いた詩人の戦前の作であるという一点を除いていかなる独自の価値があるかという疑念が、吉岡をして容易に本詩集の全篇再録を許さなかったのではあるまいか。
再刊本では小林、池田両氏の手になる〈あとがき〉(大岡信が吉岡実の追悼文で誉めている)が省かれており、吉岡の「詩には個人的な事情は持ちこみたくない」(《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》、思潮社、1968、一四五ページ)という作品観が貫徹されている。二部構成をやめて一本にした(A→A〔再刊〕)のは、《静物》の二部構成をやめて定本化した(B→(1))のと機を一にしている。こうした点を勘案すれば、再刊本は吉岡が《液体》を処女詩集として認めた証しともとれる。
《液体》には、《昏睡季節》に続いてタイトルポエムが二篇(TとU)収められている(このスタイルは後年、《紡錘形》においても繰りかえされる)。集中では〈風景〉(A・19)が――〈サフラン摘み〉(G・1)の先蹤のごとくに――作品として高い完成度を示している。
なお、《液体》の組版の設計方針に関しては、〈詩集《液體》の組版〉を参照のこと。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《液体》本文校異〉を参照されたい。
詩集《静物》初刊の函と表紙(左)と吉岡実が竹之内静雄(筑摩書房社長〔1966〜72〕)に宛てた同書の本体と函の背(右)
詩集《静物》初刊 一九五五年八月二〇日 私家版(東京都練馬区南町四の六二七九 発行者太田大八)刊 頒価二〇〇円 一八八×一三一 総七四頁 並製フランス装 機械函 限定二〇〇部 [革装本五部(黒二部・赤三部)あり] カット真鍋博[クレジットはないが、真鍋博〈瀧口修造に導かれて〉に依る] 本文旧字旧仮名 五号一一行組活版 印刷製本中央製本印刷株式会社(印刷者草刈親雄)
〔内容〕別丁本扉 目次 詩篇計一七篇
〈T静物〉静物 静物 静物 静物 或る世界 樹 卵 冬の歌 夏の絵 風景 〈U讃歌〉讃歌 挽歌 ジャングル 雪 寓話 犬の肖像 過去
奥付
《静物》は吉岡実の第三詩集にして戦後初の詩集。一九五五年八月二〇日、私家版刊。全篇書きおろし。吉岡は〈詩集・ノオト〉にこう書いている。
詩集『静物』は、一九四九年から七年間の作品十七篇を収めている。ぼくには一人の詩を解する友もなく、発表する機関さえなかった。逆にいえば、友をつくらず、発表の場も求めず、自分で納得できる詩をつくることのみ考えていた。『静物』は一九五五年、二百部自費出版した。無名画家が個展をひらくような期待と不安の裡で。未知の先輩、知己に配った。(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、七三ページ)
戦後の吉岡は俳句仲間と訣別して、ひとり詩作を続けていた。一九四七年九月に初めて詩三篇が雑誌に掲載された翌翌一一月、視点の決まらない吉岡の詩精神は西脇順三郎詩集《あんばるわりあ》と《旅人かへらず》に鮮烈な衝撃を受けた。翌翌四九年八月の「或る場所にある卵ほどさびしいものはないような気がする。これから出来るかぎり〈卵〉を主題にした詩篇を書いてみたいと思う」(《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》、思潮社、1968、一一六ページ)という〈断片・日記抄〉の記述に、詩集《静物》の萌芽を見たい。以後、吉岡は魚籃坂に近い麻布豊岡町の下宿の細長い部屋で、ひそかに、職人が器物を造るように、霊感に頼ることなく、手仕事を続けた。
《静物》は、四篇の〈静物〉(B・1〜4)を巻頭に据え、〈過去〉(B・17)を巻末に置いている(〈寓話〉(B・15)の末尾に「一九五五・三・五.」と稿本中唯一、脱稿日らしき記述があるものの、最新作か断定できない)。吉岡はこの詩集で詩作を辞めるつもりだったと後に告白しているが、《静物》を一読した飯島耕一から同人詩誌《今日》に入ることを奨められ、その後は《ユリイカ》周辺の詩人たちと親交を結んだ。
自ら「私にとって真の出発ともいうべき、詩集『静物』」(《「死児」という絵〔増補版〕》、一〇一ページ)、「私のデビュー作ともいうべき、詩集《静物》」(同前、一七六ページ)と語るように、詩人・吉岡実の誕生を宣言したのがこの詩集である。〈静物〉の秋や〈冬の歌〉(B・8)、〈雪〉(B・14)の冬とともに、〈卵〉(B・7)、〈夏の絵〉(B・9)の夏が、孤独な魂の宇宙のように巡る。
吉岡実自筆の《静物》稿本は、東京・目黒の日本近代文学館に寄贈されている。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《静物》本文校異〉を参照されたい。
詩集《僧侶》初刊 一九五八年一一月二〇日 書肆ユリイカ(東京都新宿区上落合二の五四〇 発行者伊達得夫)刊 定価三〇〇円 一九〇×一四五 総九八頁 上製角背クロス装 機械函に貼題簽(写真奈良原一高) 限定四〇〇部 本文旧字新かな 五号一三行組活版 印刷中央精版印刷株式会社(印刷者草刈親雄)
〔内容〕別丁本扉 目次 創作期間「1956〜1958」 詩篇計一九篇
喜劇 告白 島 仕事 伝説 冬の絵 牧歌 僧侶 単純 夏 固形 回復 苦力 聖家族 喪服 美しい旅 人質 感傷 死児
〈作品・発表〉 著書目録 奥付
《僧侶》は吉岡実の第四詩集。一九五八年一一月二〇日、書肆ユリイカ刊。全一九篇のうち五篇が書きおろしで、雑誌に発表された詩篇は〈告白〉(一九五六年四月)から〈聖家族〉(一九五八年七月)に至る一四篇。吉岡は大岡信との対話で当時をこう振りかえっている。「『静物』を出して、大岡、飯島〔耕一〕、清岡〔卓行〕、そういう人たちに会って書き出した。それからもうひとつ、恋愛をしましてね。その間は詩なんて書かない、詩より良きものだものね、その方が。もう夢中で……。〔……〕極端にいやぁ裏切られたというか、フラれたというのか、とにかく破滅になった。そこから出てきたのが人間不信の『僧侶』じゃないかな。〔……〕『僧侶』に人間が出ているかどうか知らんけど、もう物ではなく人間の痛みらしきものが、表現されているといえるね」(《ユリイカ》、1973年9月号、一五一〜一五二ページ)。
静物=「物」から僧侶=「人」へ。この時期の吉岡実詩をそう要約できよう。本詩集を代表するのが、〈僧侶〉(C・8)と〈死児〉(C・19)の二篇である。〈僧侶〉はリフレインを多用した、吉岡実詩中の異色作にして代表作。〈死児〉は自愛の長篇詩。吉岡はその〈作品ノート〉で「詩の一聯が出来ると彼女を呼び浄書をたのんだ。〔……〕彼女が片っぱしから浄書してくれなかったら、「死児」はもっとぼくの手入が加えられ、別のものになっていたろう」(《日本詩集》、書肆ユリイカ、1960、二二九ページ)と述べており、これ以降、吉岡の詩は陽子夫人が浄書して入稿する習いとなった。
《僧侶》のもうひとつの特徴は、半数近い九篇を数える散文詩型である。散文詩は続く《紡錘形》と《静かな家》でも見られるが、《神秘的な時代の詩》は行分けの詩だけになり、以降は部分的にしか用いられていない。さらに〈告白〉(C・2)など八篇に、「ぼく」や「わたし」などの主格が立てられている。それらの散文詩と主格の詩という「地」の上に、眼も絢な〈僧侶〉や〈苦力〉(C・13)、〈死児〉といった行分け詩篇が「図」を成しているのが、本詩集である。
函には吉岡の単行詩集中唯一、写真が用いられている。木靴製作用の型を吊るした窓辺は、奈良原一高が一九五八年に北海道・当別のトラピスト男子修道院で撮影した《王国》の一点。掲載写真は《中央公論》同年九月号発表の〈王国 その2 沈黙の園〉には見えないが、映画《薔薇の名前》(1986)を先取りしたような〈沈黙の園〉以上に《僧侶》の装丁にふさわしい写真はない。
詩集《僧侶》は第九回H氏賞を受賞して、吉岡実の名を詩壇の内外に知らしめた。
〔2015年2月28日追記〕
《奈良原一高 王国》展(東京国立近代美術館、2014年11月18日〜2015年3月1日)に上記の写真〈沈黙の園[15]〉が出品された。同展の〈会場ガイド〉というB4三つ折りの印刷物から引く。
「王国」は1958年9月に個展(富士フォトサロン、東京)で発表された奈良原一高(1931年生まれ)の初期作品です。作品の一部は、展覧会に先立ち、『中央公論』1958年9月号巻頭のグラビアページにおいて発表されていました。
〔……〕
その後「王国」は、二度にわたって写真集としてまとめられています。一度目は1971年、中央公論社が刊行を開始した「映像の現代」シリーズの第1巻として刊行された写真集『王国』です。そして1978年、朝日ソノラマ社の「ソノラマ写真選書」シリーズの第9巻として、『王国―沈黙の園・壁の中―』が刊行されました。
〔……〕1978年の写真集では〔……〕、それまでほぼ均等に扱われていた二つのパートのうち、第一部により比重を置いた構成へと変化しています。今回の展覧会で紹介する87点の作品は、この1978年の写真集の内容を、ほぼ踏襲するものです。(増田玲〈「王国」について〉)
同印刷物の〈出品リスト〉から〈沈黙の園[15]〉の記載および註記を引く。
題名:沈黙の園 Garden of Silence[15] 撮影年:1958 プリント年:1997 寸法:37.8×47.7(40.6×50.8)cm 中央公論1958年9月号:[掲載なし] 写真集『王国』1971:[掲載なし] 写真集『王国―沈黙の園・壁の中―』1978:●* 作品番号:Ph1880
※所蔵はすべて東京国立近代美術館(株式会社ニコン寄贈) ※技法はすべてゼラチン・シルバー・プリント ※寸法はイメージ寸法縦×同横(プリント寸法縦×同横) ※雑誌、写真集への掲載情報のうち、●は掲載あり ※[*]は別カットが掲載されていることを示す。
《奈良原一高 王国》展カタログ(東京国立近代美術館、2014年11月18日)掲載の〈沈黙の園[15]〉(同書、二九ページ)は、ゼラチン・シルバー・プリントのイメージに較べて左端がわずかにトリミングされている(天地と右端はほとんど同じ)。画像の引用は控えるが、上掲の寸法からわかるとおり、このプリントは横位置の写真である。それが《僧侶》の函で縦位置になるようトリミングされているのは、写真スペースを貼題簽の書名・著者名・出版社名の白地と同じにしたことによる。本文の組指定や本体の装丁は吉岡の手になると思われるが、函のデザインは伊達得夫主導だったのではあるまいか。それにしても、《王国》展の会期が1958年9月9日から15日までだから、伊達の早技には目を瞠らされる。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《僧侶》本文校異〉を参照されたい。
歌集《魚藍》初刊の表紙(左)と同書の奥付〔吉岡家蔵本のモノクロコピー〕(右)
歌集《魚藍》初刊 一九五九年五月九日 私家版(発行者和田陽子)刊 非売品 一五一×一〇四 総二八頁 並製フランス装 限定七〇部(ナンバリングマシンで記番) 本文新字旧仮名 五号二行組活版
〔内容〕@《昏睡季節》の〈序歌〉と短歌四四首旋頭歌二首に同じ
〈あとがき〉 奥付
歌集《魚藍〔新装版〕》の「緑」のおもて表紙と「藤」のおもてとうら表紙
歌集《魚藍〔新装版〕》 一九七三年八月二八日 深夜叢書社(東京都杉並区阿佐谷北三の一九の五 発行者斎藤慎爾)刊〈《吉岡実初期作品叢書》T 歌稿篇〉 定価一〇〇〇円 一八二×一二一 総五八頁 上製角背紙装(表紙に緑色の地に図をスミ刷り[書体:ゴチック]と藤色の地に図を青刷り[書体:明朝をスミ刷り]の二種類あり) 帯(文中井英夫) 限定八〇〇部 装丁橋本真理 本文新字旧仮名 12ポ二行組活版
〔内容〕別丁本扉
〈序歌〉を含め作品は前掲初刊に同じ
〈初版あとがき〉 〈救済を願う時――わが十代の歌集《魚藍》のことなど〉 〈後書〉 奥付(含略歴)
吉岡実は短歌を詠むことから文学活動を始めた。作品を書きためた誰もがそうであるように、やがて歌集をまとめたいと望んだ。
「〔昭和十四年(一九三九)〕九月十二日 歌集『蜾蠃〔スガル〕抄』を出したいと思う」(《うまやはし日記》、書肆山田、1990、七四ページ)。「十二月二十四日 処女歌集『歔欷』と決める」(同前、一〇三ページ)。
しかし吉岡の関心が詩作へと移ったため、歌集は実現しなかった。歌稿〈歔欷〉はその後、稿本詩集《赤鴉》の一部となった(刊行は二〇〇二年、弧木洞から)。一九四〇年の初夏、臨時召集を受けた吉岡は《赤鴉》中の詩と歌を編集して、詩篇二〇篇と短歌旋頭歌四六首から成る《昏睡季節》を一〇月に刊行した。同書後半の和歌こそ〈歔欷〉ならぬ〈蜾蠃〔スガル〕鈔〉である。
戦後、ひとり詩作を続けた吉岡は、短歌をつくることはなかった。詩集《静物》(私家版、1955)、《僧侶》(書肆ユリイカ、1958)と着実に地歩を築いて、一九五九年に結婚。妻となる和田陽子を発行人として、〈蜾蠃〔スガル〕鈔〉を歌集《魚藍》と改題、刊行した。本書の誕生である。吉岡実四〇歳の誕生日の日付(「一九五九・四・一五」)が記された〈あとがき〉にすべてが尽くされているので、全文を引こう。
歌集「魚藍」はぼくの十代後半の作品です。その頃、愛読した岩波文庫の「佐藤春夫詩鈔」、改造文庫の北原白秋歌集「花樫」の影響を認めることができます。/いまさら発表することもないのですが、ここに小部数を印刷して、晩婚の記念としてくばります。(同書、二七ページ)
吉岡は〈救済を願う時――わが十代の歌集《魚藍》のことなど〉をはじめとする随想でたびたび本書に言及しているので、ここでは未刊行散文から貴重な証言を引く。《東京新聞(夕刊)》(1972年8月1日)の〈風信〉の前半部分である。
「初夏のある午後、那珂太郎がたずねてきた。彼は大きな皮鞄のなかを、かきまわしていたが、やがて文庫判型の小冊子を取りだして、私の前へ置いた。それは私の唯一の歌集《魚藍》であった。/昭和三十四年の春、私の晩婚を祝ってくれる少数の縁者・友人へのお礼と記念のしるしとして、《魚藍》七十部をつくった。それを製作してくれたのは、今は亡き伊達得夫であった。本文二十八頁に、若書きの短歌四十七首が和紙に刷られている。わが家にはNO2の一冊があるだけだ。/那珂太郎の持ってきたのは、驚いたことに本文が洋紙の番外本で、私の初めて見るものだった。恐らく伊達得夫がいたずらに四、五冊つくったものだろうか。/私はこの奇遇をよろこび次の一首を見返しに書いた。
波とどろ岩根黝苔(くろごけ)潮たれ舟虫ひかり夏はきにけり」
本書はその後、《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》(思潮社、1968)、《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)に収められ、広く読まれることになった。新装版(深夜叢書社、1973)がある。
〔2014年10月31日追記〕
先日、神田・神保町の田村書店で歌集《魚藍》初刊を見つけた。上記のとおり、本書は結婚式の引き出物に相当する書物だけに、よほどのことがなければ貰った本人が手放すことはないだろう。《日本の古本屋》では玉英堂書店に在庫があって(「吉岡実、和田陽子発行、昭34、1冊/私家版70部 著者自装 非売品 三方少シミ 元パラ 拵帙」)、垂涎の一冊だったが、いかんせん「151,200円」という値段に長いこと二の足を踏んでいた。ネットで注文するのも恐ろしいので、同店の稀覯書売り場で見せてもらった。(玉英堂が)帙を拵えるだけあって、丁寧に保管された良好なコンディションの「57」番本だった(「三方少シミ」は気にならない)。一方、同じ日に田村書店で見た同書(おそらくは配られたままで保存されてきた一本)は、三方だけでなく本文の小口や天地にもシミはあるものの、50年も経てばあって当然の変化だろう。こちらは「18」番本で、価格は65,000円とあって、購入に踏みきった。店主の奥平さんに訊くと、前の所蔵者は不明。吉岡さんは変な人(詩人としての付きあいではない人、の意)にもあげているし、奥さんの関係の人かもしれないとのこと。「57」番本にも「18」番本にも献呈は記されていなかったから、結婚式の出席者にはこの状態で渡ったのだろう。70部すべてが引き出物だったわけではないらしく、「篠田一士さんの処の本には献呈が書かれていた」―「結婚式には出なかった?」―「そうなんだろうね」。ところで、表紙に藍色で刷られた河豚のカットには「ma」とサインがあって、〈吉岡実と落合茂〉に書いた《魚藍》の「細密な河豚の装画は、当時の詩集を一手に引きうけていた真鍋博だろうか」は真鍋の作と断定していいと思う。本書の造本を「並製フランス装」と記したのには説明が要る。まず本文だが、1折りが8ページの折り3つ(8×3で24ページ)を糸でかがり、そこに二つに折った4ページを糊付けしてある。これを、本文の和紙よりもはるかに厚手の緑色の洋紙の見返しが挟む。表紙は見返しより少し厚めの洋紙にグラシン(玉英堂書店の仕様に「元パラ」とあるもの)をかけて、まず天地を35ミリほど折りこんで、小口はそれを40ミリ弱折りかえす。折りかえした部分が天地にはみ出さないように斜めにカットしてあるのは、伊達得夫の丁寧な仕事ぶりだ。このグラシンでくるんだ表紙を、本体の背と、(本体を挟んだ)見返しのきき紙の小口に糊付けする(いわゆる「口糊」)。小口のグラシンは表紙には接着されていないため、本の開き具合はスムーズだ。寡聞にして、この製本の呼び名はおろか同じ製法の本を知らない。それゆえ「並製フランス装」が最適と思えないが、次善の呼び名として掲げた。なお本書の束は約3ミリだが、背には「吉 岡 実 歌集 魚 藍」と9ポ明朝できっちりと印刷されている。残念なことに、本文「ゆく秋や古き水車のちるしづくその草の辺を鶺鴒のとぶ」冒頭の「ゆ」が右に90度転倒している。
《吉岡實詩集》初刊 表紙
《吉岡實詩集》初刊 一九五九年八月一〇日 書肆ユリイカ(東京都新宿区上落合二の五四〇 発行者伊達得夫)刊〈今日の詩人双書5〉 定価三〇〇円 編集解説篠田一士 一六五×一四七 総一五二頁 並製フランス装 帯 表紙フォトコラージュ浜田伊津子 本文新字新かな 9ポ一八行組活版 錦美堂整版
〔内容〕著者肖像写真(雨宮俊夫) 目次 〈詩的言語についての三つの断章〉(篠田一士) 詩篇計五四篇
T 液体(1940〜1941)〔抄〕挽歌/蒸発/牧歌/乾いた婚姻図/忘れた吹笛の抒情/風景/花遅き日の歌/液体T/液体U/午睡/灯る曲線/夢の飜訳――紛失した少年の日の唄
U 静物(1949〜1955)〔全〕 T・Uの区分なし
V 僧侶(1956〜1958)〔全〕
W 未刊詩篇 ポール・クレーの食卓/ライラック・ガーデン/サーカス/無罪・有罪/老人頌/果物の終り
〈詩集・ノオト〉 奥付 奥付裏広告
書肆ユリイカ版《吉岡實詩集》が刊行された一九五九年は、吉岡実が広く詩壇の外にも認知された記念すべき年である。この年の主な出来事を年譜から抄すれば、以下のようになる。
篠田一士は《ユリイカ》九月号に〈詩的言語についての三つの断章〉を書いていて、これが上記の《吉岡實詩集》解説の初出となっている。《ユリイカ》への掲載には本書のプロモーションの意味もあっただろう。いずれにしても、H氏賞受賞を機に吉岡実詩(とりわけ詩集《僧侶》の本文)は読者に待望されていたから、《吉岡實詩集》は時宜に適った企画出版となったわけである。
ときに〈今日の詩人双書〉は全部で七冊が刊行されている(山本太郎・安東次男・吉本隆明・黒田三郎・吉岡・飯島耕一・大岡信)。《鰐》同人のうち、岩田宏・清岡卓行の巻が見えないが、これには発行人の伊達得夫が一九六一年一月に急逝したことも与っていよう。伊達の死後、《鰐》は発行所を書肆ユリイカから鰐の会に移して一九六二年九月に最後の一〇号を発行している(吉岡は佳篇〈劇のためのト書の試み〉(E・1)を発表)。なお、本書口絵にある吉岡の肖像写真の撮影は「雨宮俊夫」とクレジットされているが、大岡信に依れば雨宮俊夫は伊達が稀に用いたペンネームである(伊達得夫《詩人たち――ユリイカ抄〔エディター叢書〕》日本エディタースクール出版部、1971、二一九ページ参照)。
吉岡が随想〈飯島耕一と出会う〉を「伊達得夫の経営していた書肆ユリイカから、一九五九年の夏、〈今日の詩人叢書〉の一冊として、私の総合詩集が刊行されている。そのあとがきの替りに書いた「詩集・ノオト」の一節に「偶然の機会で飯島耕一と知合った。まさに出会いであり一つの運命だと思う。」とある」(《「死児」という絵〔増補版〕》筑摩書房、1988、二一一ページ)と書きはじめているように、本書は詩人として世に出た時期の吉岡実詩の全貌を示して余りある。すなわち、戦前刊行の《液体》抄録(このときの詩篇の選出は一九六七年の総合詩集《吉岡実詩集》、一九六八年の《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》へと継承されていく)、戦後の全詩集(《静物》と《僧侶》)、全未刊詩篇(ただし〈遅い恋〉(未刊詩篇・7)、〈唱歌〉(I・4)、〈下痢〉(D・3)の三篇を除く)を収録している。本書を当時の吉岡実詩のショウケースと呼ぶ所以である。
本書がどのように受けとられたかは、種村季弘の〈吉岡実のための覚え書〉を読むに如くはない。その一節に「「吉岡実詩集」に、とりわけ「静物」にめぐり遭ったのは、こうした環境のなかでだった。見知らぬ一人の独身者詩人の声は、私の部屋のなかへ、濁水に落ちる明礬のように落ちてきて、その手のつけようのない混乱のなかにひそむ孤独の透明な構造を発いてくれた」(《続・吉岡実詩集〔現代詩文庫129〕》思潮社、1995、一四三ページ)とある。
特記事項として、本書には奥付発行日がまったく同じ「1959年8月10日」でありながら、少なく見積もって@初刷りA後刷りBさらに後刷り、の3種類の異なる刷りの本が存在する。詳しくは別稿
・吉岡実詩集《僧侶》本文校異(2008年11月30日)の末尾
・吉岡実詩集《静物》本文校異(2011年7月31日)の〔追記〕《吉岡實詩集》における《静物》本文の問題点
を参照されたい。なお下に掲げた4冊の表紙写真は、左から@〔帯つき〕・@〔帯なし〕、@〔中村書店本〕・A〔田村書店本〕。
《吉岡實詩集》初刊(帯つき初刷りと帯なし初刷り)表紙(左)と《吉岡實詩集》初刊(初刷り〔中村書店本〕と後刷り〔田村書店本〕)表紙(右)
詩集《紡錘形》初刊 一九六二年九月九日 草蝉舎(東京都北区滝野川七の三公団滝野川アパート四〇四 発行者吉岡陽子)刊 思潮社(東京都千代田区神田神保町一の三)発売 定価四〇〇円 二〇二×一五〇 総八六頁 並製フランス装 機械函 限定四〇〇部 カット真鍋博 本文旧字新かな 10ポ一三行組活版 印刷株式会社精興社 製本株式会社鈴木製本所
〔内容〕別丁本扉 目次 創作期間「1959〜1962」 詩篇計二二篇
老人頌 果物の終り 下痢 紡錘形T 紡錘形U 陰画 裸婦 編物する女 呪婚歌 田舎 首長族の病気 冬の休暇 水のもりあがり 巫女――あるいは省察 鎮魂歌 衣鉢 受難 狩られる女――ミロの絵から 寄港 灯台にて 沼・秋の絵 修正と省略
〈作品・発表〉 著書目録 奥付
《紡錘形》は吉岡実の第五詩集。一九六二年九月九日、草蝉舎刊、思潮社発売。全二二篇が、五九年一月から六二年三月にかけて、雑誌や新聞に発表されている。《僧侶》(書肆ユリイカ、1958)を刊行してH氏賞を受賞した吉岡は一躍時の人となり、執筆の依頼が増えた。吉岡の小特集を組んだ《文學界》の一九五九年一一月号には〈陰画〉(D・6)と〈裸婦〉(D・7)を寄せている。上記創作期間中に発表されながら生前未刊行、もしくは拾遺詩集《ポール・クレーの食卓》(書肆山田、1980)に収められた作品は九篇にのぼる(後出〈波よ永遠に止れ〉も単行詩集には未収録)。この間で最も重要な出来事が、飯島耕一・岩田宏・大岡信・清岡卓行とによる同人詩誌《鰐》の創刊である。吉岡は創刊号の〈下痢〉(D・3)から終刊一〇号の〈劇のためのト書の試み〉(E・1)まで、ほぼ毎号計八篇の作品を寄せている。
本詩集の作風は基本的に前詩集の延長線上にあるが、吉岡は《紡錘形》に収められなかった二篇――〈波よ永遠に止れ〉(《ユリイカ》1960年6月号)と〈突堤にて〉(《現代詩》1962年1月号)――で果敢な挑戦をしている。長篇詩〈波よ永遠に止れ〉は自身の中国大陸での体験をヘディンの冒険譚に仮託した吉岡最長の詩篇。一九六〇年五月、NHKラジオ《放送詩集》で朗読された。詩的散文〈突堤にて〉は吉岡が書いた最も想像的な散文作品で、吉岡実の「海浜物」を代表する一篇(ただし、後年は随想の扱いを受けている)。
《紡錘形》を代表する詩は、吉岡の文体と題材の流体とがせめぎあう〈水のもりあがり〉(D・13)だろう。自作についての〈三つの想い出の詩〉(《吉岡実〔現代の詩人1〕》、中央公論社、1984)に〈沼・秋の絵〉(D・21)と〈修正と省略〉(D・22)の解説があるが、ここでは〈灯台にて〉(D・20)の〈作品ノート〉の全文を引こう。「「灯台にて」は、詩に倦怠をおぼえはじめた時期の作品で、たいへん難儀をしながら書いた記憶がある。主題は、一言でいえば、戦争のために、青春期を失った一人の男の心の姿である」(《日本詩集1962》、国文社、1962年12月15日、二〇四ページ)。
《紡錘形》では、再び装丁にフランス装が採用された(なぜ《僧侶》本扉のカットは「紡錘形」だったのだろう)。旧字を使用した本文の印刷は精興社で、黄金期の活版印刷の姿を今にとどめる。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《紡錘形》本文校異〉を参照されたい。
《吉岡実詩集》初刊 函と表紙
《吉岡実詩集》初刊 一九六七年一〇月一日 思潮社(東京都文京区西片一の一四の一〇の一〇三 発行者小田久郎)刊 定価一八〇〇円 二三〇×一四二 総三七〇頁 並製フランス装 貼函 [出版社の告知によれば本文用紙にロストンカラーのブルーを使用した別刷五部あり] ブックデザイン杉浦康平 本文新字新かな 9ポ一四行組活版「活字―本文・岩田母型九ポ明朝行間十二ポ全角アキ ノンブル・晃文堂六ポセンチュリイオールド/用紙―本文・神崎製紙ロストンカラー白九〇K/表紙・特種製紙マーメイドリップル厚口 見返・日清紡績NTケント」 印刷若葉印刷 製本岩佐製本 製函永井製凾
〔内容〕別丁本扉 目次 詩篇計八七篇
1 静物 1949‐55〔全〕
2 僧侶 1956‐58〔全〕
3 紡錘形 1959‐62〔全〕
4 静かな家 1962‐66〔全〕 後出E《静かな家》初刊参照
5 波よ永遠に止れ 1960
6 液体 1940‐41〔抄〕 (1)《吉岡實詩集》の抄録詩篇に同じ
〈あとがき〉 奥付
《吉岡実詩集〔普及版〕》 函と表紙
《吉岡実詩集〔普及版〕》 一九七〇年二月一五日 思潮社(東京都新宿区市谷砂土原町三の一五 発行者小田久郎)刊 定価一二〇〇円 二二八×一四二 総三四六頁 並製がんだれ装 機械函 ブックデザイン杉浦康平 本文新字新かな 9ポ一四行組活版 「活字―本文・岩田母型九ポ明朝行間十二ポ全角アキ ノンブル・晃文堂六ポセンチュリイオールド/用紙―本文・神崎製紙特金桐菊T四八K/表紙・特種製紙マーメイドリップル厚口 見返・日清紡績NTケント」 印刷八光印刷 製本岩佐製本 製函岡本紙器
〔内容〕別丁本扉 目次 詩篇計八六篇
詩篇は前掲元版(2)《吉岡実詩集》初刊に同じ(ただし〈波よ永遠に止れ〉を除く)
〈あとがき〉 奥付
《吉岡実詩集》は刊行当時における吉岡実の総合詩集。戦後の詩集《静物》、《僧侶》、《紡錘形》を全篇収録し、戦前の詩集《液体》を抄録したほか、未刊詩集《静かな家》全篇と、同じく未刊の長篇詩〈波よ永遠に止れ〉を含む計八七の詩篇を収める(吉岡実は生前に全二八四篇の詩を発表しているから、その三〇パーセント強にあたる)。本書刊行と機を一にして、《現代詩手帖》一九六七年一〇月号が吉岡実特集を組んでおり、吉岡実詩はここに至って一九五九年以来の注目を浴びることとなった。
〈大波小波〉がフェリックスの署名で〈進境めざましい詩人吉岡実〉と題してこう評している。「吉岡ほど日本語を酷使し、変容させた詩人もめずらしいが、同時にまた、そのにがい痕跡(こんせき)をのこすことなく、たおやかな肢態(したい)をいつもあらわにみせてくれる点はおどろくべきことである。「万延元年のフットボール」の大江健三郎が吉岡に羨望(せんぼう)の目をむけるのも無理からぬことだろう」(《東京新聞〔夕刊〕》1967年10月10日)。
本詩集刊行の背後に、吉岡実の再生志向を見たい。〈詩集《静かな家》解題〉でも触れているように、吉岡はなかじきりとしてこの総合詩集をまとめることで次のフェーズに入る宣言をした(実際には《静かな家》の後の詩集《神秘的な時代の詩》まで、その助走期間は続くことになるのだが)。詩集《紡錘形》(草蝉舎、1962)の発売を担当して以来、関係性を深めていた思潮社からの慫慂があったとはいえ、五〇歳を前にした吉岡が本書を契機に変貌しようとしていた事実は紛れもない。
本書は造本面でも特筆される。ブックデザインに杉浦康平を起用することで、吉岡実の自装本とは異なる新生面を打ちだした。塚本邦雄が「豪華本、杉浦康平デザインは目次までが秀抜、あとは意匠枯淡にすぎてさびしい。もつとも宇野亜喜良の陰惨なカットなどつけたら相殺されて却つて無意味にもなるだらうが」(《麒麟騎手――寺山修司論・書簡集》、新書館、1974年7月10日、二四一ページ)と書くように、本文組には吉岡の意見が少なからず反映されている。天アキを少しでも広くとろうとして、杉浦とのあいだで一ミリメートルをめぐる攻防があったと、吉岡から聞いたことがある。
すみずみにまで気を配ったこの吉岡実の総合詩集であるが、惜しむらくは〈聖母頌〉の標題が目次において〈聖母頒〉と誤植されている。
詩集《静かな家》初刊 一九六八年七月二三日 思潮社(東京都文京区西片一の一四の一〇 発行者小田久郎)刊 定価九〇〇円 二一〇×一四八 総九〇頁 本文は(2)《吉岡実詩集》の組版を流用 二色刷 並製フランス装 機械函 限定二七〇部 装画落合茂 本文新字新かな 9ポ一四行組活版 印刷若葉印刷社 製本岩佐製本所
〔内容〕別丁本扉 目次 創作期間「1962―66」 詩篇計一六篇
劇のためのト書の試み 無罪・有罪 珈琲 模写――或はクートの絵から 馬・春の絵 聖母頌 滞在 桃――或はヴィクトリー やさしい放火魔 春のオーロラ スープはさめる 内的な恋唄 ヒラメ 孤独なオートバイ 恋する絵 静かな家
奥付
《静かな家》は吉岡実の第六詩集。全一六篇が、一九五九年三月(〈無罪・有罪〉E・2)から一九六七年二月(〈恋する絵〉E・15)にかけて、雑誌に発表された。単行詩集は一九六八年七月二三日、思潮社刊だが、これより先に《吉岡実詩集》(思潮社、1967年10月1日)に新詩集として収められている。《静かな家》の単行詩集がこの時期に出ているのは、《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》(思潮社、1968年9月1日)の刊行が迫っていたためと思われる。――《現代詩手帖》編集人・八木忠栄の〈1967年 日録〉の「8月30日(水)」に「〔吉岡は〕選詩集については、全詩集との関係から来年でもいいというこだわりが幾分あるみたい。」(《「現代詩手帖」編集長日録 1965-1969》思潮社、2011年9月15日、一〇三〜一〇四ページ)とあるから、編集側は選詩集=《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕を全詩集=《吉岡実詩集》と同年の刊行に設定していたか。とすると、単行詩集《静かな家》が出るまえに選詩集の〔抄〕13篇が出かねなかったことになる。
前詩集《紡錘形》(草蝉舎、1962)巻末の〈修正と省略〉(D・22)で「見方によれば みごとな老人へと修正される喜びを」と書いた吉岡は、《吉岡実詩集》刊行の一年前、アンケート〈私のこれからの仕事の予定〉に「「吉岡実詩集」(新詩集「静かな家」を含む全詩集)を出すこと」(《詩と批評》1966年10月号、九五ページ)と答えて、この詩集で自らの「中年期」を総括することを決していた。
吉岡はその《吉岡実詩集》のあとがきに「校正すべく、自己の詩をよみながら、たえず停滞感を味わった。わたしは今、反省とある種の意図を試みようとしている」(〈詩集・ノオト〉、前掲書、三六四ページ)と書いて、次のフェーズに入ることを宣言した。詩集《僧侶》(書肆ユリイカ、1958)を頂点とする「前期吉岡実」――引用句も引用符もなく、固有名詞も登場せず、吉岡実内部の語彙だけで成立するモノクロームの世界――の終局を本詩集に見たい。《静かな家》を代表する詩篇は〈やさしい放火魔〉(E・9)や〈孤独なオートバイ〉(E・14)といった「走る」作品だが、〈滞在〉(E・7)や〈桃――或はヴィクトリー〉(E・8)などの「停まる」作品の存在も忘れがたい。
吉岡陽子は〈日本のブックデザイン展1946―95〉(ギンザ・グラフィック・ギャラリーにて、一九九五年二月)で「生前、夫に「僕の詩集のなかでどれが一番好き?」と聞かれると私は迷わず『静かな家』と言った。昭和43年に作った限定270部フランス装の細やかな詩集。芥子色の函と扉に落合茂さんの羊と馬の楕円形のカット。表紙の若草色の唐草模様の輪の中にも、羊と馬が隠れている。夫の他愛のない悪戯。私たちの干支は未と午なのだ。」と書いて、装画の意図を明らかにしている。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《静かな家》本文校異〉を参照されたい。
《吉岡実詩集》 初刊の表表紙と第16刷(2000年6月1日)の裏表紙
《吉岡実詩集》初刊 一九六八年九月一日 思潮社(東京都文京区西片一の一四の一〇の一〇三 発行者小田久郎)刊〈現代詩文庫14〉 定価三二〇円 一八八×一二四 総一五二頁 並製 装丁国東照幸 本文新字新かな 8ポ一八行二段組活版 印刷宝印刷社株式会社 製本小林製本所
〔内容〕別丁本扉 目次 詩篇計七二篇
《静物》〔抄〕静物/静物/静物/静物/卵/冬の歌/讃歌/挽歌/雪/寓話/犬の肖像/過去
《僧侶》〔抄〕告白/仕事/伝説/僧侶/単純/夏/固形/苦力/聖家族/喪服/感傷/死児
《紡錘形》〔抄〕老人頌/果物の終り/下痢/紡錘形T/紡錘形U/裸婦/呪婚歌/田舎/水のもりあがり/巫女――あるいは省察/鎮魂歌/受難/寄港/沼・秋の絵
《静かな家》〔抄〕劇のためのト書の試み/珈琲/模写――或はクートの絵から/馬・春の絵/滞在/桃――或はヴィクトリー/やさしい放火魔/春のオーロラ/スープはさめる/ヒラメ/孤独なオートバイ/恋する絵/静かな家
〈未刊詩篇から〉立体/青い柱はどこにあるか?/夏から秋まで/マクロコスモス/フォーク・ソング/突堤にて
歌集《魚藍》全
〈拾遺詩篇から〉ポール・クレーの食卓/サーカス/ライラック・ガーデン
《液体》〔抄〕(2)《吉岡実詩集》の 抄録詩篇に同じ
詩論〈わたしの作詩法?〉 自伝〈断片・日記抄〉 作品論〈吉岡実の詩〉(飯島耕一) 詩人論〈吉岡実氏に76の質問〉(高橋睦郎) 奥付 奥付裏広告
裏表紙に著者肖像写真および略歴 コメント(土方巽)
《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》は、詩集《サフラン摘み》(青土社、1976)の前――のちに詩集《神秘的な時代の詩》(湯川書房、1974)としてまとめられることになる――までの詩をコンパクトに収録した、吉岡実にとって《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》に続く二冊めの選詩集(ただし〈拾遺詩篇から〉三篇は詩集《ポール・クレーの食卓》(書肆山田、1980)に収録された)。クレジットはないが、詩集《僧侶》(書肆ユリイカ、1958)を頂点とする「前期吉岡実」の主要作品を網羅した詩篇の選出は、吉岡実自身によるものと思われる。
詩篇以外の収録作品について簡単に触れる。結婚記念に配られた歌集《魚藍》(私家版、1959)は、《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)が出るまでほとんどここでしか読めなかった。後年、随想の扱いを受けることになる〈突堤にて〉(《現代詩》1962年1月号)は、最初に収録された本書では作品として位置づけられている。詩論〈わたしの作詩法?〉(《詩の本 U 詩の技法》、筑摩書房、1967年11月)と自伝〈断片・日記抄〉(書きおろし)は吉岡の記した最も重要な散文であり、後者は最晩年まで発表が続いた吉岡実日記の濫觴である。また、高橋睦郎によるインタビュー形式の詩人論〈吉岡実氏に76の質問〉は、詩人・吉岡にとどまらずその人間性にまで迫る一問一答だ。
本書は何度も増刷を繰りかえしているロングセラーだけに、表紙の用紙は初刊当時の淡い黄色から、明るいグレーに変わり、最近はクリーム色になっている。表紙(二色)と別丁本扉(特色)の刷色も、それと連動して変わっている(近年の版の裏表紙の略歴で、詩集《神秘的な時代の詩》の刊行年が「1975年」とあるのは「1974年」が正しい)。なお、奥付の書名は初刊以来「現代詩文庫 14 吉岡実」だが、表紙・本扉に準ずるなら「現代詩文庫 14 吉岡実詩集」とすべきだろう(本サイトでは表紙・本扉を尊重して《吉岡実詩集》もしくは《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》等と表記する)。
《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》は「前期吉岡実詩」の入門書として最適の選集であるばかりか、深く読みたい読者にも恰好の企画本(コンピレーション)といえる。本書によって吉岡実の詩に開眼したという詩人や俳人は数多い。
詩《異霊祭》初刊 (左)表紙・裏表紙 (右)小口帯包み
詩《異霊祭》初刊 一九七四年四月二五日 書肆山田(東京都台東区雷門一の六の五の七〇七 発行者山田耕一)刊〈書下ろしによる叢書 草子3〉 牧神社(東京都千代田区九段南三の七の九)発売 定価三六〇円 一九六×一三五 総二〇頁 中綴アンカット 小口帯包み [装丁者の表示なくも書肆山田のサイトに依れば装丁瀧口修造] 本文新字新かな 五号一三行組活版 印刷蓬莱屋印刷所
〔内容〕詩一篇
異霊祭
奥付
詩《異霊祭〔特装版〕》 一九七四年七月一日 書肆山田(東京都目黒区自由ヶ丘一の八の二〇 発行者山田耕一)刊〈草子3〉 定価五〇〇〇円 二二八×一五〇 総二四頁 和帖(二五九×一六五)仕立 耳付アンカット 紙袋 本文用紙蔵王紙雪晒し遠藤忠雄 限定一〇一部記番 装丁吉岡実 本文組版は前掲初刊に同じ 印刷株式会社蓬莱屋印刷所 製本岸田製本所
〔内容〕詩一篇
初刊に同じ
〈装幀 本文用紙〉 奥付
〈書下ろしによる叢書草子〉は瀧口修造の命名だと、吉岡実から聞いたことがある。〈草子1〉がその瀧口の《星と砂と――日録抄》(のち《コレクション瀧口修造3――マルセル・デュシャン/詩と美術の周囲/骰子の7の目/寸秒夢》、みすず書房、1996に収録)、〈2〉が天澤退二郎《「評伝オルフェ」の試み》(のち《続・天澤退二郎詩集〔現代詩文庫112〕》、思潮社、1993に収録)、そして〈3〉が吉岡の《異霊祭》(のち詩集《サフラン摘み》、青土社、1976に収録)である。ちなみに〈書下ろしによる叢書草子〉は全部で八冊が刊行されており、書肆山田のウェブサイトに依れば《異霊祭》のあとは、〈4〉が飯島耕一《ゴヤを見るまで》(1974年8月25日)、〈5〉が三好豊一郎《老練な医師》(1974年11月25日)、〈6〉が岩成達也《レッスン・プログラム》(1978年7月10日)、〈7〉が高橋睦郎《巨人伝説》(1978年7月10日)、〈8〉が谷川俊太郎《質問集》(1978年9月20日)となっている。
《星と砂と――日録抄》の〈解題〉で鶴岡善久はこう書いている。「『星と砂と 日録抄』(書肆山田)は一九七三年二月刊。叢書草子第一巻。アンカット、無とじ。同年六月に限定三五部の特装版刊。皮表紙、和紙刷り、署名入り、袋入り」(《コレクション瀧口修造3》、四二七ページ)。《星と砂と――日録抄》(1973年2月25日)は「出発は遅くとも夜明けに。」(同前、三七一ページ)と終わるが、吉岡の詩篇《異霊祭》の冒頭は「朝は砂袋に見える/岬」と始まる。《異霊祭》末尾の「1974・2・14」はおそらく脱稿の日付だろうから、吉岡が執筆前に瀧口の《星と砂と――日録抄》を読んでいたことは確実である。ただ、瀧口の末尾の章句を引きついで詩を書いたという確証はない。本人に訊いてみれば「そうなの? それはまたたいへんな偶然だね」と破顔されるかもしれない。
《異霊祭》には「アラン」という呼びかけが、つごう一五回も登場する。吉岡は金井美恵子との対談で「アランは?」と問われて、こう答えている。「哲学者のアランもいるし、フランスにはアランという名のつく偉い文学者、哲学者、俳優がなかなかいるでしょ、それにエドガー・アラン・ポーのアランも含めて、まあいろんな意味のアランが重なって出てきた。後半になるとエドガー・アラン・ポーの伝記的なことが出てきているけどね。しかし哲学者のアランもはいっているつもり(笑)」(《現代詩手帖》1980年10月号、一〇六ページ)。
《異霊祭》の「7」と番号をふられた節を見てみよう。《貝類学の手引》がエドガー・アラン・ポーの《貝類学入門》を踏まえていることを忘れさせる、見事な一節である。
人は生活費のために/他人のいやがる仕事をする/われわれの考え及ばぬ奸智さをもって/アラン/『貝類学の手引』をでっちあげる/内部しかない貝/そしてたえず巨大なものを産む/サンゴ色の膜/英雄から精神異常者までまるごと孕む/恐しい貝の研究/罪な分析を忘れるべく/アラン/われわれは外套を着て/酒の街へ出る/一匹のうずくまる猫を探しに……/はだしになる/栗色の毛深い処女/エリ!
なお天澤退二郎の《「評伝オルフェ」の試み》は、一九七三年一〇月一〇日の初刊のあと、吉岡の装丁による特装版が(《異霊祭》特装版と同様の仕様で)一九七四年九月一日に刊行されている。
詩集《神秘的な時代の詩〔著者私家本〕》(吉岡家蔵本) 帙と表紙
詩集《神秘的な時代の詩〔限定版〕》初刊 一九七四年一〇月二〇日 湯川書房(大阪府摂津市正雀本町二の三の二四 発行者湯川成一)刊 コーベブックス発売 頒価二五〇〇円 二三六×一四〇 総一四〇頁 二色刷 並製フランス装 貼函 帯 限定七〇〇部 [別に突きつけ角背総革表紙でマーブル紙帙の著者私家本八部あり] 本文新字新かな 五号一二行組活版 印刷鈴木美術印刷株式会社(大阪市浪速区下寺町四の二) 製本高崎基栄
〔内容〕目次 詩篇計一八篇
マクロコスモス 夏から秋まで 立体 色彩の内部 少女 青い柱はどこにあるか? フォークソング 崑崙 雨 聖少女 神秘的な時代の詩 蜜はなぜ黄色なのか? 夏の家 低音 弟子 わが馬ニコルスの思い出 三重奏 コレラ
〈初出誌一覧〉 奥付
詩集《神秘的な時代の詩〔特装版〕》 表紙と帙
詩集《神秘的な時代の詩〔特装版〕》 一九七五年六月一日 湯川書房(大阪府摂津市正雀本町二の三の二四 発行者湯川成一)刊 定価記載なくも二〇〇〇〇円 二三五×一七五 総一二六頁 二色刷 並製フランス装(表紙オリジナル木版画[記載なくも黒崎彰]) 継表紙帙(背・革 平・樹脂含浸紙 革紐どめ) 限定一五〇部記番 本文新字新かな 12ポ一三行組活版 印刷竹田光二(名古屋市白金) 製本植田由松(京都下鴨)
〔内容〕別丁毛筆署名 目次 詩篇計一八篇
詩篇は初刊に同じ
〈初出誌一覧〉 奥付
〔追記〕
湯川成一による《湯川書房刊本目録(限定版)》(刊記なし、1970年代末の発行か)に本書が記載されているので、全文を引く。
27 神秘的な時代の詩
限定150部(記番1〜150)、発行S50.6.1。
著者吉岡実、印刷竹田光二、製本植田由松。体裁―仮綴装(表紙/黒崎彰オリジナル木版画)、サイズ23.8(H)18(W)、背革、ひらSベラン装たとう、本文紙/ロベール。定価¥20,000
※S49.10.20発行の普及版の特装。
註記には「S49.10.20発行の普及版」とあるが、下に記したとおり、後に書肆山田からほんとうの普及版が出たため、私は初刊を〔限定版〕、この再刊を〔特装版〕、三刊を〔普及版〕と呼んで区別している。上掲目録の〔特装版〕は、組版も判型も〔限定版〕とはまったく異なる新しい本だから、湯川の言う「普及版の特装」には当たらない。すなわち、本書は初刊の本文用紙や外装だけを改めたところの特装版ではなく、入稿原稿が詩集《神秘的な時代の詩〔限定版〕》と同一の(ただし両版の間には少なからぬ異同が存在し、それらを含む刊本間の異同のすべては〈〔付録〕吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》本文校異〉で確認できる)、あらゆる意味で新規の特装本である。なお本書には、栃折久美子さんによるルリユールがある(原物は未見)。
詩集《神秘的な時代の詩〔普及版〕》 函と表紙
詩集《神秘的な時代の詩〔普及版〕》 一九七六年八月一五日 書肆山田(東京都目黒区自由が丘一の八の二〇 発行者山田耕一)刊 牧神社発売 定価一八〇〇円 二一九×一二九 総一一六頁 並製フランス装 機械函 帯 装丁吉岡実 本文新字新かな 五号一五行組活版 印刷蓬莱屋印刷所 製本岸田製本所
〔内容〕目次 詩篇計一八篇
詩篇は初刊に同じ
〈覚書〉 〈神秘的な時代の詩作品初出誌一覧〉 奥付
《神秘的な時代の詩》は吉岡実の第七詩集。一九七四年一〇月二〇日、湯川書房刊。六七年七月の〈青い柱はどこにあるか?〉(F・6)から七二年八月の〈弟子〉(F・15)までの一八篇を収める。吉岡は同時期、《東京新聞〔夕刊〕》の〈風信〉にこう書いている。「私はこの二年間、詩を書かずにきた。それが果たしてよいことであったか、わるいことであったか知らない。とにかく私は今年から詩を書きはじめた。二年前までの作品を一区切りとして、一冊の詩集にまとめる準備をしている。出版社は小さいところが望ましいから、社主一人の湯川書房・湯川成一にまかせることにした。その本は、《神秘的な時代の詩》となるはずである」(1972年8月1日、四面)。
翌年の一九七三年九月号の《ユリイカ》が吉岡実特集を組み、〈神秘的な時代の詩・抄〉として〈低音〉〈神秘的な時代の詩〉〈三重奏〉〈蜜はなぜ黄色なのか?〉〈崑崙〉〈色彩の内部〉〈スワンベルグの歌〉〈聖少女〉〈コレラ〉の九篇を再録した。その末尾には「注記/詩集『神秘的な時代の詩』は、ここに掲載された作品のほかに、すでに思潮社版『現代詩文庫14・吉岡実詩集』に収められている「マクロコスモス」「フォーク・ソング」「夏から秋まで」「立体」および、現代詩手帖に発表された「わが馬ニコルスの思い出」などを含み、湯川書房より刊行される予定である」(同誌、一七一ページ)とあり、この時点で新詩集の構想は固まったかに見えた。しかし〈神秘的な時代の詩・抄〉中の一篇〈スワンベルグの歌〉(未刊詩篇・12)は《神秘的な時代の詩》には収録されず、後年の拾遺詩集《ポール・クレーの食卓》(1980)の選からも漏れた。
この詩集において吉岡は、詩集《静かな家》(1968)から目立ちはじめた、イメージをそのままいけどる書法を推しすすめる一方、以降の吉岡実詩に顕著な献呈詩の兆候を示した。吉岡は〈三つの想い出の詩〉で「この詩〔〈青い柱はどこにあるか?〉〕には、「土方巽の秘儀によせて」との詞書きがある。飯島耕一の紹介で、土方巽を知り、初めて暗黒舞踏の「ゲスラー・テル群〔論〕」を、草月会館で観て、衝撃を受けた。〔……〕以来、私は親しい芸術家たちの肖像を、数多く詩で描くようになった。それだけに、最初のこの詩は思い出深いものがある」(《吉岡実〔現代の詩人1〕》、中央公論社、1984、二一〇ページ)と書いている。
《神秘的な時代の詩》以降の吉岡実詩にとって、土方巽(肉体としての言語)の影響は大きい――戦後間もない時期の西脇順三郎(モダニズムとしての詩)や《静物》(1955)刊行後の永田耕衣(箴言としての俳句)にも増して。詩篇のモチーフはいっそう拡がりを見せ、詩句は平明さを装いつつ戦時と今時を通底し、「表面の深度」を獲得した。詩集《サフラン摘み》(1976)をピークとする中期吉岡実は、ここに始まる。吉岡は、本詩集を好意的に評した篠田一士を追悼する文章で「近ごろ、若い詩人たちに、この詩集は評価されはじめたようである」(《ユリイカ》1989年6月号、七〇ページ)と書いたが、私の《吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈》を念頭に置いていたのかもしれない。
〔追記〕
秋元幸人は〈吉岡実の《馬》の詩群〉で《馬・春の絵》と《神秘的な時代の詩》の関係について、瞠目すべき見解を述べている。括弧類を吉岡実の表記に合わせて改変のうえ、引用する。
「しかし、こうした〔=半生を回顧し点検することによって現在を賑わそうという〕目論見が、例えば〈コレラ〉一篇にもそのまま当てはまってしまうという一点から、詩集《馬・春の絵》は構成上に破綻を来しはじめたのではなかったか。他力を本願として現在に立ち直ろうとする願いは、つまりはただに「馬」にのみ繋げうるばかりでなく、〈コレラ〉に顕著なように「馬」を知る機会となった「戦争」そのものや、或いは全く別の事物にも充分に託しうると知れた時、おそらく吉岡実は《馬・春の絵》の企画を自ら葬った。そうして、「馬」に象徴される過去から混迷する現在へと眼を転じ、折柄別個の作品集《神秘的な時代の詩》を用意してもいた彼は、そこに〈わが馬ニコルスの思い出〉や〈マクロコスモス〉〈少女〉〈崑崙〉に加え、〔……〕〈色彩の内部〉や、〔……〕〈三重奏〉といった「馬」が現れる詩も入れれば、〔……〕〈青い柱はどこにあるか?〉も、〈コレラ〉をも入れることに決めたのではなかったか。そして、更に、〔……〕〈弟子〉も、〔……〕〈夏から秋まで〉や、〔……〕〈雨〉をも押し込み、これを一九七三年の抄録版〈神秘的な時代の詩・抄〉作成時の腹案に較べればより大きく包括的な構想に係る《神秘的な時代の詩》として、〈コレラ〉発表以来の低迷期を脱しえた一九七四年に、忌み明けの意を籠めて、刊行した。そうすることによって、吉岡は収めるところの各篇の執筆に詩的な示唆を与えてくれた者たちの豊穣な生産力にあやかろうと冀った己を記念したのである。だからこそ、吉岡はこの《神秘的な時代の詩》を「いっそ陰匿してしまいたい」「試行錯誤にみちた詩篇」「ひとことで言えば、まがまがしい詩集」と自己評価しつづけながらも、実に三回も版を変えて、こまめに世に問いつづけては自家の亀鑑と尊んだのだった。」(《吉岡実アラベスク》書肆山田、2002年5月31日、二三九〜二四〇ページ)。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈〔付録〕吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》本文校異〉を参照されたい。
英訳詩抄《Lilac Garden》初刊のジャケット(左)と同・中面 (右)
英訳詩抄《Lilac Garden: Poems of Minoru Yoshioka》初刊 一九七六年[春か] Chicago Review Press(811 West Junior Terrace, Chicago, Illinois 60613)刊〈the third volume in the Floating World Modern Poets Series〉 The Swallow Press(811 West Junior Terrace, Chicago, Illinois 60613)発売 定価上製一〇ドル(並製四ドル九五セント) 訳者佐藤紘彰 編集Burton Watson 二一六×一三九 総一一二頁 上製丸背クロス装・ジャケット(並製は紙装) ジャケット扉本文挿画池田満寿夫 装丁タイポグラフィClaire J. Mahoney 三七行組平版 アメリカ合衆国にて印刷
〔内容〕刊記(奥付) 献辞 口絵著者手蹟 〈Translator's Note〉(佐藤紘彰) 目次 〈Introduction〉(J. Thomas Rimer) 〈Notes to Introduction〉 詩篇計六六篇
From Still Life (1949‐55)
Still Life / Still Life / Still Life / Still Life / Certain World / Tree / The Egg / The Winter Song / Summer Picture / Hymn / Landscape / Snow / Portrait of a Dog / The Past
From monks (1956‐58)
Comedy / Confession / Island / Work / Legend / Winter Picture / Pastorale / monks / Simple / Summer / Solid Form / Convalescence / Coolie / The Holy Family / Mourning Dress / Beautiful Trip
From Spindle Form (1959‐62)
Ode to the Old Man / Diarrhea / Spindle Form: I / Spindle Form: II / Negative / Nude Woman / Antithalamium / Countryside / Winter Vacation / The Swelling of Water / Sorceress / Requiem / Sufferings / Hunted Woman / At the Lighthouse / Marsh: An Autumn Picture / Amendment and Omission
From Quiet House (1962‐66)
An Attempt at Stage Directions for a Play / Innocent: Guilty / Coffee / Ode to the Holy Mother / Sojourn / Gentle Pyromaniac / Soup Gets Cold / Inner Love Song / Flounder / Painting in Love / Quiet House
From Liquid (1940‐41)
Elegy / Pastorale / Dry Wedding Picture / Lyricism of the Forgotten Flutist / Landscape
From Uncollected Poems (1968)
Paul Klee's Dining Table / Lilac Garden / On the Jetty
Creel (1959)
〈Books of Related Interest from CHICAGO REVIEW PRESS〉
ジャケットの裏表紙に著者肖像写真および著者紹介
佐藤紘彰訳による吉岡実の英訳詩抄《Lilac Garden》は、吉岡にとって最初の単独の英訳詩集である(本書奥付ページに「Some of these translations first appeared in Chelsea, Chicago Review, Granite, The Prose Poem, Ten Japanese Poets, and WORKS」とあるように、英訳詩篇はこれ以前にも同じ佐藤紘彰訳で発表されており、《Lilac Garden》が初めてというわけではない)。標題に関して、佐藤は吉岡実追悼の文〈フランス詩人に読まれたい〉で「拙訳本の題を Lilac Garden としたのは同題の詩が特にぼくを魅了したせいである」(《現代詩手帖》1990年7月号、六四ページ)と書いている。では本書の詩篇の選択は誰がしたのか。吉岡は後年、座談会〈言語と始源〉でオクタビオ・パスと次のようなやりとりをしている(同誌、1985年1月号、四二〜四三ページ)。
パス 翻訳された最後のもの〔Creel(1959)〕、あれは俳句ですか。
吉岡 翻訳されているものは短歌です。
パス 散文の形式になっていますけど。
吉岡 最後に短歌をいくつか入れたんです。
パス なかなか面白いと思いました。ギリシアのエピグラムを思い出しました。〔……〕新しい短歌はどのような形になるのでしょうか。どういうふうに現代化されていくんでしょう。
吉岡 それは、僕なんかは短歌、俳句に限らず離れようとしてるんですけど、大岡信はちょっとちがう。
パス でも吉岡さんは最後に短歌を書かれた。
吉岡 ええ。子供の頃にさんざんやりましたから卒業しました。
パス もう書かないんですか。私は、また短歌に戻られたのかと思ったのですが。
吉岡 ええ、まだ戻らないです。必要ならやりますけど(笑)。
深読みすると、吉岡が作品を選択したようにも読めるが、バートン・ワトソンの編集に吉岡がどの程度関わったのか、判断するだけの材料に欠ける。奥付ページに「These poems were translated with permission of Libraire Shichosha Co., Tokyo, Japan」とあるように、本書の底本は《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》と思潮社版《吉岡実詩集》である。この《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》にない Certain World (〈或る世界〉B・5)やInner Love Song (〈内的な恋唄〉E・12)などが訳載されている一方、吉岡実詩の代表作〈死児〉(C・19)や〈孤独なオートバイ〉(E・14)などが収録されていないところを見ると、吉岡は作品の選定には積極的にかかわっていないかもしれない。ところで、私が本書の存在を知ったのは《読売新聞》の〈手帳〉欄の紹介記事でだった。感謝の意をこめて、以下にその〈吉岡実氏の英訳詩集好評――アメリカで刊行〉(無署名)の全文を引く。
吉岡実氏の英訳詩集「ライラック・ガーデン」(Lilac Garden: Poems of Minoru Yoshioka)がアメリカで刊行され好評を博している。英訳者は北米で英詩人として活躍しているヒロアキ・サトウ氏。この訳詩集には、挿画(さしえ)が池田満寿夫氏によって描かれている。また、序文としてワシントン大学(セントルイス)教授J・トーマス・ライマー氏が詩人と詩を論じた小説〔ママ〕を寄稿している(シカゴ・レビュー・プレス社刊)。
この表題になっている「ライラック・ガーデン」は、吉岡氏の「拾遺詩篇」の一編。この詩をはじめとし、吉岡氏の詩はこれまでに数名の訳者によって英訳され、各種のアンソロジーに断片的に紹介されて来た。しかし、一人の訳者によって約七十編が一巻本にまとめられてみると、これまで以上に注目を引き、原詩の鑑賞の仕方や翻訳のあり方をめぐって、学術雑誌では論争が始まっている。
吉岡氏は「詩を書く場合、テーマやその構成、構造をあらかじめ考えない」と述べているくらいだから、翻訳者泣かせの詩が少なくない。今回の訳詩集の全体の出来ばえを称賛しながらも、オハイオ州立大学準教授ジェイムズ・R・モリタ氏は「喪服」の読み方と訳し方について、近刊の学会機関誌 Journal of the Association of Teachers of Japaneseで異議を唱えている。「喪服」は二十九行の詩で、句読点も段落もない。訳者はこの詩のほぼ中ほどの十二行目で一応区切りをつけて英訳している。ところが、評者は一気に読み下すことを主張している。今後の論争の発展は予測し得ないが、北米の現代詩研究の密度の高まりを示す一例といえよう。(《読売新聞〔夕刊〕》、1979年10月20日)
佐藤紘彰は前掲追悼文で「この英訳に関連して吉岡さんが言われたこととしてよく覚えていることは二つある。一つは手紙に書かれたことで、「牧歌」(神の掌)に関するぼくの手紙に答えて「小生の詩のほとんどが、前と後に掛かるように出来ています」ということばだ。翻訳する者にとってこれは極めて大切な点だと思えたのでこの指摘を含めた手紙の部分は写真に撮って英訳本の一部とした」と書いている(あとの一つは、「フランス詩人に読まれたい」という吉岡の願望。なおこの追悼文が佐藤紘彰《アメリカ翻訳武者修行〔丸善ライブラリー〕》(丸善、1993)に収められた際、〈吉岡実の手紙の一部〉と題して本書のivページ全体が写真版で掲げられている)。
本書ジャケットに曰く「He〔Yoshioka〕 is one of Japan's greatest living poets, celebrated for his verbal music and his ability to fuse Western ideas with his country's vital poetic tradition」。英訳詩抄《Lilac Garden》が英語を解する世界の読者に吉岡実詩を知らしめた功績は計りしれない。後に《薬玉》全篇を英訳したエリック・セランドは言うに及ばず、ドイツ語で吉岡実論を書くことになるバーバラ・山中ヒラリーも、ことによったら本書で初めて吉岡実詩に触れたのかもしれない。なお、新倉俊一は本書の書評〈吉岡実の英訳詩集〉(《英語青年》1977年12月号)で「戦後詩人のうちでも難解なイメージの詩人として知られている彼が、ついに英語圏に単行本で紹介されるにいたったかと思うと、感慨ひとしおである。今まで見過されがちであった戦後詩の重要な一面に、これで照明があてられることになろう」(同誌、四二二ページ)と書いて、訳例として冒頭詩篇〈Still Life〉を挙げている。
詩集《サフラン摘み〔私装本〕》〔A〕の表紙(左)と詩集《サフラン摘み〔改装本〕》〔B〕の函と表紙(中)と詩集《サフラン摘み》の初刊と〔私装本〕と〔改装本〕の背(右)
詩集《サフラン摘み〔私刊本〕》〔C〕(吉岡家蔵本)の帙と表紙
詩集《サフラン摘み》初刊 一九七六年九月三〇日 青土社(東京都千代田区神田神保町一の二九 発行者清水康雄)刊 定価一八〇〇円 二二〇×一四二 総二一四頁 上製丸背布装 ジャケット(片山健画「無題」1973. 著者蔵) 組立函 帯 六刷(奥付の表示は「六版」)まで計九〇〇〇部(発行日は「初版」一九七六年九月三〇日、「再版」一九七六年一〇月一五日、「三版」一九七七年一月一五日、「四版」一九七七年二月二〇日、「五版」一九七七年三月三〇日、「六版」一九七九年一〇月三〇日) [別に一九七六年九月三〇日 青土社刊(本文・奥付は初刊本に同じ) 二一七×一四二 継ぎ表紙(背染革、平バティック[ジャワ更紗])で白の見返しの私装本(部数不明)〔A〕あり] [別に一九七七年一月一五日 青土社刊(本文・奥付は「三版」本に同じ) 二一七×一四一 継ぎ表紙(背革、平ヨーロッパ更紗)でピンクの見返しの改装本(部数不明)〔B〕あり] [別に一九七七年一月一五日 書肆蕃紅花舎刊 渡邊一考装丁の丸背丹波紙布表紙で紙帙の限定五部私刊本〔C〕あり] 装画片山健 本文新字新かな 10ポ一四行組活版 印刷東徳 製本美成社
〔内容〕別丁本扉 目次 献辞 創作期間「1972-76」 詩篇計三一篇
サフラン摘み タコ ヒヤシンス或は水柱 葉 マダム・レインの子供 悪趣味な冬の旅 ピクニック 聖あんま語彙篇 わが家の記念写真 生誕 ルイス・キャロルを探す方法〔わがアリスへの接近 少女伝説〕 『アリス』狩り 草上の晩餐 田園 自転車の上の猫 不滅の形態 フォーサイド家の猫 絵画 異霊祭 動物 メデアム・夢見る家族 舵手の書 白夜 ゾンネンシュターンの船 サイレント・あるいは鮭 悪趣味な夏の旅 示影針(グノーモン) カカシ 少年 あまがつ頌 悪趣味な内面の秋の旅
〈初出誌紙一覧〉 奥付
詩集《サフラン摘み》解題《サフラン摘み》は吉岡実の第八詩集。一九七六年九月三〇日、青土社刊。七二年四月の〈葉〉(G・4)から七六年五月の〈少年〉(G・29)までの三一篇を収める(総行数は吉岡実の詩集中最大)。上記期間中に発表されて《サフラン摘み》以外の詩集に収録されたのは〈弟子〉(F・15)と〈人工花園〉(I・19)の二篇だけで、この時期の吉岡実の充実ぶりを示して余りある。吉岡は七〇年三月の〈低音〉(F・14)を最後に二年あまり詩を発表していないが、そのあたりの事情を〈高遠の桜のころ〉にこう書いている。
妻のからだに寄りかかり、午睡しながら、まだ四月なのにいろいろなことがあったなあと思った。暗中模索のため、二年間中止していた詩作を試み、〈葉〉という百三十行の連祷詩の一篇が出来たこと、それに続いて、〈ルイス・キャロルを探す方法〉すなわち、アリス詩二篇が出来たことだった。これは私の詩業のなかでも、独自性と新領域をきり拓いたものだった。私はこのときから、詩行為がつづけられるという兆を感じはじめていた。(《「死児」という絵〔増補版〕》、二七ページ)
〈葉〉は、《ユリイカ》の編集者・三浦雅士の連載詩依頼が契機で書かれた。《神秘的な時代の詩》の語法を残しながらも、「言葉」「固有名詞」「書物」等の語を大胆に採りいれて読者を瞠目させた。「連祷詩」こそ実現しなかったが、〈葉〉に遍在するモチーフは《サフラン摘み》全体に溢れだし、詩の誕生と自身の再生が詩集の主題となった。
〈ルイス・キャロルを探す方法〉(G・11)の一篇〈少女伝説〉は、初めて吉岡実詩に固有名詞が本格的に登場した作品。アリス・リデルほかの少女をキャロルが撮影した写真集に触発された。本篇は、吉岡が視覚芸術からその富を奪還する新たな手法を確立したことでも知られる。
これら二篇に加えて、〈青い柱はどこにあるか?〉(F・6)に続いて土方巽に捧げられた〈聖あんま語彙篇〉(G・8)を濫觴とする「引用」が、この時期の
吉岡の作風を特徴づけることになる。「引用」は、以降の吉岡実詩を根底で支える行為となった。
吉岡の戦後の詩集として初めて献辞が掲げられた《サフラン摘み》は、《僧侶》以来ひさびさのハードカヴァーであり、著者の気合を感じさせる自装となった。なお、装画にまつわる逸話を記した随想〈画家・片山健のこと〉は、詩集生成の貴重な記録である。
中期を代表する本詩集で、吉岡は拡散と凝縮という相反する運動を同時並行的に推進して、〈あまがつ頌〉(G・30)や〈自転車の上の猫〉(G・15)に見られるような長短自在の詩篇を書きうる練達の域に達した。《サフラン摘み》は六刷(奥付にはそれぞれ「初版」「再版」「三版」〜「六版」とあるが、本文は改版されていないので、ここでは「刷」と称する)計九〇〇〇部と、吉岡の詩集にあって最も広範な読者に迎えられ、年間の最優秀詩集に与えられる高見順賞(第七回)を受賞した。
発行日を勘案すると、三刷本は受賞を機に増刷されたものと考えられる。改装本〔B〕と私刊本〔C〕の本文に三刷を用いた背景には、その祝意が込められていよう。一方、私装本〔A〕は本文・奥付とも初刊だが、この手製本[ルリユール]が誰によって、いつ成されたのか(受賞前なのか後なのか、刊行後間もないころなのか比較的近年なのか)、手掛かりになる文字情報は本体には一切ない。また、初刊や改装本〔B〕にある函・ジャケットもない。ちなみに私装本〔A〕は2016年6月10日に京都左京区のあがたの森書房から14,000円で、改装本〔B〕は2009年1月14日に同じ京都左京区の中井書房から12,000円で入手した。なお、改装本〔B〕については〈〈吉岡実の装丁作品〉の現在(2014年1月31日)〉を参照されたい。
〔2015年4月30日追記〕
ジャケット装画の片山健〈無題〉(1973)に関して、〈ひとでなしの猫 吉岡実 『詩集 サフラン摘み』〉は「ポール・デルヴォーの「森の目覚め」(1939[ママ])を下敷きにしていると思しいですが、デルヴォーもクラナッハを下敷きにしているのです」と指摘して、デルヴォーとクラナッハの作品にリンクが張ってある。《アートギャラリー 現代世界の美術19 デルヴォーDELVAUX》(集英社、1986年6月10日、〔五一ページ〕)の〈森の目覚め〉(1944〜45)と片山の鉛筆画のジャケットを観くらべると、なるほどそうかもしれないと思う。ただし、デルヴォーにもクラナッハにも樹木(果実)に対するオマージュの気配が色濃くあるが、片山にはあまりない(無彩色のせいもあろうが)。先行作品よりも草の比重が大きいところが、装丁家吉岡実の意向に合致したか。
ポール・デルヴォーの油彩〈森の目覚め〉(1944〜45)(左)と片山健〈無題〉(1973)による《サフラン摘み》のジャケット(右)
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《サフラン摘み》本文校異〉を参照されたい。
《新選吉岡実詩集》初刊 表紙と裏表紙
《新選吉岡実詩集》初刊 一九七八年六月一五日 思潮社(東京都新宿区市谷砂土原町三の一五 発行者小田久郎)刊〈新選現代詩文庫110〉 定価五八〇円 一九〇×一二五 総一四六頁 並製 帯 装丁国東照幸 本文新字新かな 8ポ一八行二段組活版 印刷製本凸版印刷株式会社
〔内容〕別丁本扉 目次 詩篇計五三篇
《静物》〔抄〕或る世界/樹/夏の絵/風景/ジャングル
《僧侶》〔抄〕喜劇/島/冬の絵/牧歌/回復/美しい旅/人質
《紡錘形》〔抄〕陰画/編物する女/首長族の病気/冬の休暇/衣鉢/狩られる女――ミロの絵から/灯台にて/修正と省略
《静かな家》〔抄〕無罪・有罪/聖母頌/内的な恋唄
《神秘的な時代の詩》〔抄〕色彩の内部/少女/崑崙/雨/聖少女/神秘的な時代の詩/蜜はなぜ黄色なのか?/夏の家/低音/弟子/わが馬ニコルスの思い出/三重奏/コレラ
《サフラン摘み》〔抄〕サフラン摘み/タコ/葉/マダム・レインの子供/聖あんま語彙篇/わが家の記念写真/ルイス・キャロルを探す方法〔わがアリスへの接近/少女伝説〕/『アリス』狩り/異霊祭/舵手の書/示影針(グノーモン)/少年/あまがつ頌/悪趣味な内面の秋の旅
〈未刊詩篇から〉楽園/悪趣味な春の旅/螺旋形
対話〈卵形の世界から〉(大岡信・吉岡実) 詩人論〈吉岡実異聞〉(伊達得夫) 〈吉岡実のための覚え書〉(種村季弘) 解説〈吉岡実の転生〉(入沢康夫) 奥付 奥付裏広告
裏表紙に著者肖像写真と入沢康夫の〈解説〉抜粋
《新選吉岡実詩集〔新選現代詩文庫110〕》は《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》(思潮社、1968)に続く吉岡実の選詩集。本書帯文に「戦後詩人篇 第2集」(背)、「現代詩の豊饒な奥行きと広がりの成果をより十分に的確に反映すべく編纂された[現代詩文庫]第T期 戦後詩人篇に続く第2集」(表1)とあるように、新選現代詩文庫は現代詩文庫第T期に収録ずみの詩人のその後の選詩集という位置づけだったが、二五冊ほど刊行して中絶した。参考までに、新選現代詩文庫101から125までの著者名を挙げよう。鮎川信夫、清岡卓行、飯島耕一、谷川俊太郎、岩田宏、田村隆一、富岡多恵子、大岡信、入沢康夫、吉岡実、吉増剛造、吉原幸子、白石かずこ、黒田三郎、石原吉郎、長谷川龍生、鈴木志郎康、清水昶、天澤退二郎、高橋睦郎、吉野弘、新川和江、川崎洋、寺山修司、北村太郎。第T期に登場した詩人のその後の旺盛な創作活動がうかがえる。
《新選吉岡実詩集》をひとことで言えば、《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》の選から漏れた初期吉岡実詩(《静物》、《僧侶》、《紡錘形》、《静かな家》)の補遺にして、中期吉岡実詩(《神秘的な時代の詩》、《サフラン摘み》)の代表作を収めた選集である。これにより《静物》から《神秘的な時代の詩》までの全詩篇は、本書とそのまえの選集のどちらかに収録されたことになる。作品の選択は著者によるものだろうから、両選集を比較すれば吉岡実が自作をどう評価したかを知りうる。その意味で、最も興味深いのは《サフラン摘み》から選ばれた一四篇だろう(単行詩集は三一篇を収録)。
〈未刊詩篇から〉の、ということは本書全体の最後の詩篇は〈螺旋形〉(H・10)である。大冊《ガウディ全作品》(六耀社、1979)の編集・レイアウトで知られる国東照幸氏による装丁の表紙が、眩暈を起こさせる螺旋形なのはなにかの偶然だろうか。
対話・詩人論とも再録だが、いずれもよく考えられた選択である。それにも増して注目されるのは、入沢康夫の書きおろしの解説〈吉岡実の転生〉だ。「この方法は、最近やうやく表立って論議の対象になるやうになって来た、「文学にとっての〈引用〉」の問題に直接に、しかも多角的に関はるものであり、単なる手法上の新機軸といったことでは納まらない重大なテーマを秘めてゐるのだから、吉岡実の詩の愛読者としては、手に汗にぎりながら、この試みのおもむくところを見つめつづけねばならない」(本書、一四四ページ)という結語は、《夏の宴》の詩篇を書きつつあった吉岡を鼓舞したに違いない。
本書は、のちに増補されて《続・吉岡実詩集〔現代詩文庫129〕》(思潮社、1995)となった。
詩集《夏の宴》初刊 一九七九年一〇月三〇日 青土社(東京都千代田区神田神保町一の二九 発行者清水康雄)刊 定価一八〇〇円 二二〇×一四二 総一七〇頁 上製丸背継表紙(背布 平紙) 貼函 帯 初刷は一〇〇〇部[二刷で〈金柑譚〉の二箇所の不要な行アキ(一〇一頁と一〇五頁)を訂正 別に奥付初版の訂正著者本五〇部あり] 装画西脇順三郎 本文新字新かな 10ポ一四行組活版 印刷東陽印刷 製本美成社
〔内容〕別丁本扉 目次 創作期間「1976-79」 詩篇計二八篇
楽園 部屋 蝉 子供の儀礼 異邦 水鏡 晩夏 曙 草の迷宮 螺旋形 形は不安の鋭角を持ち…… 父・あるいは夏 幻場 雷雨の姿を見よ 狐 織物の三つの端布 金柑譚 使者 悪趣味な春の旅 夏の宴 野 夢のアステリスク 詠歌 この世の夏 裸子植物 謎の絵 「青と発音する」 円筒の内側
〈初出誌紙一覧〉 奥付
詩集《夏の宴〔特装版〕》(吉岡家蔵本) 函と帙
詩集《夏の宴〔特装版〕》 一九八二年四月一五日 南柯書局(丘庫県神戸市丘庫区荒田町四の一八の一四)刊 定価記載なし 二二〇×一四二 総一七四頁 天金 上製溝つき角背総パーチメント装 帙(背パーチメント 平更紗) 更紗貼函 限定一五部記番 装丁渡邊一考 毛筆署名 本文組版用紙等は前掲の二刷に同じ 別丁本扉と奥付は新組原版刷 印刷東陽印刷・創文社 製本須川製本所
〔内容〕前掲初刊に同じ
《夏の宴》は吉岡実の第九詩集。一九七九年一〇月三〇日、青土社刊。七六年八月の〈楽園〉(H・1)から瀧口修造を題辞に引いた七九年一二月の〈「青と発音する」〉(H・27)までの二八篇を収める。詩集の仕様からも明らかなように、世評の高かった《サフラン摘み》(青土社、1976)の続編的な詩集だが、最初の詩篇〈楽園〉の冒頭で「私はそれを引用する/他人の言葉でも引用されたものは/すでに黄金化す」と宣言したとおり、他者の章句を引用する方法はここに頂点を極めた。〈楽園〉や続く〈子供の儀礼〉(H・4)にはないが、次に発表の〈曙〉(H・8)には早くも「注 引用句は主に、エズラ・パウンド、飯島耕一の章句を借用した」という注記が登場する。
これ以降、注記としては〈螺旋形〉(H・10)の「*ベケット(高橋康也訳)、土方巽などの章句を引用した」が、詞書きとしては〈使者〉(H・18)の「笠井叡のための素描の詩」、〈夢のアステリスク〉(H・22)の「金子國義の絵によせて」、〈裸子植物〉(H・25)の「大野一雄の舞踏〈ラ・アルヘンチーナ頌〉に寄せて」が、題辞としては〈水鏡〉(H・6)の「〈肉体の孕む夢はじつに多様をきわめている〉金井美恵子」、〈草の迷宮〉(H・9)の「〈目は時と共に静止する〉池田満寿夫」、〈形は不安の鋭角を持ち……〉(H・11)の「〈複眼の所有者は憂愁と虚無に心を蝕ばまれる〉飯田善國」、〈雷雨の姿を見よ〉(H・14)の「「ぼくはウニとかナマコとかヒトデといった/動物をとらえたいのだ/現実はそれら棘皮動物に似ている」/飯島耕一」、〈織物の三つの端布〉(H・16)の「「イマージュはたえず事物へ/しかしまた同時に/意味へ向おうとする」/宮川淳」、〈円筒の内側〉(H・28)の「「言語というものは固体/粒であると同じに波動である」大岡信」、〈「青と発音する」〉(H・27)の「「青ずんだ鏡のなかに飛びこむのは今だ」瀧口修造」がある。
これらはいったいなにを意味しているのだろう。吉岡実は詩集を出すたびに、公然とあるいは密かに「これが最後の詩集だ」と言明していたように思う。吉岡は詩集刊行の一九七九年の四月に満六十歳、還暦を迎えているが、前年(一九七八年)の「七月十二日、会社更生法適用を申請し筑摩書房は事実上倒産」(吉岡陽子編〈年譜〉)したため依願退職し、以後は余生の感を抱いたのではあるまいか。瀧口修造への追悼詩篇を書きあげたあと、「西脇順三郎先生に」捧げた〈夏の宴〉(H・20)を詩集の題名に決めて、西脇に装画を乞い表紙と函を飾るあたり、ほとんど遺言詩(集)の扱いである(吉岡実が題辞に引いて詩篇を捧げた金井美恵子・飯島耕一・大岡信の三詩人は、奇しくも吉岡の葬儀で弔辞を読んでいる)。しかし同時に、本書には吉岡実の愛した夏が充ち満ちている。夏の宴、晩夏、父・あるいは夏、この世の夏――これだけ夏の詩が並んだ集はかつてなかったし、以後もない。引用の夏は終わった。吉岡は初の散文集=随想集《「死児」という絵》(思潮社、1980年7月1日)の最後に置かれた〈なつのえん〉をこう結んでいる。「さて、私はこの詩集上梓を契機に、当分の間、詩作をやめ休息に入るつもりである。今、この文章を書いている居間に、〔西脇先生から〕記念に頂いた三人の女神の水彩画が額に入り、懸かっている」(同書、三四二ページ)。だが吉岡は、この「休息」を想いのほか早く切りあげることになる。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《夏の宴》本文校異〉を参照されたい。
拾遺詩集《ポール・クレーの食卓》 初刊函と初刊表紙と再版函
拾遺詩集《ポール・クレーの食卓》初刊 一九八〇年五月九日 書肆山田(神奈川県横浜市西区高島二の一一の二の八〇九)刊 定価一八〇〇円 一九二×九七 総八八頁 並製フランス装 貼函と当紙と帯[赤] 八五〇部 [六月九日刊の再版八〇〇部(発行者鈴木一民)の貼函・当紙・帯は青の色替わり(製函光陽紙器)] 装画片山健 [装丁者の表示なくも装丁亞令] 本文新字新かな 五号一〇行組活版 印刷宝印刷・イナバ巧芸社 製本岩佐製本
〔内容〕目次 詩篇計二一篇
ポール・クレーの食卓 サーカス ライラック・ガーデン 唱歌 夜会 斑猫 霧 晩春 塩と藻の岸べで 九月 家族 春の絵 スイカ・視覚的な夏 花・変形 鄙歌 紀行 影の鏡 生徒 人工花園 猿 ツグミ
あとがき 〈収録作品初出記録〉 奥付
拾遺詩集《ポール・クレーの食卓〔特装限定版〕》本扉と貼函(左)と同書のペン識語署名・表紙・貼函・外函〔出典:玉英堂書店〕(右)
拾遺詩集《ポール・クレーの食卓〔特装限定版〕》 一九八〇年一一月九日 書肆山田(神奈川県横浜市西区高島二の一一の二の八〇九 発行者鈴木一民)刊 定価三二〇〇〇円 二二〇×一一二 総九六頁 本文用紙レンケルレイド 小口染 上製突きつけ丸背総山羊革装 布貼函貼題簽 限定二八部記番 装画片山健 ペン書署名識語 奥付以外初刊に同じ組版 印刷宝印刷・イナバ巧芸社 製本製函橋本製本所
玉英堂書店出品の一本は「No. 55137 ポール・クレーの食卓/吉岡実 1冊 価格: 132,000円/限定28部 ペン識語「シナの墨でぬられたフカの腹を裂く 美しい汗の夜のはじまり」署名入 装画・片山健 総白革装表紙少シミ 三方赤染 ビロード装函・外函少シミ/書肆山田 昭55」
〔内容〕前掲初刊に同じ
拾遺詩集《ポール・クレーの食卓〔私家版〕》 表紙と帙と函〔書肆山田蔵〕
拾遺詩集《ポール・クレーの食卓〔私家版〕》 一九九三年五月九日 発売南柯書局(兵庫県明石市太寺一の六の三四) 価格記載なし 一九一×一一九 総一〇〇頁 上製羊皮紙テープ綴じ 天金 書名金箔押し 口絵柄澤齊自刻自摺木口木版画一葉 帙羊皮紙コーネル装(マーブル紙ティニ・三浦) 函山羊革蛇型押し(内貼羊バックスキン) 限定一四部記番 製作鈴木一民 装丁渡邊一考 本文組版は初刊に同じ 毛筆署名箋入り 検印用紙川苔入り楽水紙 印刷宝印刷・創文社 製函製本須川製本所
拾遺詩集《ポール・クレーの食卓〔私家版〕》 口絵と帙〔書肆山田蔵〕
〔内容〕別丁口絵〔柄澤齊の木版画によるパウル・クレーの肖像〕
前掲初刊に同じ
一九五七年五月発表の〈ポール・クレーの食卓〉(I・1)から一九八〇年三月発表の〈ツグミ〉(I・21)までの、吉岡実の既刊単行詩集未収録の二一篇をほぼ発表年代順に収めた拾遺詩集(〈吉岡実詩集《ポール・クレーの食卓》本文校異〉参照)。このうち〈ポール・クレーの食卓〉と〈ライラック・ガーデン〉(I・3)と〈サーカス〉(I・2)の三篇は《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》(書肆ユリイカ、1959)の〈未刊詩篇〉と《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》(思潮社、1968)の〈拾遺詩篇から〉にも収録されており、本詩集の中核をなす作品。吉岡は前者のあとがき〈詩集・ノオト〉で詩集《僧侶》に関して、「統一上ポール・クレーの食卓∞ライラック・ガーデン≠割愛した」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、七三ページ)と書いているが、正確には〈ライラック・ガーデン〉の発表は《僧侶》刊行(一九五八年一一月)の翌月である。
タイトルポエムの〈ポール・クレーの食卓〉は、かねてクレーのような詩も書きたいともらしていた吉岡積年の想いの詩篇。〈サーカス〉(初出は一九五八年九月)にはどうやら吉岡自身と思しい「ガリ氏」なる人物が登場するが、「ガリ氏」は翌一九五九年六月発表の未刊詩篇〈遅い恋〉にも出てくるから、二篇は相前後して執筆されたものかもしれない。〈ライラック・ガーデン〉は、実現されなかったものの、後の詩集(一九六〇年に企画された〈鰐叢書〉の1冊)のタイトルにも挙げられた作品。
本書刊行時点ですでに発表されていながら、収録されなかった詩篇は次の一四篇である。――《吉岡実全詩集》(1996)の「ポール・クレーの食卓1959-80」に倣って、発表時期からすればどの詩集に入るか、補記した。
このうち〈夜曲〉と〈遅い恋〉に関して、吉岡実は評者に宛てた最後のハガキ(一九九〇年四月一七日付)で「思いついたこと、二つ。岡崎清一郎の詩誌「近代詩猟」の昭和三十四、五年に詩を発表しています。それから小田久郎が「花神」で失念した詩を引用しています」と書いており、図らずも吉岡実書誌を研究する者への遺言の形になってしまった。
なお、《現代詩読本――特装版吉岡実》(思潮社、1991)の拙編〈吉岡実書誌〉で本書の装丁を吉岡実としてしまったため、臼田捷治氏の《装幀時代》(晶文社、1999)の口絵等で本書が吉岡実装丁として扱われているが、上掲書誌に訂正して記載したとおり、装丁者は亞令である(臼田さんには、《装幀時代》刊行後にお目にかかったおり、丁重にお詫びしておいた)。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《ポール・クレーの食卓》本文校異〉を参照されたい。
随想集《「死児」という絵》初刊 一九八〇年七月一日 思潮社(東京都新宿区市谷砂土原町三の一五 発行者小田久郎)刊 定価二九〇〇円 二一〇×一四八 総三五四頁 上製丸背布装 貼函 帯 装画M・スタンチッチ〈死児〉 装丁吉岡実 本文新字新かな 10ポ三九字詰一五行組活版 印刷製本凸版印刷
〔内容〕別丁本扉 目次 随想計五九篇
T 私の生まれた土地 あさくさの祭り 好きな場所 日記抄――一九六七 『プロヷ〔ワに濁点〕ンス随筆』のこと 懐しの映画――幻の二人の女優 蜜月みち のく行 大原の曼珠沙華 阿修羅像 高遠の桜のころ 小鳥を飼って 飼鳥ダル わが鳥ダル ひるめし 本郷龍岡町界隈 受賞式の夜 済州島 軍隊のアルバム 突堤にて
U 読書遍歴 女へ捧げた三つの詩 救済を願う時――《魚藍》のことなど 「死児」という絵 詩集・ノオト わが処女詩集《液体》 新しい詩への目覚め 「想像力は死んだ 想像せよ」 手と掌 わたしの作詩法?
V 《花樫》頌 永田耕衣との出会い 耕衣秀句抄 富澤赤黄男句集《黙示》のこと 誓子断想 高柳重信・散らし書き 枇杷男の美学 回想の俳句 兜子の一句 私の好きな岡井隆の歌 遙かなる歌――啄木断想 孤独の歌――私の愛誦する四人の歌人 変宮の人・笠井叡 画家・片山健のこと 昆虫の絵――難波田龍起 月下美人――和田芳恵臨終記 和田芳恵追想
W 会田綱雄『鹹湖』出版記念会記 田村隆一・断章 白石かずこの詩 少女・金井美恵子 出会い――加藤郁乎 奇妙な日のこと――三好豊一郎 大岡信・四つの断章 飯島耕一と出会う 不逞純潔な詩人――金子光晴 吉田一穂の詩 木下夕爾との別れ 瀧口修造通夜 西脇順三郎アラベスク
〈あとがき〉 〈初出一覧〉 奥付
吉岡実唯一の随想集《「死児」という絵》を四部に分かち、全体を構成した編集者は、詩人の八木忠栄である。八木は本書刊行の経緯を次のように書いている。
あるときは特に用もなく、詩をめぐる雑談をし、あるときは雑誌の原稿依頼や装幀の相談でコーヒーを飲んだ。そんなふうに喫茶店でコーヒーを飲むなかで、あ るとき「全エッセイをまとめませんか」という話を切りだした。吉岡さんはしばらく笑って相手にしなかった。しかし、私にしてみれば大まじめだった。編集者 として十年以上おつきあいしていながら、まだ一冊も吉岡さんの本を担当する機会がなかった。/「吉岡さんの本を、是非ぼくにも作らせてください」と執拗に くりかえした。「いやあ、ぼくのエッセイなんか、小さい出版社で趣味的な本にして出すのがいいんだよ」という返事。お酒で口説くならともかく、コーヒーで 口説くのはむずかしい。しかし、私はあきらめなかった。吉岡さんのエッセイの発表誌紙を調べあげ、初出リストを作ってお見せした。/「そこまで言うんな ら、八木君が思潮社にいるかぎり任せるよ」という返事をもらったときは、まるで鬼の首でもとったような感激だった。/『「死児」という絵』上梓まで四年余 りかかった。その間に吉岡さんは定年退職された。A5判、三四五ページ、大冊の初エッセイ集になった。書名は陽子夫人による。装幀はもちろん著者。貼函に は、書名にちなんでM・スタンチッチの奇妙な絵「死児」の写真が飾られた。(《詩人漂流ノート》、書肆山田、1986年8月25日、一七〜一八ページ)
八
木はこうも書いている。「まず掲載誌から、必要と思われる部分をとりあえず全部コピーする。つぎにそれらを読みながら内容によって区分けしていく。ここが
いちばん重要で大変な作業であるとともに、じつは編集者としてやりがいのある作業でもある」(同書、二〇二ページ)。「一冊にまとめられるべき原稿がきち
んとそろっている場合は、それほど問題はない。しかし、ながい年月、多種多様にわたっている場合、その取捨選択と構成は厄介で慎重を要する。けれども、そ
れらを読みこんで腑分けしてゆく作業にこそ、編集者としてのやり甲斐や面白味がある」(同書、二九五ページ)。前者は天澤退二郎のエッセイ集について、後
者は吉野弘の評論集についての文章だが、本書の場合もそのまま当てはまるだろう。私は現代詩読本の〈吉岡実年譜〉を執筆するにあたって、なにはさておき本
書とその増補版のコピーを切りきざんで一年一枚の台紙に貼り、草稿用の資料としたものである。しかしそれは、あまりに特殊な読み方だろう。わずか一ページ
の〈私の生まれた土地〉から二五ページ分の巨篇〈西脇順三郎アラベスク〉までを虚心に味読するに如くはない。
本書の本文最終ページは三四二。増補版では同じ箇所が二四〇ページだから、字詰・行数とも実にゆったりとした組体裁である(各篇の起こしは改頁)。一方
で、ノンブルの書体が本文では斜体、目次では立体である点、柱が小さすぎる点(6ポではなく、7ポくらいが適当だろう)など、気になる造本箇所もある。見
返し用紙の選択や本扉のデザイン処理は淡白に過ぎよう。装丁には、文芸書として大ぶりな判型を活かしきれていない憾みが残る。次の著書、詩集《薬玉》の目
の醒めるような装丁は、その反動とさえ思える(両者に共通する表紙の鳥のモチーフがそれを裏づける)。
詩集《薬玉》初刊の函と表紙(左)と詩集《薬玉〔著者別装本〕》の函と表紙(右)
詩集《薬玉》初刊 一九八三年一〇月二〇日 書肆山田(東京都豊島区南池袋二の四五の七 発行者鈴木一民)刊 定価二九〇〇円 二四五×一七三 総一一四頁 上製丸背継表紙(背布 平紙) 組立函に貼題簽 帯 初刷は二〇〇〇部 [別に一九八四年八月五日刊の貼函に貼題簽、表紙の平がマーブル紙で奥付に貼奥付の著者別装本限定一八部(記番なし)あり] 本文新字新かな 12ポ一五行組活版 印刷蓬莱屋印刷 製本山本製本所 製函光陽紙器製作所
〔内容〕別丁本扉 目次 詩篇計一九篇
雞 〔ニワトリ〕 竪の声 影絵 青枝篇 壁掛 郭公 巡礼 秋思賦 天竺 薬玉 春思賦 垂乳根 哀歌 甘露 東風 求肥 落雁 蓬莱 青海波
〈初出一覧〉 奥付
*
詩集《薬玉〔特装限定版〕》の函と表紙(左)と本扉と対向頁(右)
詩集《薬玉〔特装限定版〕》 一九八六年四月一五日 書肆山田(東京都豊島区南池袋二の八の五の三〇一 発行者鈴木一民)刊 定価記載なし 二四〇 ×一九四 総一一六頁 本文雁皮耳付 上製突きつけ丸背継表紙(背革 平布の手描染小野麻理) 布貼函 限定四〇部記番 本文組版は初刊に同じ 和紙別丁本扉対向頁に毛筆による識語署名 貼奥付 印刷蓬莱屋印刷所 製本橋本製本所
〔内容〕前掲初刊に同じ
詩集《薬玉〔私家版〕》の本扉と函
詩集《薬玉〔私家版〕》 一九九三年五月三一日刊 発売南柯書局(兵庫県明石市太寺一の六の三四) 価格記載なし 二三九×一九四 総一二二頁 本文黒谷楮紙耳付(罫下化粧断ち) 上製突きつけ丸背(五條バンド)コーネル装(背角子牛革 平小花型染め子牛革) 見返し友禅縮緬千代紙(巻見返し捨て紙額貼り装) 函小花型染め子牛革(内貼山羊バックスキン) 限定二二部記番 製作鈴木一民 装丁渡辺一考 本文組版は初刊に同じ 毛筆署名箋入り 検印紙川苔入り楽水紙 印刷(一九八三年一〇月二〇日)蓬莱屋印刷所・創文社 製本須川製本所
〔内容〕前掲初刊に同じ
《薬玉》は吉岡実の第一一詩集。一九八三年一〇月二〇日、書肆山田刊。八一年一月三日発表の〈にわとり〉(J・1、詩集で〈雞〔ニワトリ〕〉と改題)から八三年九月発表の〈求肥〉(J・16)までの一九篇を収める(なお、のちに〈秋思賦〉(J・8)に変改吸収される〈断想〉が、一九七八年一一月に発表されている)。吉岡が八〇年(申年)一月二五日、新聞に寄せた詩篇〈猿〉(I・20)は、翌年(酉年)の〈にわとり〉に先行する作品として注目される。〈猿〉全行を追込みで引く。
「父の手のうえに乗る/裸の猿」/その金毛の長い手が触診する/かまどの内側はつねに/炎の快楽の夜だ/掛かった大鍋でいつまでも/煮られている豆/「似たような事が起っている」/情緒てんめんと/ぼくの姉妹たちは開腹されて/「芯にある種子を/花咲かせる」/母はと見れば/魔除けの魚の頭や/ヒイラギの葉を飾り/神棚の燈明のゆらぐはるかな闇に属し/聖化しつつある/朝がくればぼくのはらからの/「汚れた夢は/冬の太陽の光に洗われる」
〈雞〔ニワトリ〕〉ならぬ〈にわとり〉(《朝日新聞》掲載の初出形)の各行はすべて天ツキであって、詩集における階段状の《薬玉》詩型はまだ見られない。初出において《薬玉》詩型が登場するのは、八二年三月発表の〈壁掛〉(J・5)をもって嚆矢とする(この間に「母/ 母/ 母/ 穴/ 妹/ 妹/妹」という戦慄的な詩句を含む〈巡礼〉(J・7)があるが、初出ではこの部分と「今日 わたくしは何もしなかった/ 何もしなかった」以外の全詩句が天ツキである)。
吉岡は随想〈くすだま〉で「この詩集は今までの作品とは詩形が異り、ことばの塊りをいわば「楽譜」のように散りばめた、いってみれば「言譜」のようなもの。そのうえ、古語や仏教用語を多用し、祭儀的な世界を詩で試みている」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、二九七ページ)と書いている。また〈白秋をめぐる断章〉では「私は遅まきながら、『古事記』や柳田国男『遠野物語』や石田英一郎『桃太郎の母』などの「神話」や「民間伝承」に、心惹かれるようになった。私のもっとも新しい詩集『薬玉』は、それらとフレイザー『金枝篇』の結合に依って、成立しているのだ」(同前、三〇五ページ)と、自己解説している。
詩集《薬玉》を手にしたとき最も印象深いのは、12ポ活版の本文組と吉岡の詩集としては大ぶりな判型である(むしろ、判型が常になく大きいのは12ポ一五行組による、といったほうが正しい)。収録詩篇数一九は《僧侶》(1958)に同じく、表紙の紫色は《サフラン摘み》(1976)の「淡い紫」を濃く染めあげたものとなった。吉岡自装のこの装丁は、北原白秋詩集《海豹と雲》(アルス、1929)に触発されたものかもしれない。《海豹と雲》の仕様は「縦二三・四センチ、横一九・五センチの四六倍判の変型判。白秋の自装で、厚表紙、天金。函あり。表紙・裏表紙に薄い卵色の洋紙を貼り、背とコーナーに濃緑色のクロースを用いた継ぎ表紙。〔……〕函は灰色がかった薄黄色の和紙を貼った堅牢な貼り函」(《白秋全集5》、岩波書店、1986、六五九ページ)と紅野敏郎の〈後記〉にある。〈白秋をめぐる断章〉で《海豹と雲》巻頭の詩篇〈水上〉を引用している吉岡が《薬玉》の装丁自体を白秋詩へのオマージュとした、と考えてならない理由はどこにもない。
一九八四年、吉岡実は詩集《薬玉》で第二二回〈藤村記念歴程賞〉を受賞した。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《薬玉》本文校異〉を参照されたい。
選詩集《吉岡実》初刊 函と表紙
選詩集《吉岡実》初刊 一九八四年一月二〇日 中央公論社(東京都中央区京橋二の八の七 発行者高梨茂)刊〈現代の詩人1〉 定価一五〇〇円 編者大岡信・谷川俊太郎 鑑賞高橋睦郎 一七三×一一八 総二五〇頁 二色刷 上製丸背クロス装 空押 機械函 帯 装丁安野光雅 本文新字新かな 9ポ一六行組活版 本文整版印刷三晃印刷株式会社 口絵・扉・函印刷株式会社トープロ 本文用紙三菱製紙株式会社 クロスダイニック株式会社 製函・製本大口製本印刷株式会社
〔内容〕別丁本扉 口絵写真(渡辺兼人) 目次 詩篇計四五篇
《静物》〔抄〕静物/挽歌/雪/寓話/犬の肖像
《僧侶》〔抄〕牧歌/僧侶/夏――Y・Wに/苦力/聖家族/死児
《紡錘形》〔抄〕紡錘形T/紡錘形U/田舎
《静かな家》〔抄〕聖母頌
《神秘的な時代の詩》〔抄〕立体/聖少女/夏の家/三重奏
《サフラン摘み》〔抄〕サフラン摘み/タコ/マダム・レインの子供/わが家の記念写真/ルイス・キャロルを探す方法〔わがアリスへの接近〕/草上の晩餐/田園/フォーサイド家の猫/動物/舵手の書/ゾンネンシュターンの船/示影針(グノーモン)/カカシ/少年
《夏の宴》〔抄〕楽園/部屋/晩夏/父・あるいは夏/幻場/雷雨の姿を見よ/織物の三つの端布/悪趣味な春の旅/夏の宴/野/謎の絵/円筒の内側
散文〈日記抄――一九六七/懐しの映画――幻の二人の女優/読書遍歴/女へ捧げた三つの詩〉 自作について〈三つの想い出の詩〉 肖像〈吉岡実とあう――人・語・物〉(金井美恵子) 〈年譜〉 奥付
はさみこみ付録《対談・現代詩入門11》(大岡信・谷川俊太郎)
本書は《新選吉岡実詩集〔新選現代詩文庫110〕》(思潮社、1978)に続く吉岡実五冊めの選詩集。全四五篇の詩篇のうち、二九篇はその《新選吉岡実詩集》と《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》(思潮社、1968)のどちらかに収録されており、残る一六篇――《サフラン摘み》から〈草上の晩餐〉〈田園〉〈フォーサイド家の猫〉〈動物〉〈ゾンネンシュターンの船〉〈カカシ〉、《夏の宴》から〈部屋〉〈晩夏〉〈父・あるいは夏〉〈幻場〉〈雷雨の姿を見よ〉〈織物の三つの端布〉〈夏の宴〉〈野〉〈謎の絵〉〈円筒の内側〉――が吉岡実の選詩集として初めて収録された。すなわち「中期吉岡実詩」に対応するアンソロジーである。散文を含む作品の選択が誰によるものか明示されていないが、吉岡実と高橋睦郎によると思われる(それとも編者の大岡信と谷川俊太郎の選択だろうか)。
〈現代の詩人〉シリーズは統一フォーマットの構成になっていて、詩の本文ページ下段に〈鑑賞〉が緑色で印刷され、巻頭には写真家による写真作品が、巻末には詩人にまつわるエッセイが掲載されている。吉岡実書きおろしの〈自作について〉(本文と重複しないよう、《紡錘形》《静かな家》《神秘的な時代の詩》の三詩集から一篇ずつ選んで回想している)と〈年譜〉も重要だが、なんといっても本書で注目されるのは高橋睦郎の〈鑑賞〉で、吉岡本人に取材して得た貴重な証言をはじめ、随所に新しい知見がちりばめられている。とりわけ「この作品に引用された出典については、とくに大岡信氏の教示を得た。作者が一篇の作品の完成度のためにどれほど原典に沿うか、あるいはまた離れるかの例として、ここに示すのも意味のないことではあるまい」(本書、一六九〜一七〇ページ)とある巻末の〈円筒の内側〉の鑑賞が圧巻である。
吉岡陽子編〈年譜〉には、本書刊行の前前年である一九八二年「一月、渡辺兼人写真展〈逆倒都市〉を日本橋のツァイト・フォト・サロンで観る。金井美恵子、金井久美子、平出隆らと会う」(《吉岡実全詩集》、筑摩書房、1996、八〇四ページ)とあり、これが〈写真〉の契機と思しい。なお渡辺兼人には、金井美恵子との共著《既視の街》(新潮社、1980)がある。
〈現代の詩人〉は全一二巻編成。第二巻以降の詩人名を巻数順に挙げよう。( )内は詩の〈鑑賞〉執筆者名。鮎川信夫(北川透)、田村隆一(渋沢孝輔)、黒田三郎(飯島耕一)、石垣りん(鈴木志郎康)、清岡卓行(宇佐美斉)、茨木のり子(川崎洋)、川崎洋(清水哲男)、谷川俊太郎(大岡信)、飯島耕一(平出隆)、大岡信(三浦雅士)、吉原幸子(粟津則雄)。巻立てはおおむね生年順だが、トップバッターが吉岡実であることに改めて感慨を覚える。収録された詩人では、《最前線〔ユリイカ叢書〕》(青土社、1972)以降、新作の詩集を出していない岩田宏を除く《鰐》の同人(吉岡実・清岡卓行・飯島耕一・大岡信)が、《荒地》や《櫂》の出身者たちと並んで目立つ。
製本に糸かがりを採用しただけあって、本の開閉はきわめてスムーズで好ましい。それだけに、小活字(7ポイント)で組んだ〈鑑賞〉の印刷がやや浅く、読みづらいのが惜しまれる。
英訳詩抄《Celebration In Darkness――Selected Poems of YOSHIOKA MINORU》初刊 表紙
英訳詩抄《Celebration In Darkness――Selected Poems of YOSHIOKA MINORU》初刊 一九八五年[一月か] Oakland University KATYDID BOOKS(Rochester, Michigan)刊〈Asian Poetry in Translation: Japan #6〉[飯島耕一《Strangers' Sky》との合著] 定価一〇ドル九五セント 編者Thomas Fitzsimmons 訳者尾沼忠良 二二九×一七七 総二〇八頁 本文中性紙 並製紙装 装丁挿画Karen Hargreaves-Fitzsimmons 三三行組平版 アメリカ合衆国にて印刷McNaughton & Gunn, Saline, Michigan
〔内容〕刊記 目次 序文〈Modern Japanese Poetry―Realities and Challenges〉(大岡信、Christopher Drake訳) 〈Yoshioka Minoru―“Celebration In Darkness....”〉(鶴岡善久) 著者肖像写真 詩篇計一七篇(英訳邦文とも) 邦題《闇の祝祭》は著者自筆
Still Life / Solid / Octopus / Comedy / Simple / Tenderhearted Firebug / Legend / Horse: A Picture of Spring / Sentimentality / Spindle Form I / Spindle Form II / Diarrhea / Monks / Saffron Gathering / Still-Born / Family Photograph / In Praise of the Old and Senile
静物(B・1)/固形/タコ/喜劇/単純/やさしい放火魔/伝説/馬・春の絵/感傷/紡錘形T/紡錘形U/下痢/僧侶/サフラン摘み/死児/わが家の記念写真/老人頌
〔飯島耕一《Strangers' Sky》の書誌は省略〕
英訳詩抄《Celebration In Darkness》解題
《Celebration In Darkness》をインターネットで検索すると、一九八五年一月二二日刊という記述があるが、本書の刊記に一九八五年としか記載されていないので、書誌には[一月か]と記載した。一九八五年五月八日の《読売新聞〔夕刊〕》の〈ひと〉欄に〈日英両語で読める田村隆一詩集出版〉という記事が掲載された。
日本語と英語で同時に読める「田村隆一詩集」、英訳タイトル“Dead Languages”がオークランド大学から出版された。約三百nで一九四六年から今年の読売文学賞を受賞した「奴隷の歓び」までに書いた詩編の中から、「言葉のない世界」「恐怖の研究」「緑の思想」「恋歌」「哀歌」などが収められている。詩集は開いて右の表紙から日本語の原詩が並び、左の表紙から英訳の詩が配列されている。
訳に当たったのは、ハーバード大で「西鶴」のドクター論文を書き、跡見女子大で英語を教えているクリストファー・ドレイクさん。田村さんは、詩の選択をドレイクさんにすべてまかせた。この二か国語詩集はシリーズになっていて、すでに飯島耕一、吉岡実さんの詩集が出版されている。
〔……〕(同紙、11面)
KATYDID BOOKSの〈Asian Poetry in Translation: Japan〉はトマス・フィッツシモンズの編になるシリーズで、二〇〇六年二月の時点で、吉増剛造、正津勉、大岡信、木下夕爾、田村隆一、吉岡実・飯島耕一(本書)、トマス・フィッツシモンズ、佐々木幹郎、五島美代子、多田智満子、丸山薫、草野心平、谷川俊太郎、辻井喬、木島始、山本健吉などの詩・短歌・論がペーパーバックで(タイトルによってはハードカヴァーでも)出ている。二人集は本書だけで、吉岡にはすでに佐藤紘彰の英訳詩抄《Lilac Garden》(Chicago Review Press、1976)があるにしろ、今日から見れば吉岡実で一冊(中核となる詩集は《サフラン摘み》と《夏の宴》)、飯島耕一で一冊が望ましかった。
Within the hard surface of night's bowl(佐藤紘彰訳)
night comes and inside the hard surface of the vessel(尾沼忠良訳)
二冊の英訳詩抄の冒頭の一行(「夜の器の硬い面の内で」)だ。本書に収録された詩篇は《静物》から《サフラン摘み》までの詩集から選ばれているが、《神秘的な時代の詩》からの選入はない。また《僧侶》からの七篇が目を引く(それにしても、詩篇のオーダーにはどんな意図があるのだろう)。ちなみに《Lilac Garden》と重複する詩は一一篇――静物(B・1)/固形(C・11)/喜劇(C・1)/単純(C・9)/やさしい放火魔(E・9)/伝説(C・5)/紡錘形T(D・4)/紡錘形U(D・5)/下痢(D・3)/僧侶(C・8)/老人頌(D・1)――である。
評伝《土方巽頌――〈日記〉と〈引用〉に依る》初刊 ジャケット
評伝《土方巽頌――〈日記〉と〈引用〉に依る》初刊 一九八七年九月三〇日 筑摩書房(東京都千代田区神田小川町二の八 発行者関根栄郷)刊 定価一八〇〇円 一八八×一二五 総二五八頁 上製丸背クロス装 ジャケット 帯 オブジェ中西夏之 写真普後均 装丁吉岡実 本文新字新かな 9ポ四〇字詰一六行組活版 印刷明和印刷 製本積信堂製本
〔内容〕別丁本扉 題辞 計一〇八篇
1 青い柱はどこにあるか? 2出会い・「ゲスラー・テル群論」 3「舞踏ジュネ」 4「変宮の人」 5雛まつり 6「鎌鼬」写真展 7唐十郎一家と赤テント 8卵のオブジェ 9アスベスト館の妖精 10虎の絵の下で 11「まんだら屋敷」 12「肉体の叛乱」 13詩人の絵画展 14舞踏「麗子」 15詩画集『あんま』 16夜の訪問者 17屈斜路湖畔からの絵葉書 18「O氏の肖像」 19少女相愛図のポスター 20スぺースカプセルの夕べ――奇妙な日のこと 21映画「恐怖奇形人間」 22「花と鳥」の夕べの後で 23あやめの花 24「燔犠大踏鑑」 25黒塗りの下駄 26百日鬘の女人 27三島由紀夫の死 28土方巽の幼少年期の〈詩的体験〉 29アートヴィレッジにて 30「遊行夢華」 31秋水のように 32アンドロジーヌ 33女弟子たち 34駿河台下で 35「長須鯨」 36「四季のための二十七晩」――第二次暗黒舞踏派結束記念公演 37涙 38聖あんま語彙篇 39絵はがき(昭和四十七年十二月十八日付) 40「静かな家」 41「陽物神譚」 42「ひねもす神楽坂抄」 43雪の夜の宴 44本名 45教育勅語的朗読 46「サイレン鮭」 47「白桃房」開花 48大森の一夜 49「黄泉比良坂」 50「塩首」 51アスベスト館封印 52「使者」 53『犬の静脈に嫉妬することから』 54映画「風の景色」 55「ラ・アルヘンチーナ頌」 56白塗りの起源 57「金柑少年」そのほか 58港が見える丘公園で 59初冬の風 60銅羅魔館にて 61瀧口修造死去 62「病める舞姫」 63「わたしのお母さん」 64暗黒舞踏派宣言前後〔1 秘儀 2 題材は文学作品から 3 「禁色」 4共演の少年 5 DANCE EXPERIENCEの会 6 「エミリーの薔薇」 7 「胎内瞑想」 8 「ディヴィーヌ抄」 9衣装は「ギプス」 10 〈晩餐会〉 11 舞踏「降霊館死学」 12 「音楽は食べるものですよ」 13 箱の中は? 14 砂糖壺 15 火と氷 16 納豆めし 17 モーブ色の空 18 憎い男ぶり〕 65瀧口修造の三回忌 66「舞ひみぞれ」 67シモン人形 68奇想の書物? 69「庭」 70八芳園にて 71ライヴスペース・プランB 72『病める舞姫』完成 73『病める舞姫』出版記念会 74「スペインに桜」 75「石が二つ出会うとき蝶がうまれる」 76来宮の山荘の一夜 77バー・おけい 78六本木の朝明け 79「縄文頌U」 80「夏の淵」――祝宴の余波 81モンロー人形のチョコレート 82瀕死の雉子 83バルチュスの絵を観にゆく、夏――〈日記〉1984年より 84たんぽぽと髪の句 85現場・言葉 86「間腐れ」 87「恋愛舞踏派定礎」 88秋の宴・パス夫妻をかこんで 89アスベスト館の忘年会 90「舞踏懺悔録集成」開催 91「死海」――ウィンナーワルツと幽霊 92「昼の月」 93「ひばりと寝ジャカ」 94再び「ラ・アルヘンチーナ頌」 95神楽坂・鳥茶屋 96「東北歌舞伎計画」――スタジオ200 97「親しみへの奥の手」――アスベスト館開封記念公演 98祇園祭見物 99「油面のダリア」そのほか 100秋の夜長 101舞踏行脚――土方巽最後の講演 102「富岡鉄斎展」を観にゆく、晩秋 103十二月は残酷な月 104暗い新春 105柩の前で 106哀悼の一句 107風神のごとく――弔辞 108「聖あんま断腸詩篇」
〈補足的で断章的な後書〉 〈引用資料〉 目次 奥付
筑摩書房の《新刊案内》(一九八七年一〇月)は《土方巽頌》を次のように紹介している。「「舞踏とは命がけで突っ立った死体である――土方巽」その出会いから訣れまで二十年、前衛詩人と暗黒舞踏家の交流が生み出した詩、詩人の日記、数多くの友人・関係者の証言をコラージュし、「聖あんま語彙篇」を中仕切りに、傑作「聖あんま断腸詩篇」に収斂していく一大追悼篇。著者自装。 B6変型(9月30日刊)1800円」。
再録された吉岡実詩は、〈青い柱はどこにあるか?〉(F・6)、〈聖あんま語彙篇〉(G・8)、〈サイレント・あるいは鮭〉(G・25)、〈あまがつ頌〉(G・30)、〈使者〉(H・18)、〈裸子植物〉(H・25)、〈聖あんま断腸詩篇〉(K・12)の七篇で、土方に捧げた三篇は本文と同じ9ポ組である(部分的に引用された詩は、〈雪〉(B・14)、〈静かな家〉(E・16)、〈金柑譚〉(H・17)の三篇)。
吉岡の日記は、舞踏詩〈形而情学〉を観た一九六七年七月三日(散文〈日記抄――一九六七〉の最後にも登場)に始まり、土方巽一周忌の一九八七年一月二一日の三週間後にあたる二月一一日に終わる。
他者の文章(証言)からの引用は、土方巽本人を筆頭に、加藤郁乎、瀧口修造、細江英公、三好豊一郎、芦川羊子、清水晃、種村季弘、大野一雄、中西夏之、谷川晃一、高橋睦郎、吉増剛造、澁澤龍彦、郡司正勝、笠井叡、鶴岡善久、合田成男、鈴木志郎康、飯島耕一、中村宏、古沢俊美、出口裕弘、市川雅、元藤Y子、大内田圭弥、唐十郎、三島由紀夫、大野慶人、矢川澄子、埴谷雄高、吉村益信、池田満寿夫、田中一光、松山俊太郎、池田龍雄、白石かずこ、中村文昭、木幡和枝、天澤退二郎、鈴木一民、國吉和子、宇野邦一、永田耕衣、田中泯、大岡信、八木忠栄、水谷勇夫、巖谷國士、羽永光利、長尾一雄、麿赤児、ニーチェなど。
《土方巽頌》における吉岡の散文は大半が書きおろしだが、節全体が既発表の文章は次の四篇である(発表順)。
83 バルチュスの絵を観にゆく、夏――〈日記〉1984年より(《麒麟》7号〔1985年6月25日〕〈essais critiques〉)
107 風神のごとく――弔辞(《現代詩手帖》1986年3月号)
98 祇園祭見物(《ユリイカ》1986年3月号〈追悼=土方巽〉)
76 来宮の山荘の一夜(《ちくま》1987年2月号)
吉岡は松浦寿輝と朝吹亮二との鼎談〈奇ッ怪な歪みの魅力〉でこう語っている。「僕が一回で書いたのは一番長いので十六枚くらいで、それが僕の限界だったんだけど(笑)、なんたって日記がありますからね。〔……〕それで、やや無理してやっているうちに夢中になっちゃってね。やりだしたらけっこう面白くなって、結局二五〇枚ということに……。割合で言えば、たぶん日記が主体になっていると思うんだけど、土方に捧げた詩というのは三篇しかないんですよね。だから、それだけじゃ足りない。そうなると、僕が暗黒舞踏を見出してからの……、つまり芦川羊子の舞踏を見て詩を書いた。大野一雄の舞踏を見て詩を書いた、笠井叡の舞踏を見て詩を書いた、それから山形でやった「塩首」という、合同舞踏が「あまがつ頌」という作品になっている、そういう暗黒舞踏の詩も全部入れちゃったのね。だからこれは、まさに僕と土方巽との交流であると同時に、僕と暗黒舞踏のかかわりの全部が入っちゃったんですね」(《ユリイカ》1987年11月号、二五七ページ)。
〔〈日記〉一九七三年九月〕十五日・午後一時ごろ、パルコのウエアハウスで陽子とコーヒーをのみ、〔西武パルコ〕劇場へ行き、「静かな家」後篇を観る。三時間近く、緊張をしいられる舞台だった。――あらゆる芸術家にはかつての自己の作品を、引用し、変形し、増殖してゆくという、営為がある。この作品にもそれがあるように思われた。めずらしく、誰とも会わず、受付の土方夫人に挨拶して帰る。(《土方巽頌》、七一〜七二ページ)
本書ジャケットの絵柄は、吉岡実詩の真の出発である詩集《静物》の函・表紙のそれに酷似している。単行本一冊に近い文章を初めて書きおろした吉岡は、「中西夏之の樹脂で造られたラグビーボールほどの卵のオブジェ」(同前、一八ページ)のモノクロ写真を掲げることで、「散文家としての出発」を期したのであろうか。なお人名の表記だが、四四ページの「瑳珴美智子」は瑳峨三智子、混在する「小林嵯峨」「小林瑳珴」は小林嵯峨が妥当である。
《土方巽頌》の〈人名索引〉を作成〔2012年12月31日追記〕
吉岡実と土方巽との交流の記念碑であると同時に、吉岡と暗黒舞踏の関わりすべてが入った書でもある《土方巽頌――〈日記〉と〈引用〉に依る》には、おびただしい数の人物が登場する。登場回数の最も多いのはむろん土方巽で(本書の主題であるため人名索引の対象としなかった)、その土方を中心に、芦川羊子や大野一雄、笠井叡などの舞踏家――以下、具体的な人名は挙げないが――、画家、彫刻家、写真家、映像作家、評論家、外国文学者、詩人、小説家、編集者などが集うさまを活写した本書は、1960年代から80年代にかけての日本の文化の貴重な証言にもなっている。講談社の《昭和二万日の全記録》が、昭和39年から50年にかけての3巻で《土方巽頌》から吉岡の日記を抜粋・掲載しているのは、見識だと思う。さて、私自身は《土方巽頌》の本文をテキストデータ化して調査・研究用に使っているが、ふだん読むのは本の方である。一読者の立場からすると、本書にはぜひとも人名索引がほしかった。望燭の願いが空しいのなら自作するに如くはない、と索引づくりを始めたはいいが、文字面をそのまま起こすのではせっかく作成する甲斐がない。そこで、「金井姉妹」は「金井久美子」と「金井美恵子」に、「ガラちゃん」は「元藤がら」に、「ベラちゃん」は「元藤べら」に――表記の変更にあたっては吉岡の随想〈姉妹――がらとべら〉(《アスベスト館通信》10号、1989年6月)を踏まえた――という具合に、文脈を離れても自立できるような変換を試みた。旧字体の使用など、吉岡による人名表記を尊重しつつも、通行の形を採ったものがあり、〈解題〉で触れたように「瑳峨三智子」「小林嵯峨」を見出し語に採用している。よみがなや生(歿)年、肩書を付記しようと思わないでもなかったが、人名事典ではないので自粛した。さらなる詳細情報が必要な向きは、専門書・ウィキペディア・NDL-OPAC等で入手されたい。見出し語はすべてが国立国会図書館の著者標目と同形というわけではないが、情報検索には役立つだろう。以下に《土方巽頌》と異なる表記を採った人名の例を掲げる(本人名索引 ← 吉岡の表記)。
底本には《土方巽頌》初版第二刷(筑摩書房、1987年12月10日)を用いた。PDFファイルをトンボ付きで書きだしたので、印刷コマンドのサイズオプションを「実際のサイズ」に指定して印刷のうえ裁断すれば、原本と同寸に仕上がる。それを巻末の〈目次〉と奥付の間にでも挿んで活用していただければ、作成者冥利に尽きる。私が本索引を作成したのも、それをしたいがためだった。
■ 土方巽頌・人名索引〔吉岡実著《土方巽頌――〈日記〉と〈引用〉に依る》付録〈人名索引〉〕(小林一郎作成、PDFファイル公開、2012年12月31日)
随想集《「死児」という絵〔増補版〕》 ジャケット
随想集《「死児」という絵〔増補版〕》初刊 一九八八年九月二五日 筑摩書房(東京都千代田区神田小川町二の八 発行者関根栄郷)刊〈筑摩叢書328〉 定価二三〇〇円 一八八×一二八 総三九四頁 並製小口糊 ジャケット 帯 装丁原弘(NDC) 本文新字新かな 13級四四字詰一九行組平版 印刷明和印刷 製本永興舎製本
〔内容〕口絵写真(スタンチッチ〈死児〉) 目次 随想計八六篇
TからWまでは(S)《「死児」という絵》初刊に同じ(ただし〈ひるめし〉〈兜子の一句〉〈会田綱雄『鹹湖』出版記念会記〉〈不逞純潔な詩人――金子光晴〉〈吉田一穂の詩〉の五篇を省き〈西脇順三郎アラベスク〉の10から13までを追加)
X うまやはし日記 ベイゴマ私考――少年時代のひとつの想い出 湯島切通坂 学舎喪失 沈復『浮生六記』 消えた部屋 近藤勇の墓の辺り 「受賞前後」の想い出 奠雁 二つの詩集のはざまで リルケ『ロダン』――私の一冊 藤と菖蒲 くすだま 白秋をめぐる断章 『鹿鳴集』断想 耕衣粗描 高柳重信断想 月の雁 重信と弟子 郁乎断章 赤尾兜子秀吟抄 三橋敏雄愛吟抄 幼児期を憶う一句 二人の歌人――塚本邦雄と岡井隆 宗達「仔犬図」 徽宗皇帝「猫図」 菊地信義のこと 遠い『記憶の絵』――森茉莉の想い出 ロマン・ポルノ映画雑感 ポルノ小説雑感 官能的な造形作家たち 「官能的詩篇」雑感
〈あとがき〉 〈初出一覧〉 奥付 奥付裏広告
吉岡実の随想集《「死児」という絵〔増補版〕》は、書きおろしの評伝《土方巽頌》(筑摩書房、1987)を手掛けた淡谷淳一の編集で、元版《「死児」という絵》(思潮社、1980)の八年後に増補・刊行された。吉岡は本書の〈あとがき〉に「今度、淡谷淳一の尽力で、「筑摩叢書」の一冊として、再刊されることになった。ついては、意にみたない五篇を省いた。「叢書」に入ったことに依って、この書物も、いくらかは、広く読まれることになるであろう。〔……〕この八年間に書いた文章は、わずかに百五十枚足らずである。いずれも「日常反映の記録」にすぎないものばかりだ。増補して、最終章の収めている」(《「死児」という絵〔増補版〕》、三七〇ページ)と書いた。そのTからWまで(元版の再録であるが、ごく軽微な手入れがなされていて、まったく同一の本文というわけではない)に関しては〈随想集《「死児」という絵》解題〉に書いたとおりだが、「80年版に今回新たに第5部として32篇を追加した増補」(帯文)分は、元版に倣うかのように、目次では「*」で六パートに分けられている。
高柳重信をめぐる文章が第三パートに三篇もあって、吉岡実にとって高柳の存在とその死がいかに大きなものだったかが偲ばれる。「重信はなぜか、新しい句を注入し、句集を編み替え、増殖させ、一つの『作品集』を構築しているのだ。作者の必然的な営為として理解できるが、一読者としてどうも読みにくく感じる。私は反対に『詩集』は一巻で完結するように、試みているから、なおさらなのかも知れない」(〈高柳重信断想〉、三一七ページ)は、本書の成りたちまで語っているようだ。
《「死児」という絵〔増補版〕》は吉岡実が公的に残すことを認めた唯一の散文集である。吉岡は死の二年前に刊行された本書の後にも、何篇か散文を発表しているが(主なものに〈心平断章〉、〈篠田一士追想〉、〈姉妹――がらとべら〉)、まず本書を、さらには《土方巽頌》と《うまやはし日記》(書肆山田、1990)を読めば、吉岡実の「詩」以外の世界のほとんどは諒解せられるであろう。本書を読まずして吉岡実の自筆原稿について云云するなど、論外と言うもおろかである。
瑣末なことだが、巻末の〈初出一覧〉にいくつか誤記・誤植があるので、以下に訂正しておく。このうちの1から10までは元版《「死児」という絵》も同じ記載であり、増補版の〈初出一覧〉は元版のそれを引きうつしたものであろう(なお、元版にだけ収録された〈兜子の一句〉の発表年月は「一九七九年一月」が正しい)。
詩集《ムーンドロップ》初刊 一九八八年一一月二五日 書肆山田(東京都豊島区南池袋二の八の五の三〇一 発行者鈴木一民)刊 定価二八〇〇円 二一八×一四三 総一四六頁 上製丸背布装 組立函に貼題簽 帯 初刷は一五〇〇部 装画西脇順三郎 装丁吉岡実 本文新字新かな 12ポ一三行組(ただし〈聖あんま断腸詩篇〉のみ五号一五行組)活版 印刷シナノ印刷・イナバ巧芸社 製本山本製本所 製函光陽紙器製作所
〔内容〕別丁本扉 目次 詩篇計一九篇
産霊(むすび) カタバミの花のように わだつみ 聖童子譚 秋の領分 薄荷 雪解 寿星(カノプス) 銀幕 ムーンドロップ 叙景 聖あんま断腸詩篇 睡蓮 苧環(おだまき) 晩鐘 青空(アジュール) 銀鮫(キメラ・ファンタスマ) 鵲 〔食母〕頌
〈初出一覧〉 奥付
《ムーンドロップ》は吉岡実の第一二詩集。一九八八年一一月二五日、書肆山田刊。八四年一二月の〈聖童子譚〉(K・4、同年九月の〈小曲〉と一〇月の〈少年 あるいは秋〉を変改吸収)から八八年九月の〈〔食母〕頌〉(K・19)までの一九篇を収め、生前最後の単行詩集となった。
タイトルポエムの〈ムーンドロップ〉(K・10)はナボコフの《青白い炎》(富士川義之訳)から題名と若干の章句を採っている。最晩年の吉岡は「詩集を編むとき、詩の順番は勘や感じみたいなもので決める。〈産霊(むすび)〉(K・1)は高貝弘也氏が好きだ好きだと言っていたので、もっと後にあったのをトップにもってきた(最後に置く詩篇は決まっていた)。冒頭の詩句「〔聖なる蜘蛛〕」はマラルメ(出典は《ユリイカ》特集号の誰かの文章)から」という主旨のことを私に語った。詩集《ムーンドロップ》目次原稿を掲げよう。太字は吉岡の原稿、補記(K・1〜18)は刊本での収録順を表わす。
詩集 ムーンドロップ1 寿星(カノプス)(K・8)
2 カタバミの花のように(K・2)
3 わだつみ(K・3)
4 聖童子譚(K・4)
5 秋の領分(K・5)
6 薄荷(K・6)
7 雪解(K・7)
8 産霊(むすび)(K・1)
9 銀幕(K・9)
10 ムーンドロップ(K・10)
11 叙景(K・11)
12 青空(アジュール)(K・16)
13 聖あんま断腸詩篇(10ポ組)(K・12)
14 苧環(K・14)
15 睡蓮(K・13)
16 晩鐘(K・15)
17 銀鮫(キメラ・ファンタスマ)(K・17)
18 かささぎ(K・18)
〈かささぎ〉(初出標題)は、詩集では北原白秋詩集《海豹と雲》(アルス、1929)と同じ〈鵲〉に改められた。上の目次原稿には巻末の詩篇〈〔食母〕頌〉が記載されていない。吉岡の先のコメントと重ねあわせると、〈〔食母〕頌〉を書き(八八年八月八日脱稿で、奇しくも三〇年前のこの日、吉岡は〈感傷〉(C・18)を完成させている)、最後に置くことで《ムーンドロップ》は成ったのである。「野の丈なす草むらに……。」(同詩の最終行)と吉岡の詩で唯一、句点を伴う詩句を末尾に擁して。
本書は吉岡のこれまでのほとんどの詩集がそうであったように自装であり、貼題簽・表紙・本扉に西脇順三郎のカットをあしらっている。《ムーンドロップ》刊行後の吉岡さんに尊敬する詩人について訊く機会があったが、意外にも西脇順三郎の名は出てこなかった。むしろそれすら振りすてて詩の荒野に立っている、というニュアンスだったように思う。してみると、西脇への詩篇を収録していない本書をその装画で飾ることで、密かに西脇との訣れを図ったものか。
吉岡は随想〈「ムーンドロップ」〉(《白い国の詩》1989年4月号)で「昨年の十一月末、ここ五年間の作品十九篇より成る、詩集『ムーンドロップ』を刊行した。わが友、土方巽と澁澤龍彦への追慕の詩二篇を収めており、私にとって大切な詩集である」と述懐した。本詩集は、一九八九年三月、第四回詩歌文学館賞(現代詩部門)に選ばれたが、吉岡は受賞を辞退している(詳細は〈吉岡実と文学賞〉の〔2019年2月28日追記〕を参照されたい)。
〔2019年4月15日追記〕
吉岡実の生誕100周年(2019年4月15日)を記念して、〈吉岡実全詩篇〔初出形〕〉(小林一郎 編)〔A4判縦位置で印刷すると、約[293]ページ〕を新規ページとしてアップした。ただし、本サイトでは《〈吉岡実〉を語る》の一項目という位置づけのため、トップページの〈目次〉には掲出しない。
なお、本詩集収録詩篇の本文校異(〔初出形〕―〔詩集収録形〕―〔定稿形〕)の詳細は、〈吉岡実詩集《ムーンドロップ》本文校異〉を参照されたい。
日記《うまやはし日記》初刊 ジャケット
日記《うまやはし日記》初刊 一九九〇年四月一五日 書肆山田(東京都豊島区南池袋二の八の五の三〇一 発行者鈴木一民)刊〈りぶるどるしおる1〉 定価一八〇〇円 一九〇×一二三 総一四八頁 がんだれ装〔第二刷の表紙は堅紙上製に変更〕 ジャケット〔第二刷は袖に著者略歴〕 帯 装丁亞令 本文新字新かな 9ポ二五字詰一五行組活版 印刷共信社・イナバ巧芸社 製本山本製本所
〔内容〕別丁本扉 著者肖像写真 目次 日記
昭和十三年(一九三八) 昭和十四年(一九三九) 昭和十五年(一九四〇)
〈あとがき〉 奥付 奥付裏広告
日記《うまやはし日記〔弧木洞版〕》 奥付と署名箋
日記《うまやはし日記〔弧木洞版〕》 初刊に同じ(ただし表紙と本文にジャケットと同様の色の用紙を使用 限定一〇〇部 貼奥付検印)
〔内容〕前掲初刊に同じ
《うまやはし日記》は、吉岡実が東京市本所区厩橋二の一三に在った時代の日記を五〇年後に公刊した、生前最後の著書。一九九〇年二月七 日の日付のある本書の〈あとがき〉から、前半を引く。
この「うまやはし日記」は、その一部を一九八〇年の「現代詩手帖」十月号の「吉岡実特集」によせたもので、次のように付記している。――戦前の「日記」 二冊が消失をまぬかれて残った。いずれも昭和十三―十五〔ママ〕年のものである。冗長な記述を簡明にし、ここに収録する。もちろん作為はない。現在休息中ゆえ、詩、文章などの作品を提示することが出来ない。稚拙な二十歳の「日記」を以って、その任を果す――と。(本書、一四二ページ)
《うまやはし日記》の初出〈うまやはし日記〉は、昭和一三(一九三八)年八月三〇日(本書では三一日」と改められた)から翌年九月九日までの一年強の日記で、本書以前、《「死児」という絵〔増補版〕》(筑摩書房、1988)の増補部「X」冒頭に収録された。よって《うまやはし日記》の昭和一四(一九三九)年九月一〇日から翌年三月六日(七三〜一四〇ページ)までの半年分は書きおろしである。〈あとがき〉の後半を引く。
最近刊行されはじめた、書肆山田の小冊子「るしおる」に、作品・文章を求められたが、休筆中なので、「うまやはし日記」の補遺で、そのせめ[、、]を果そうと思った。省略したきわめて「私的事項」を拾い出して、挿入してゆくうち、思わずも熱が入り、八十余枚の原稿に成ってしまった。連載しても数年はかかるだろうから、いっそ単行本にしましょう、ということになった。しかも「りぶるどるしおる」最初の一冊となるという。面映ゆいがうれしいことだ。『うまやはし日記』刊行の暁、感傷的な二冊の「原・日記」は消滅するはずである。(本書、一四二〜一四三ページ)
吉岡陽子編の年譜には、吉岡が〈あとがき〉を書いた一九九〇年二月は「会田綱雄死去。声帯麻痺のため声が嗄れ嚥下力も落ち食欲が細る」、四月は「十五日、自宅で誕生日を祝う。りぶるどるしおるの一冊として『うまやはし日記』書肆山田より刊行。鈴木一民、大泉史世、宇野邦一が来宅。差入れの料理とワインで祝杯。近所に住む吉増剛造から復活祭のチョコレートの玉子と誕生日おめでとう≠フメッセージが届く」(《吉岡実全詩集》、筑摩書房、1996、八一〇ページ)とある。私は半世紀に亘るその執筆活動を〈吉岡実著作目録1940-1990初出篇〉にまとめて、吉岡さんの誕生日を祝った(四月一七日付のハガキが吉岡さんからの最後の便りとなった)。五月早早、吉岡さんから《うまやはし日記〔弧木洞版〕》をお送りいただいたので、読後感を認めた礼状を出した。
吉岡実は《うまやはし日記》を最後の著書にしたくない、と漏らしていたそうだ(私には、子供のころの話はいろいろと書いたからもういい、とも語っていた)。本書は一九九〇年の五月末に歿した吉岡のラストメッセージになってしまった。「第三の兵士」としての戦わざる兵隊を主題にしたフィクションのある散文(ということは小説か)、あるいは長短とりまぜた「現世をテーマにした長篇詩」(それはあの《粘土説》か)の構想が、本書を書きおえた吉岡の脳裡を去来したであろうに。
《現代詩読本――特装版 吉岡実》初刊 ジャケット
《現代詩読本――特装版 吉岡実》初刊 一九九一年四月一五日 思潮社(東京都新宿区市谷砂土原町三の一五 発行者小田久郎)刊 監修平出隆 定価二二八〇円 二一〇×一四八 総三二八頁 並製 ジャケット 帯 表紙・目次・本文レイアウトコンセプト菊地信義・稲川方人 写真・資料提供吉岡陽子・平出隆・金井塚一男・知念明子・相田昭・小林一郎・宮内勝・東京新聞・思潮社資料室 本文新字新かな 9ポ二七字詰二六行二段組活版 印刷文唱堂印刷株式会社
〔内容〕別丁目次 別刷アルバム 討議 代表詩40選 作品論 肖像 短評・書評 追悼文 写真 エッセイ 資料
初出=――〔写真〕〈吉岡実アルバム――一九一九〜一九九〇〉/大岡信・入沢康夫・天澤退二郎・平出隆〔討議〕〈自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで〉/岡井隆〈初期の詩の中の「卵」――両義性の感覚〉/稲川方人〈永遠に失われた詩の終わり――うまやはしの初期〉/松浦寿輝〈後ろ姿を見る――『サフラン摘み』の位置〉/守中高明〈吉岡実における引用とパフォーマティヴ――『サフラン摘み』以後〉/飯島耕一〈青海波――あるいは吉岡実をめぐる走り書〉/吉田文憲〈覚めて見る、夢――『薬玉』のむこうに〉/藤井貞和〈『ムーンドロップ』文法断章〉/岩成達也〈吉岡実の言葉についての私的なメモ〉/吉増剛造〔写真・文〕〈吉岡實さんの幻≠追って行った。〉/瀬尾育生〈詩は死んだ、詩作せよ――吉岡実の《脳髄》について〉/朝吹亮二〈エニグム・アノニム――enigme anonyme〉/辻井喬〈吉岡実の詩法――世界そのものとしての喩〉/高橋睦郎〈吉岡実葬送私記〉/小林一郎〈吉岡実年譜〉〈吉岡実書誌〉〈参考文献目録〉〈〈吉岡実〉を探す方法――年譜・資料を作成しながら〉
再録=吉岡実 〔詩篇〕大岡信・入沢康夫・天澤退二郎・平出隆編〈代表詩40選〉//詩集《静物》〔抄〕静物/静物/静物/静物/樹/卵/寓話/過去//詩集《僧侶》〔抄〕告白/僧侶/単純/苦力/聖家族/喪服/感傷/死児//詩集《紡錘形》〔抄〕老人頌/下痢/首長族の病気//詩集《静かな家》〔抄〕劇のためのト書の試み/桃――或はヴィクトリー/やさしい放火魔/孤独なオートバイ//詩集《神秘的な時代の詩》〔抄〕聖少女/わが馬ニコルスの思い出//詩集《サフラン摘み》〔抄〕サフラン摘み/タコ/マダム・レインの子供/聖あんま語彙篇/ルイス・キャロルを探す方法〔わがアリスへの接近〕/示影針(グノーモン)/悪趣味な内面の秋の旅//詩集《夏の宴》〔抄〕楽園/晩夏/円筒の内側//詩集《薬玉》〔抄〕薬玉/青海波//詩集《ムーンドロップ》〔抄〕わだつみ/〔食母〕頌//〈補遺〉詩歌集《昏睡季節》〔抄〕夏/秋/放埒/昏睡季節1/昏睡季節2//詩集《液体》〔抄〕挽歌//歌集《魚藍》抄〔一八首〕//突堤にて 〔散文ほか〕《うまやはし日記》より/好きな場所/「ムーンドロップ」/吉岡実氏に76の質問(インタビューアー高橋睦郎)/済州島/「想像力は死んだ 想像せよ」/二つの詩集のはざまで/懐しの映画――幻の二人の女優/ベイゴマ私考――少年時代のひとつの想い出
村野四郎〈H氏賞をうけた吉岡実の『僧侶』〉/荏原肆夫〈偏執狂的コラージュの技法〉/高見順〈物体としての詩〉/篠田一士〈ランニング・シャツ〉/伊達得夫〈吉岡実異聞――H氏賞のことなど〉/塚本邦雄〈修羅と悪徳との凶変の証――『吉岡実詩集』書評〉/安東次男〈価値ある詩〉/宮川淳〈言語の光と闇――吉岡実のエクリチュール〉/――〈ケン玉達人吉岡実――達人、渋沢テングの鼻を折る〉/滝本明〈陸封された語――「突堤にて」について〉/岡田隆彦〈装幀家・吉岡実〉/澁澤龍彦〈吉岡実の断章――拳玉と俳句〉/北園克衛〈吉岡実の詩についての簡単な意見〉/土方巽〈或る場所にある卵ほどさびしいものはない〉/太田大八〈カメレオンの眼――吉岡実との交友〉/高橋康也〈吉岡実がアリス狩りに出発するとき〉/栃折久美子〈吉岡さんの装幀〉/高柳重信〈吉岡実と俳句形式――『昏睡季節』について〉/平出隆〈「私」の生れる場所――吉岡実の散文〉/白石かずこ〈吉岡実とカムイ伝――「吉岡実さんの子供になりたいな」〉/金井美恵子〈吉岡実とあう――人・語・物〉/三好豊一郎〈天才舞踏家を捕える手法――『土方巽頌』をめぐって〉/大岡信〈弔辞〉/安藤元雄〈もう一本の棒杭〉/那珂太郎〈吉岡實追想〉/北村太郎〈『うまやはし日記』のことなど〉/種村季弘〈朝湯のなかで雨を聴く人〉/入沢康夫〈吉岡さんの死〉/中西夏之〈吉岡さんへ――弔辞〉/永田耕衣〈吉岡さんの書――追悼にかえて〉/渋沢孝輔〈吉岡実さんを悼む〉/竹西寛子〈吉岡実さん〉
奥付
《現代詩読本――特装版 吉岡実》は吉岡実を追悼して編まれた総特集。〈現代詩読本〉は思潮社のムックシリーズで、二〇タイトル以上が刊行されている。本書以前に、中原中也・金子光晴・立原道造・高村光太郎・室生犀星・三好達治・萩原朔太郎・西脇順三郎・伊東静雄・宮澤賢治・石川啄木・瀧口修造・鮎川信夫・谷川俊太郎・草野心平などが刊行されており、本書以後、現在までに大岡信・田村隆一が出ている。なお、「特装版」とあるが、本書に別の版はない。
同社の図書目録に曰く「時代と境界を超え、言語の極限に生きた戦後の詩の最高峰吉岡実の全貌。大岡信、入沢康夫、天澤退二郎、平出隆の討議と代表作四〇選、書下し詩人論と過去の吉岡論を集大成。吉岡自身のエッセイ抄とアルバム二〇頁、年譜、書誌三九頁を添えた記念出版」。こうして本書には新稿と再録が収められており、目次項目の〈討議〉〈代表詩40選〉〈作品論〉〈肖像〉〈短評・書評〉〈追悼文〉〈写真〉〈エッセイ〔吉岡実〕〉〈資料〉〈アルバム〉のうち、相対的には〈討議〉〈作品論〉〈追悼文〉〈資料〉〈アルバム〉の新規性が高い。
大岡・入沢・天澤・平出四氏の〈討議〉から随意に引けば、「『昏睡季節』の詩の一行一行には『うまやはし日記』にみられる吉岡さんの若い頃の本所の路地そのものであるような実感もしてくるんですね」(天澤)、「戦争中にさんざんな目にあった体験で、世界の悪意から自分を守るためにはどういう形態が最もよいかと思った時、つるっとして捉えどころがなくて、でもいちばん構造的に強いものを彼は無意識的に求めたと思うんです」(大岡)、「多構造性をもたない詩というものが分解してしまうということを『神秘的な時代の詩』の時に痛切に感じたことが、それ以後の詩の方法に向かわせていったんじゃないかとも思うんです」(平出)、「彼の詩について共通の解読ルールがあればいいんだけれど、それを彼は読者に与えてくれないし、また実際ないんじゃないかな」(入沢)といった具合に、四詩人の発言には読みかえすたびに新たな発見がある。
私は大日方公男さんの依頼で巻末の資料〈吉岡実年譜・書誌・参考文献〉を担当し、脱稿後、勧められてあとがきふうの短文を書いた。本書の発売に合わせて刊行案内のハガキを自作して、ことの経緯を記したので、参考までに掲げてみよう。
〔……〕/さて、このたび《現代詩読本吉岡実》が刊行されました。これは、昨年の五月に吉岡実さんが亡くなられて、最初の本格的な本です。私は縁あって巻末の〈吉岡実年譜〉〈吉岡実書誌〉〈参考文献目録〉を執筆しましたが、二〇世紀後半、昭和後期を代表するこの詩人の業績を顧みるべく、半年あまり専心いたしました。/私が詩に魅せられて以来、吉岡さんの詩はつねに最高峰に位するものでした。晩年の数年間、それらを生みだした詩人と何度かお話しする機会の持てたことを、今はありがたく思いおこします(ユー・ピー・ユーの《ダブル・ノーテーション》土方巽特集号が吉岡さんの《土方巽頌》に関わっているのも懐かしい思い出です)。/これを機に、吉岡実さんの詩をご存じの方はもちろん、そうでない方も、この「日本語による驚異」に触れていただければ幸いです。そのとき私の《吉岡実頌》がみなさまの手引きになれば、これに優る喜びはございません。(一九九一年四月一五日付)
付言すれば、本書掲載の〈吉岡実年譜〉〈吉岡実書誌〉〈参考文献目録〉のアップデートを常態にしているのが、本サイトの〈吉岡実年譜〔作品篇〕〉、〈吉岡実書誌〉、〈吉岡実参考文献目録〉である。基本的に、本サイトの記事ページがウェブの流儀で新しいものから始まっているのに対して、これらの資料ページの記載が編年体になっているのは、本書のなごりである。
英訳詩集《Kusudama》初刊 表紙
英訳詩集《Kusudama》初刊 一九九一年 FACT International社(2-2650 West 1st Ave. Vancouver B.C. V6K 1G9 Canada)Leech Books刊 訳者 Eric Selland 二〇八×一七一 総五二頁 並製 くるみ表紙 本文用紙再生紙 デザインSteven Forth、Yoshie Hattori 表紙コラージュYoshie Hattori 写真Stan Douglas カナダにて印刷 Press Gang
〔内容〕刊記 献辞 詩篇《薬玉》全篇
Rooster〔雞〕 / The Vertical Voice〔竪の声〕 / Shadow Pictures〔影絵〕 / Collection of Green Branches〔青枝篇〕 / Tapestry〔壁掛〕 / Cuckoo〔郭公〕 / Pilgrimage〔巡礼〕 / An Autumn Ode〔秋思賦〕 / India〔天竺〕 / Kusudama〔薬玉〕 / A Spring Ode〔春思賦〕 / Mother〔垂乳根〕 / Elegy〔哀歌〕 / Nectar〔甘露〕 / East Wind〔東風〕 / Turkish Delight〔求肥〕 / Wild Geese Descending〔落雁〕 / Land of Eternal Youth〔蓬莱〕 / A Crescent Wave Pattern〔青海波〕
Afterword / 〔著者紹介・訳者紹介〕
《Kusudama》は吉岡実の単行詩集唯一の英訳書。吉岡の随想〈くすだま〉に訳者エリック・セランドとの交友が書かれている(初出は《新潮》1985年11月号)。
〔……〕エリックは学生時代に、英訳詩集『ライラック・ガーデン』(佐藤紘彰編訳)で私の詩を読み、関心を持ったようである。/昨年の春ごろ、エリックから『薬玉』を翻訳したいと考えているが、同意してくれるかと言われ、私は驚いてしまった。この詩集は今までの作品とは詩形が異り、ことばの塊りをいわば「楽譜」のように散りばめた、いってみれば「言譜」のようなもの。そのうえ、古語や仏教用語を多用し、祭儀的な世界を詩で試みている。友人、知己のなかにも解読できないと言う人がいる。いくら日本語の堪能なエリックにも、不可能なことだと考え、私はやるならやってもいいけれどと、あいまいな返答をしていた。/アメリカの雑誌〈PRISM international〉に二篇の詩が掲載されたと、エリック・セランドがそれを一冊持って来た。訳出した四、五篇からこの二篇が採用されたとのこと。それは「雞」「哀歌」という詩である。私にはその成果のほどはわからないが、この若い詩人の執念に打たれる。「哀歌」の最終部を掲げてみよう。「有であると同時に無である世界」
藪にからむボタンヅル
にわっとりが鳴く
この水車小屋の暁闇から
つぎつぎに弟や妹が生まれ出る
まれには
旅人も生まれ出る
ちなみに、この一篇は西脇順三郎への追悼詩である。(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、二九七〜二九八ページ)
〈哀歌〉(J・13)の詩句に対応する英訳を《Kusudama》から引く。
“World at once being and emptiness”
Clematis clinging to the underbrush
The rooster crows
From the gloomy dawn of this watermill
Little brothers and sisters are born
On rare occasions
A traveler is born(本書、三三ページ)
二篇に続いて、セランド氏は《TEMBLOR: Contemporary Poets Issue 4》(1986)に〈巡礼〉(J・7)、〈薬玉〉(J・10)、〈垂乳根〉(J・12)の英訳を発表、詩集《薬玉》全訳に向けて邁進した。同誌の寄稿者紹介欄には“ERIC SELLAND lives in Tokyo and is seeking a publisher for his translation of Minoru Yoshioka's Kusudama.”とあるが、吉岡は本書の刊行を見ずして逝った。《Kusudama》巻頭に掲げられた訳者の献辞“This translation is dedicated to the memory of Yoshioka Minoru 1919-1990”が、その無念さを語っている。
吉岡実詩は佐藤紘彰をはじめ多くの訳者に恵まれ、数数の英訳が発表されてきたが、《薬玉》の詩篇はエリック・セランド以外、手掛けていない。近年、訳者は《昏睡季節》や《液体》、《静物》などの初期吉岡実詩の英訳も進めており、《吉岡実全詩集》の完訳が待たれる。なお本書の〈青海波〉(J・19)、〈青枝篇〉(J・4)、〈雞〉(J・1)の三篇はduration pressのサイトで読むことができる。
《続・吉岡実詩集》初刊 表紙と裏表紙
《続・吉岡実詩集》初刊[本書は(4)《新選吉岡実詩集》の増補版] 一九九五年六月一〇日 思潮社(東京都新宿区市谷砂土原町三の一五 発行者小田久郎)刊〈現代詩文庫129〉 定価一二〇〇円 一八九×一二五 総一六二頁 並製 帯 装丁芦澤泰偉 本文新字新かな 8ポ一八行二段組活版 印刷凸版印刷株式会社 製本越後堂製本所
《静物》《僧侶》《紡錘形》《静かな家》《神秘的な時代の詩》《サフラン摘み》までの抄録詩篇は元版《新選吉岡実詩集》に同じ(組版は全面新規) 〈未刊詩篇から〉三篇を〈詩集〈夏の宴〉から 1976〜1979〉と改題(一部改稿)のうえ七篇(〈晩夏〉〈形は不安の鋭角を持ち……〉〈野〉〈水鏡〉〈織物の三つの端布〉〈金柑譚〉〈夏の宴〉)を追加
対話〈卵形の世界から〉(大岡信・吉岡実) 詩人論・作品論〈吉岡実異聞〉(伊達得夫)〈吉岡実のための覚え書〉(種村季弘)〈吉岡実の転生〉(入沢康夫)[〈対話〉〈詩人論・作品論〉は前掲元版の初刊と同内容] 奥付 奥付裏広告
裏表紙に著者肖像写真および略歴 コメント(城戸朱理)
《続・吉岡実詩集〔現代詩文庫129〕》は、吉岡実の歿後五年を経て刊行された選詩集。「本書は一九七八年六月『新選・現代詩文庫110』として刊行したものを、増補し新編集したものです」(本書、〔五ページ〕)とあるように、《新選吉岡実詩集》の増補版である。残念なことに、本書の初版第一刷には字句に関わるものとして一六箇所ちかい誤植があるので、校異の形〔誤→正〕で次に掲げる。( )内の数字は掲載ページ。
2・10・16は元版の《新選吉岡実詩集》も誤っていたから云云するのは酷かもしれないが、残りは引きあわせ校正の杜撰を指摘されてもやむをえまい。とりわけ14の「千葉汁」は痛い。新規組版のページでも、〈金柑譚〉の「小鳥のように丘の方へ飛ぶ//ことができない」(一〇八)、「サイレント映画のように//肉体はまどろみ」(一一〇)双方にある不要な行アキは、私がすでに《現代詩読本――特装版 吉岡実》(思潮社、1991)で底本としての初版《夏の宴》の不備を指摘しておいただけに、流布本にふさわしいきめ細かい編集がなされなかったことを惜しむ。2を除いて、これらの誤りは二〇〇一年六月一日発行の第二刷で訂正された。
増補された七篇、〈晩夏〉(H・7)、〈形は不安の鋭角を持ち……〉(H・11)、〈野〉(H・21)、〈水鏡〉(H・6)、〈織物の三つの端布〉(H・16)、〈金柑譚〉(H・17)、〈夏の宴〉(H・20)の選択がだれによるものなのか、表示がないのでわからない。本書の前の選詩集《吉岡実〔現代の詩人1〕》(中央公論社、1984)には《夏の宴》から一二篇が選ばれており(選択には吉岡本人が関与していよう)、本書とは〈楽園〉、〈晩夏〉、〈織物の三つの端布〉、〈悪趣味な春の旅〉、〈夏の宴〉、〈野〉の六篇が重複する。《続・吉岡実詩集》は、中期吉岡実詩を概観するのに手ごろな選詩集となっている。
《吉岡実全詩集》初刊 函と表紙
《吉岡実全詩集》初刊 一九九六年三月二五日 筑摩書房(東京都台東区蔵前二の五の三 発行者森本政彦)刊 編集飯島耕一・大岡信・入沢康夫・高橋睦郎 定価一二〇〇〇円 二一〇×一六六 総八三六頁 上製丸背継表紙(背布 平紙) 貼函 帯(背の帯文は西脇順三郎の詩篇〈ヨシキリ〉から) 初刷一三〇〇部 [本書には目次・本文とも《昏睡季節》冒頭の詩篇〈春〉を欠く別本が少数存在する] 装丁亞令 本文新字旧仮名・新かな 10ポ一九行組活版 印刷明和印刷株式会社 製本株式会社鈴木製本所
〔内容〕別丁本扉 口絵写真著者肖像(撮影吉岡陽子) 目次 詩篇二七七篇ほか和歌作品
昏睡季節 1940
序歌/春/夏/秋/冬/遊子の歌/朝の硝子/歳月/あるひとへ/七月/白昼消息/臙脂/面紗せる会話/放埒/断章/葛飾哀歌/桐の花/杏菓子/病室/昏睡季節1/昏睡季節2/蜾蠃〔スガル〕鈔
液体 1941
挽歌/花冷えの夜に/朝餐/溶ける花/蒸発/秋の前奏曲/失題/絵本/孤独/牧歌/相聞歌/誕生/乾いた婚姻図/微風/静物/忘れた吹笛の抒情/透明な花束/微熱ある夕に/風景/ひやしんす/花遅き日の歌/みどりの朝に/或る葬曲の断想/失われた夜の一楽章/灰色の手套/液体T/液体U/午睡/花の肖像/灯る曲線/哀歌/夢の翻訳
静物 1949-55
静物/静物/静物/静物/或る世界/樹/卵/冬の歌/夏の絵/風景/讃歌/挽歌/ジャングル/雪/寓話/犬の肖像/過去
僧侶 1956-58
喜劇/告白/島/仕事/伝説/冬の絵/牧歌/僧侶/単純/夏/固形/回復/苦力/聖家族/喪服/美しい旅/人質/感傷/死児
紡錘形 1959-62
老人頌/果物の終り/下痢/紡錘形T/紡錘形U/陰画/裸婦/編物する女/呪婚歌/田舎/首長族の病気/冬の休暇/水のもりあがり/巫女/鎮魂歌/衣鉢/
受難/狩られる女/寄港/灯台にて/沼・秋の絵/修正と省略
静かな家 1962-66
劇のためのト書の試み/無罪・有罪/珈琲/模写/馬・春の絵/聖母頌/滞在/桃/やさしい放火魔/春のオーロラ/スープはさめる/内的な恋唄/ヒラメ/孤
独なオートバイ/恋する絵/静かな家
神秘的な時代の詩 1967-1972
マクロコスモス/夏から秋まで/立体/色彩の内部/少女/青い柱はどこにあるか?/フォークソング/崑崙/雨/聖少女/神秘的な時代の詩/蜜はなぜ黄色な
のか?/夏の家/低音/弟子/わが馬ニコルスの思い出/三重奏/コレラ
サフラン摘み 1972-76
サフラン摘み/タコ/ヒヤシンス或は水柱/葉/マダム・レインの子供/悪趣味な冬の旅/ピクニック/聖あんま語彙篇/わが家の記念写真/生誕/ルイス・
キャロルを探す方法/『アリス』狩り/草上の晩餐/田園/自転車の上の猫/不滅の形態/フォーサイド家の猫/絵画/異霊祭/動物/メデアム・夢見る家族/
舵手の書/白夜/ゾンネンシュターンの船/サイレント・あるいは鮭/悪趣味な夏の旅/示影針(グノーモン)/カカシ/少年/あまがつ頌/悪趣味な内面の秋
の旅
夏の宴 1976-79
楽園/部屋/蝉/子供の儀礼/異邦/水鏡/晩夏/曙/草の迷宮/螺旋形/形は不安の鋭角を持ち……/父・あるいは夏/幻場/雷雨の姿を見よ/狐/織物の三
つの端布/金柑譚/使者/悪趣味な春の旅/夏の宴/野/夢のアステリスク/詠歌/この世の夏/裸子植物/謎の絵/「青と発音する」/円筒の内側
ポール・クレーの食卓 1959-80
ポール・クレーの食卓/サーカス/ライラック・ガーデン/唱歌/夜会/斑猫/霧/晩春/塩と藻の岸べで/九月/家族/春の絵/スイカ・視覚的な夏/花・変
形/鄙歌/紀行/影の鏡/生徒/人工花園/猿/ツグミ
薬玉 1981-83
雞 〔ニワトリ〕/竪の声/影絵/青枝篇/壁掛/郭公/巡礼/秋思賦/天竺/薬玉/春思賦/垂乳根/哀歌/甘露/東風/求肥/落雁/蓬莱/青海波
ムーンドロップ 1984-88
産霊(むすび)/カタバミの花のように/わだつみ/聖童子譚/秋の領分/薄荷/雪解/寿星(カノプス)/銀幕/ムーンドロップ/叙景/聖あんま断腸詩篇/
睡蓮/苧環(おだまき)/晩鐘/青空(アジュール)/銀鮫(キメラ・ファンタスマ)/鵲/〔食母〕頌
未刊詩篇 1947-90
敗北/即興詩/陰謀/遅い恋/夜曲/哀歌/冬の森/スワンベルグの歌/白狐/亜麻/休息/永遠の昼寝/雲井/沙庭/波よ永遠に止れ
歌集 魚藍 1959
本書の編集について(編者飯島耕一・大岡信・入沢康夫・高橋睦郎) 吉岡実詩集覚書(編集部編) 年譜(吉岡陽子編) 奥付
別刷挟込《吉岡実全詩集 付録》(八頁)に飯島耕一〈『薬玉』のこと〉・大岡信〈赤い鴉〉・入沢康夫〈「波よ永遠に止れ」の思い出〉・高橋睦郎〈運命の蜜〉と収録詩集名
《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996年3月25日)の刊行を告げる《筑摩書房 新刊案内》(1996年4月)
吉岡実の全詩集が一九九六年の三月末に発行されるや、冒頭の詩篇〈春〉が抜けていることが判明し、版元の筑摩書房は店頭から本を回収する一方、正しい本文の「初版」を制作した。わたしは刊行直前に《ちくま》誌で予告を見て以来、全詩集の出現を待ちわびていたから、いちはやく神保町の東京堂書店で一本を購った(吉岡実夫人陽子さんからも恵贈いただいた)。夫人の書きおろしの〈年譜〉や編集委員のエッセイを通読してから、おもむろに本文を読みはじめるとどうもおかしい。目次を見て、あっと思った。春夏秋冬あるべき最初の〈春〉が載っていない。わが眼を疑うとはこのことで、底本の《昏睡季節》のコピーと引きくらべても、やはり〈春〉がない。翌日、編集担当の淡谷淳一さんに《吉岡実全詩集》の刊行を祝い、わが《吉岡実全詩篇標題索引》への配慮を謝すとともに〈春〉の件を伝えると、淡谷さんは色を失った。無理もない。この件は淡谷さんのほかは陽子夫人にお伝えしただけだったが、読売新聞の知るところとなり、四月一〇日の社会面に〈吉岡実全詩集 春夏秋冬 冒頭飾るはずの4連作――「春」欠落で出版、回収 筑摩書房〉という記事が出た。当日、わたしは淡谷さんから勤務先に電話をもらい、記事中の吉岡の「友人」とあるのは、取材を受けたのが別の社員だったために正確でなく、わたしのことだと教えていただいた。わたしは《現代詩読本――吉岡実》の資料として吉岡家から借りた《昏睡季節》原本をコピーして思潮社に提供したときも〈春〉が掲載されず妙だと思った、などとくどくど説明した。本は作りなおします、という筑摩の英断には打たれた。吉岡さんにとっても吉岡実の詩にとっても最善の措置だっただろう。
ついでだからもうひとつ。本書七一七ページの〈即興詩〉の最初の小活字の行「私ノ時計ニ」は詩篇本文の第一行だろう。初出のコピーを観ても活字の大きさは同じだし、献辞の対象が時計というのも違和を覚える(ただし初出のこの行は二字下げで、紛らわしいことは紛らわしい)。
さて《吉岡実全詩集》は、上に述べたようにわたしの《吉岡実全詩篇標題索引》(文藝空間、1995)を文献として挙げている。その初出未詳の二つの詩篇のうち〈晩夏〉(H・7)はその後、
217 晩夏(ばんか)[453-454]
夏きたりなば
22行▽《流行通信》(流行通信発行)1977年10月号(164号)八〜九ページ〈十月の詩〉、本文18級22行1段組▼H夏の宴・7
◆初出「写真・奈良原一高」。
と判明した。ただしもう一篇、〈模写――或はクートの絵から〉(E・4)は未だに初出誌名さえわからない。【〔2016年10月31日追記〕詩篇〈模写――或はクートの絵から〉の初出掲載誌は、1963年8月発行の俳句同人誌《海程》9号〔第2巻9号〕だと判明した。】
本書《吉岡実全詩集》刊行後、二〇一六年一〇月までに発見された吉岡実の単行詩集未収録詩篇は以下の六篇。そのうち前掲《吉岡実全詩篇標題索引》刊行後に入手した〈序詩〔うんすんかるたを想起させる〕〉は、例外的に本文を含めて《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第2版〕》(文藝空間、2000)に掲載してある(全詩篇の詳細データは《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第3版〕》を参照)。これら全詩集未収録の六篇を加味した増補改訂版《吉岡実全詩集》もしくは《吉岡実全集〔第1巻〕詩集》の刊行が切望される。
35 海の章(うみのしょう)[―]――――――――――
貧しくて さびしくなつたら
16行▽《漁》(東洋堂発行)1947年9月号(2巻9号)一ページ、本文10ポ四分アキ20行1段組▼未刊詩篇・1
40 絵のなかの女(えのなかのおんな)[―]
「かげろうは消え
18行▽《別冊一枚の繪》(一枚の繪発行)1981年10月(4号)〈花鳥風月の世界――新作/洋画・日本画選〉、一八六ページ、本文12級1段組▼未刊詩篇・15
◆初出註記「本誌のための書き下ろし〔……〕」、初出は詩篇の上部に「弦田英太郎 青い首飾り 6号 油絵」がカラーで掲載されている。
137 序詩(じょし)[―]
うんすんかるたを想起させる
3行▽寺田澄史作品集《がれうた航海記――The Verses of the St. Scarabeus》(俳句評論社刊)1969年5月15日、八〜九ページ、本文9ポ1段組1行アキ▼未刊詩篇・13
138 序詩(じょし)[―]
白地へ白く白鳥類は帰る
2行▽志摩聰句帖《白鳥幻想》(俳句評論社刊)1969年6月1日、八ページ、本文9ポ四分アキ1段組▼未刊詩篇・14
◆初出は対向の九ページにイラスト。「飾画:大沢一佐志」。
174 断章(だんしょう)[―]
永劫に舟の去りゆく
9行▽《水産》(東洋堂発行)1948年8月号(3巻8号)一ページ、本文五号二分アキ11行1段組▼未刊詩篇・5
◆詩篇を挿絵(クレジットなし)が囲む。
191 汀にて(なぎさにて)[―]
ひぐれのなぎさをわたしはあるいてゐた
12行▽《水産》(東洋堂発行)1948年7月号(3巻7号)二六〜二七ページ、本文9ポ15行1段組(コラム)▼未刊詩篇・4
◆作者名は「皚寧吉」。
《私のうしろを犬が歩いていた――追悼・吉岡実》〈るしおる別冊〉初刊 ジャケット
《私のうしろを犬が歩いていた――追悼・吉岡実[表紙・本扉には副題の代わりに「Hommage a Minoru Yoshioka」]》〈るしおる別冊〉初刊 一九九六年一一月三〇日 書肆山田(東京都豊島区南池袋二の八の五の三〇一 発行者鈴木一民)刊 定価三〇九〇円 一八〇×一七八 総一三四頁 上製 ジャケット 帯 装丁菊地信義 カラー図版撮影坂本真典 本文新字新かな 10ポ四〇字詰め二三行組活版 印刷内外文字印刷・のざき印刷・イナバ巧芸社 製本山本製本所
〔内容〕別丁本扉 目次 吉岡実遺稿 カラー図版 諸氏の作品(韻文と散文)
日歴(一九四八年・夏暦)
吉岡実の小さな部屋/ポール・デイヴィス〈猫とリンゴ〉、アヴァティ〈かたつむりの散歩〉、ヘルマン・セリエント〈異邦〉、河原温〈浴室〉、片山健〈とんぼ と少女〉、佐熊桂一郎〈婦人像〉、斎藤真一〈しげ子 母の片身〉、三好豊一郎(題なし)、永田耕衣〈白桃図〉、西脇順三郎(題なし)、小沢純〈グロヴナー 公の兎〉、ゾンネンシュターン(題なし)
飯島耕一〈階段の上と下で〉、渋沢孝輔〈M・Y氏を探す田園風の方法〉、高橋睦郎〈五月〉、入沢康夫〈往古 鳥髪山 序〉、白石かずこ〈蠅たたき〉、塚本邦雄〈誄讚〉、岡井隆〈にしのくぼ日記の欄外に――吉岡実への感謝をこめて〉、安井浩司〈回想譜〉、夏石番矢〈パリよりの追悼――吉岡実讃句〉、前田英樹〈詩と身体的なもの〉、宇野邦一〈詩と死の器〉、金井美恵子〈他人の言葉〉、吉増剛造〈ムラサキの花の香りの孤独〉、天澤退二郎〈報告――あるいは《早射ち女拳銃》〉、阿部日奈子〈Y〉、松浦寿輝〈休息〉、平出隆〈夕立に〉、佐々木幹郎〈熱湯通い〉、藤井貞和〈物語語(ものがたりご)〉、鈴木志郎康〈石の風〉
奥付
《私のうしろを犬が歩いていた――追悼・吉岡実〔るしおる別冊〕》は吉岡実へのオマージュ、すなわち「吉岡実頌」として《吉岡実全詩集》の 八カ月後に刊行された。巻頭の吉岡実遺稿〈日歴(一九四八年・夏暦)〉は、歿後発表された初めての日記。「本稿は浄書・署名されて抽斗に蔵われてあったもので、一九九六年初頭に見つかった」(編集部注、本書、一七ページ)ところを見ると、亡くなる直前に発表された〈日記 一九四六年〉(《るしおる》5〜6号、1990)に続くものとして構想・執筆されたのだろう。〈吉岡実の小さな部屋〉は吉岡実愛蔵の美術品を集めた誌上ギャラリー。吉岡の美意識が偲ばれるこれらの作品に、簡単な註を付す。
諸氏の作品は、詩人による詩、歌人による短歌、俳人による俳句、評論家・小説家による評論などの吉岡実追悼の韻文と散文。随筆や回想でない点が他の多くの追悼文集とは異なる。
本書の装丁者は《るしおる》本誌を創刊号以来手掛ける菊地信義。《現代詩読本――特装版 吉岡実》の執筆候補者に菊地さんの名前も挙がっていたと記憶するが、装丁家・吉岡実に関する《現代詩読本》の文章は、最終的に栃折久美子と岡田隆彦(ニ篇とも再録)だった。吉岡に〈菊地信義のこと〉という随想があるだけに、菊地さんにも吉岡の装丁を論じていただきたいものだ。
詩集《赤鴉》初刊 表紙と袋
詩集《赤鴉》初刊 二〇〇二年五月三一日 弧木洞(東京都目黒区青葉台四の六の一七の八〇七 発行者吉岡陽子)刊 制作書肆山田 非売品 二一八 ×一四三 総九八頁 上製がんだれ装 紙袋 限定七二部記番 装丁亜令 本文新字旧仮名 9ポ組活版 印刷内外文字印刷 製本山本製本所
〔内容〕本扉 目次 短歌旋頭歌計二〇九首、俳句一二四句
〔歌集〕歔欷および〔句集〕奴草 覚書(吉岡陽子)
奥付
詩集《赤鴉》は、詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940)以前の吉岡実の最初期の和歌(短歌と旋頭歌)と俳句を収めているが、詩篇は収載されていない。吉岡陽子はその間の事情を《赤鴉》の〈覚書〉で次のように記す。
〔『赤鴉』の〕元になったものは、若い吉岡実が、B5版〔判〕の原稿用紙にペンで清書をしたもので、赤いクロスの厚表紙で製本し、背に横書きで「詩集 赤鴉吉岡實」と黒く箔押ししてありました。作品に付された日付から、昭和十三年から十五年初めにかけて書かれたものと思われます。破り棄てられたページが二十枚ほどありましたが、残されている部分には鉛筆で修正の試みもなされていて、故人も愛着があったのではないかと思われました。第二歌集も作るつもりだったようで、初めの二首で中断されています。(同書、九二〜九三ページ)
自筆詩集《赤鴉》を見た宗田安正は、句集《奴草》(書肆山田、2003)の〈解題〉にこう書いている。
『赤鴉』は、吉岡の奉公先だった南山堂名入りのB5判原稿用紙(12字×19行)に作品を丹念にペン書きし、赤い布表紙で製本、背には横書きで「詩集 赤鴉 吉岡實」と黒の箔押しがある。巻頭の何枚かが切り取られてあり、そのあとに自筆の歌集稿「歔欷」と句集稿「奴草」が続く。(同書、一〇二〜一〇三ページ)
あの巻頭の破られた何ページかには何が記されていたのであろうか。はっきりと「詩集 赤鴉」と刻印してあることを思えば、そこには詩作品が書かれていたと考えることが自然である。そして遺された短歌や俳句からその制作年次を考えれば、恐らくこの詩群は、最初の詩集『昏睡季節』になったと見てよいのではないだろうか。(同前、一二三ページ)
現
物を見ていないのでなんとも言えないが、ふたつの証言から判断するかぎり、自筆詩集《赤鴉》には〈赤鴉〉の標題のもとに(後の〈昏睡季節〉を構成する)詩篇のいくつかが、〈歔欷〉の標題のもとに(後の〈蜾蠃〔スガル〕鈔〉を構成する)和歌が、〈奴草〉の標題のもとに(後年の句集《奴草》を構成する)俳句が収録されていたと思われる。これらの詩歌句を収めた《詩集 赤鴉》はそのままの形では刊行されず、詩歌を収めて吉岡最初の著作となった《詩集 昏睡季節》は永いこと著者からは処女詩集と見なされず、吉岡は《赤鴉》後に書かれたであろう詩篇だけを収めた《詩集 液体》を事実上の処女詩集としてきた。すなわち、詩歌句の三位一体から句、歌をひとつひとつ振るいおとしていった最後に「詩」にたどりついたのが、吉岡実と初期の《詩集》との関係だったのである。
〈歔欷〉は題辞に「あかねさす昼は物思ひ/ぬばたまの夜はすがらに/ねのみし泣かゆ 宅守」とあり、《昏睡季節》の吉岡自作の〈序歌〉と同様の形をとっている。〈歔欷〉での〈序歌〉の記載を引こう。「泡影抄/あるかなく水を流るる泡沫の影よりあはき若き日の夢」(《赤鴉》、六二ページ)。
句集《奴草》初刊 函と表紙
句集《奴草》初刊 二〇〇三年四月一五日 書肆山田(東京都豊島区南池袋二の八の五の三〇一 発行者鈴木一民)刊 定価二九四〇円 一九〇×一二二 総一三〇頁 上製角背継表紙 機械函 帯 装丁亜令 本文新字旧かな新かな 12ポ組活版 印刷内外文字印刷のざき印刷イナバ巧芸社 製本山本製本所 製函光陽紙器製作所
〔内容〕本扉 目次 俳句一二三句〔奴草〕二二句〔拾遺〕の計一四五句
一つの読み(高橋睦郎) 奴草 拾遺 解題(宗田安正)
奥付
吉岡実生誕八四周年の二〇〇三年四月一五日、かねて予告されていた句集《奴草》が書肆山田から刊行された。詩集《赤鴉》(十三回忌の配り本、弧木洞、2002)所収の〈奴草〉全篇(ただし「泥道やふりにし町のむら燕」一句が削除され、「夜濯ぐ……」が「衣濯ぐ……」と改められた)に〈拾遺〉として二二句が加えられた、文字どおりの「全句作」(帯文)である。
造本面で気づいた点を記す。まず著者名・書名を「吉岡実/句集/奴草」と三行にしているのが目を引く(本扉は函の箔押し文字の版下を縮小したものか)。次に、帯の引用句が色紙に白で刷ってあるようで、実に不思議だ。帯紙を外してみると、裏は紙白。OKミューズコットンと見えた模様は印刷によるものだった。しかも二色(以上)で刷ってある。表紙の鳥のカット(《薬玉》のそれを想わせる)と見返しの紫色は《赤鴉》からの援用・引用である。亜令による装丁は細部まで見事だ。
ここで吉岡の俳句の発表歴を振りかえると、生前はついに自身の手で一本にまとめられることがなかった。歿後の一九九三年、活字化されたまま埋れていた俳句が、俳人であり俳書の編集者でもある宗田安正さんの解題とともに、〈吉岡実句集〉として《雷帝》(創刊終刊号)に掲載された。二〇〇二年、詩集《赤鴉》の〈奴草〉一二四句が出現したことで、吉岡句の全貌が見えてきた。本句集《奴草》の刊行によって、《吉岡実全詩集》(歌集《魚藍》も収録、筑摩書房、1996)と併せて、吉岡実の詩歌句の作品世界がようやく顕かになったのである。
句集《奴草》は吉岡実最後の単行本になるのではあるまいか。正式音源に採用されなかったビートルズの別テイク集《アンソロジー〔1〜3〕》は、すべてのオリジナルアルバムを聴いたあとに聴くべきだ、とは音楽評論家・中山康樹氏の説である(《これがビートルズだ〔講談社現代新書〕》、講談社、2003)。本書も吉岡実の詩を読みあさった挙句に読むのがふさわしい、究極の吉岡実本である。
散文選集《吉岡実散文抄――詩神が住まう場所》初刊 表紙とジャケット
散文選集《吉岡実散文抄――詩神が住まう場所》初刊 二〇〇六年三月一日 思潮社(東京都新宿区市谷砂土原町三の一五 発行者小田久郎)刊〈詩の森文庫E06〉 定価九八〇円 一七五×一一〇 総一九二頁 並製 ジャケット 帯 本文新字新かな 13.5級四一字詰一五行組平版 印刷文昇堂 製本川島製本
〔内容〕本扉 目次 散文計二八篇は、吉岡実が生前に刊行した随想集《「死児」という絵》(思潮社、1980)、《「死児」という絵〔増補版〕》(筑摩書房、1988)、評伝《土方巽頌》(筑摩書房、1987)の3冊の散文著作からの再録(澁澤龍彦の解説も再録)。
T 私の生まれた土地/済州島/軍隊のアルバム/大原の曼珠沙華/阿修羅像/高遠の桜のころ/突堤にて
U 読書遍歴/リルケ『ロダン』――私の一冊/救済を願う時――《魚藍》のことなど/「死児」という絵/詩集・ノオト/わが処女詩集《液体》/新しい詩への目覚め/二つの詩集のはざまで/くすだま/「想像力は死んだ 想像せよ」/わたしの作詩法?
V 《花樫》頌/遙かなる歌――啄木断想/永田耕衣との出会い/耕衣秀句抄/富澤赤黄男句集《黙示》のこと/高柳重信断想/飯島耕一と出会う/西脇順三郎アラベスク/『土方巽頌』から〔出会い・「ゲスラー・テル群論」/「肉体の叛乱」/詩画集『あんま』/「塩首」〕/補足的で断章的な後書
解説〈吉岡実の断章〉(澁澤龍彦)〈詩神が住まう場所〉(城戸朱理)
奥付 奥付裏広告 ジャケットの袖に著者肖像写真および略歴
《吉岡実散文抄――詩神が住まう場所》は吉岡実の歿後初めて刊行された散文の著書。クレジットはないが、解説の執筆者・城戸朱理編纂による散文選集である。《城戸朱理のブログ》には「第T章は、何らかの意味で、吉岡実の人生を語る文章、第U章は、自らの詩作に関わるエッセイ、第V章は、吉岡実が敬愛する詩家と交友について語った散文が、それぞれ、まとめられている。解説には、澁澤龍彦による「吉岡実の断章」を再録、さらに編纂を担当した私の書き下ろしである「詩神が住まう場所」が収録されているが、私の解説の言葉が、吉岡さんの書物の副題として選ばれたことは、私にとっても嬉しい出来事であった」(二〇〇六年三月一〇日)とある。
本書は《「死児」という絵〔増補版〕》(筑摩書房、1988)からの散文が骨格になっており、同書からの抜粋とみなせば、原稿分量の概算で約三五パーセントが選入されている(ちなみに《「死児」という絵〔増補版〕》全篇なら〈詩の森文庫〉三冊分ということになる)。吉岡実は二八〇篇あまりの詩を書く一方で、営営と散文を書きつづっていたのである。二八篇の文章は各章内でほぼ時系列に配されており、順番に読めば吉岡の生涯と詩的変貌をたどることができる。
本書の最後に収められた〈補足的で断章的な後書〉は、目次では一篇の扱いになっているが、言うまでもなく《土方巽頌》(筑摩書房、1987)からの選入であり、現行の表示だと《吉岡実散文抄》全体の〈後書〉のようで、妙である。前掲書誌に倣えば、次のように扱うのが穏当だろう。
『土方巽頌』から〔出会い・「ゲスラー・テル群論」/「肉体の叛乱」/詩画集『あんま』/「塩首」/補足的で断章的な後書〕
本書で最もスリリングなのが〈西脇順三郎アラベスク〉(《「死児」という絵〔増補版〕》所収)から〈『土方巽頌』から〉へとつながる箇所である。あるアーチストのベストアルバムで有力トラックどうし(吉岡の場合、西脇・土方そして永田耕衣に関する文章)が初めて隣接して並べられたごとき感がある。件の〈補足的で断章的な後書〉の末には土方巽を送る澁澤龍彦のことばが引かれており、ページをめくるとその澁澤の解説、さらに編者の解説と続く。ここに顕著な文章の取りあわせは、新書判という小さな器の本を「等倍」に終わらせなかった。城戸朱理が奏でる〈吉岡実〉というロンド。それはまた、吉岡自身の散文による《吉岡実頌》でもある。
選句集《耕衣百句》初刊の本扉と函(左)と同書を底本とした鳴戸奈菜・満谷マーガレット編訳(英文併記)《この世のような夢――永田耕衣の世界》(透土社、2000年2月10日)のジャケット(右)
選句集《耕衣百句》初刊 永田耕衣著 一九七六年六月二一日 コーベブックス(兵庫県神戸市生田区三宮町一の一 発行者北風一雄)刊 定価三五〇〇円 二一三×一三〇 総一四〇頁 二色刷 上製丸背布装貼題簽 貼函 帯 限定七〇〇部記番 題字装画永田耕衣 編纂吉岡実 本文新字新かな 一号一行組活版 印刷創文社(神戸市生田区下山手通五の二三) 製本須川製本所(神戸市灘区記田町五の一の六)
なお本書はのちに、鳴戸奈菜・満谷マーガレット編訳(英文併記)の句文書画集《この世のような夢――永田耕衣の世界》=永田耕衣著 二〇〇〇年二月一〇日 透土社(東京都千代田区神田神保町二の二三 発行者川内信夫)刊 発売丸善出版事業部 定価二三八一円 二一〇×一四八 総一六八頁 一色(一部四色)刷 上製丸背紙装 ジャケット 帯 本文新字新かな 平版 印刷・製本中央精版印刷=の底本となっている(同書帯文の表4には「詩人、吉岡実編『耕衣百句』の英訳、および書画と断章からなる永田耕衣の世界!」とある)。
〔内容〕俳句計一〇〇句
《眞風》から三句 《加古》から九句 《傲霜》から一句 《與奪鈔》から九句 《驢鳴集》から二一句 《吹毛集》から二四句 《惡靈》から九句 《闌位》から一〇句 《冷位》から一四句
〈覚書〉(吉岡実) 奥付
栞〈無欲の所業〉(永田耕衣)
選句集《耕衣百句〔特装版〕》の帙と表紙(左)と同・外箱(右)
選句集《耕衣百句〔特装版〕》 永田耕衣著 一九七六年六月二一日 南柯書局(兵庫県神戸市生田区三宮町一の一コーベブックス内) 頒価二四〇〇〇 円 二一三×一二八 本文見返共紙坂本生漉 上製丸背丹波紙布装 強制紙帙貼題簽 限定八〇部記番 本文組版は初刊に同じ 著者毛筆署名 印刷創文社(神戸市生田区下山手通五の二三) 製本須川製本所(神戸市灘区記田町五の一の六)
〔内容〕前掲初刊に同じ
表紙用「紙布」説明の栞
永田耕衣に宛てた吉岡実の書簡で、最初に「耕衣百句」が登場する一九六七年六月二八日消印のはがきから――「耕衣百句」いずれやります。
二通め、同年一〇月二三日消印のはがきから――来月上京されるとのこと、その上、貴重な「加古」をいただけるとは光榮です。再会の日を今からたのしみにしています。小生選の耕衣百句は、是非やらねばと心にきめていますが、今すこし時間を下さい。
三通め、同年一一月一三日消印のはがきから――再会できてたとえわずかでも、お酒をくみかわすことができて、うれしく思いました。その上、とても貴重な句集「加古」をいただき、感激のかぎりです。耕衣百句選をやらなければと、思いました。
四通め、翌一九六八年九月二三日消印のはがきから――念願の〈耕衣百句〉なんとか今年中にと思っていますが、仕事多忙、年末の引越しなどがあるので心配です。
五通め、その翌一九六九年七月一日の速達はがきから――お手紙と句集《眞風》頂きました。相変ず見事な造本うれしく思います。耕衣百句なんとなく心せかれます。
六通めにして最後、刊行の前年一九七五年七月七日消印のはがきから――こんどの神戸行きで、田荷軒ですごした二時間が、一番充実した時間でした。須磨寺駅で、耕衣さんをおまたせして、申訳なく思っています。渡辺一考君とは、京都まで一緒で、《耕衣百句》の打合せをいたしました。
初案「耕衣百句」が書名《耕衣百句》にまでなったことに感慨を覚える。さて、著者・永田耕衣の栞文〈無欲の所業〉はこうだ(末尾に「昭和五十一年六月一日/田荷軒にて」とある)。
百句選といった切りつめた仕事は、決断のエネルギイを殆んど浪費に近く使い果たすことだと思う。吉岡さんは今日この無欲欣求の所業を果たして見せて下さった。思えば十年来私の片時も忘れぬ宿願であり憧憬だった。
思い上りかも知れないが、私は吉岡さんの愛憐を長期不変に浴びつづけて来たと思う。私はこの百句選の稿を見せて貰った途端大いに安心した。安心立命したのだ。吉岡さんの純粋精鋭な愛養の炯眼によって撰抜されたこれの百句達は、句々それぞれに、作者の私よりも一段と安心立命していると思えたからだ。古いことばだが、お蔭ということの本当さを、私は心中深くひそかに噛みしめたのだ。
吉岡さんの無欲無類なこの百句選の仕儀は、私自身の身びいきな私欲妄想一切の脱落を招いた。またコーベブックス専務、北風一雄氏の深甚な理解に基く渡邊一考氏の造本一切、その豪華素朴な力量を浴び尽した思いも、私共々に自身の清浄心を自覚せしめて呉れた。私の晩年的成長は改めてここから不迷不断に始まるだろう。痛く感謝の意を捧げる。
吉岡実は〈覚書〉を「私は軽い気持で、永田耕衣さんにいずれそのうち、〈耕衣百句選〉をつくりますよと、いってしまった。それからほぼ十年の歳月が過ぎている。耕衣さんはそれからの日々、私の怠慢を内心では叱責されながら、今日まで耐え忍んで下さった」(本書、一〇七ページ)と始めている。〈覚書〉末尾の日付は「一九七六年五月七日」で、最初の書簡以来、まる九年になんなんとする百句選だった。耕衣の句を当代の詩の文脈に置いた本書の功績は計りしれない。
丸谷才一は「今年〔一九七六年〕いちばん楽しんだ詩集は吉岡実の『サフラン摘み』だつた。〔……〕が、吉岡は今年もう一冊、注目すべき本を世に送つた。彼の編んだ『耕衣百句』で、永田耕衣の百句選だが、わたしはこの俳人のことなど何も知らず、ただ、ほかならぬ吉岡がそれほど熱心になる相手ならと思つて、手に取つたのである。〔……〕耕衣の句は、その骨格の正しさにもかかはらずやはり現代俳句に属するのである――ちようど村上鬼城の句と同じやうに。現代俳句のなかの極上のものと言つてもよからう。〔……〕この完璧な世界が付合をきびしく拒否してゐることは、誰の眼にも明らかだらう。ひよつとすると吉岡実のほうが、あのしあはせな俳諧の別天地にまだしも近いかもしれない」(《遊び時間2》、大和書房、1980年2月29日、六四〜六五ページ)と書いている。
なお吉岡は本書刊行の一一年後、《冷位》の後の《殺佛》、《殺祖》、《物質》、《葱室》、《人生》の五つの句集から選んだ〈耕衣三十句〉を、〈補句十五〉とともに《洗濯船》別冊第二号(1987年3月25日)の〈『耕衣百句』以後の耕衣〉に発表している。
〔付記〕
吉岡実と永田耕衣に関しては、拙稿〈永田耕衣と吉岡実――『耕衣百句』とその後〉(《澤》2011年8月号〈特集・永田耕衣〉)も参照されたい。
句集《花狩》初刊 函と表紙
句集《花狩》初刊 中村苑子著 一九七六年一〇月二五日 コーベブックス(兵庫県神戸市生田区三宮町一の一 発行者北風一雄)刊 定価 三〇〇〇円 二一九× 一四三 総一〇八頁 上製丸背継表紙(背クロス 平紙) 貼函に貼題簽 帯(文加藤郁乎) 限定五八〇部記番 高柳重信・吉岡実共編 本文新字旧仮名 三 号二行組活版 印刷創文社 製本須川製本所
〔内容〕俳句計一三五句
初期句抄 春の鳥 鴉の木 水の絶景 鳥湧く沖 檜山越え
〈跋〉(高柳重信) 奥付
《花狩》は処女句集《水妖詞館》(俳句評論社、1975)に続く中村苑子の第二句集。三橋敏雄は《水妖詞館》の〈解題〉で「句集題名の『水妖詞館』という複合語も、すでに知れわたっている具体的な対応物を指示するものではなさそうで、四文字の一つ一つが呼びおこすところを繋ぎたどっていけば、これまた見事に完結している。だが、この詞[ことば]の館[やかた]には、ふと水の妖精≠ェ見え隠れしているのも妙である。こうした意識によって句集をまとめようとすれば、収録作品の厳選もさることながら、むしろ他に、はじめから漏らさざるを得なかった、多くの作品があったのではなかろうか。はたしてそれらの遺漏作品群は、追って詩人吉岡実と高柳重信による共選を経て、第二句集『花狩』となる」(《増補 現代俳句大系 第14巻》、角川書店、1981年1月30日、五九三ページ)と書いている。《水妖詞館》全一三九句から一四句を引く。
撃たれても愛のかたちに翅ひらく〈遠景〉
鴉いま岬を翔ちて陽の裏へ
わが襤褸絞りて海を注ぎ出す
貌が棲む芒の中の捨て鏡
愛重たし死して開かぬ蝶の翅〈回帰〉
野の貌へしたたか反吐[もど]す水ぐるま
死は柔らか搗かれる臼で擂られる臼で
はるばると島を発ちゆく花盥
母の忌や母来て白い葱を裂く〈父母の景〉
わらわらと影踏む童子桃岬〈山河〉
雛菊に倦みて羊となりにけり
今生を跳ぶや彼方に碧揚羽〈挽歌〉
塚山の百人へ春の菫など
翁かの桃の遊びをせむと言ふ
吉岡実は〈高柳重信・散らし書き〉で中村苑子に触れてこう書いている。「昨〔一九七六〕年の秋、わたしは出来たばかりの詩集《サフラン摘み》を持って、代々木上原の高柳重信の家をおとずれた。わたしがその人の家にまで、自分の本を届けるのは、きわめてまれなることである。重信のところは、いかにも風通しのいい俳人の家の感じがして、くつろぐのだ。そして中村苑子夫人に会えるのも楽しいからである。〔……〕重信は、苑子夫人を弟子と考えているふしがあるが、彼女はきっぱりと、自分は重信の影響をうけていないと強調するのも、愉快であった。わたしは縁あって、苑子夫人の句稿を預り、重信のきびしい選択からのけられた、数々の句をすくいあげた。やがてそれは中村苑子の第二句集《花狩》として出版された」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、一二三〜一二四ページ)。《花狩》全一三五句から六句を引く。
鉛筆を噛めば木の香や梅雨ながし〈初期句抄〉
わが鳩を待つ揺り椅子の日暮どき〈春の鳥〉
ひとりふたりと死ぬ間や生姜きざまるる〈鴉の木〉
誕生日樹にゐて花を降らすのみ〈水の絶景〉
荒縄も老ゆれば蛇か朧月〈鳥湧く沖〉
すれ違ふ春の峠の樽と樽〈檜山越え〉
高柳重信の〈跋〉は「ちなみに言えば、作品の整理配列などは僕が担当し、この句集を『花狩』と優雅に名付けたのは吉岡氏である」(本書、一〇二ページ)と結ばれている。《耕衣百句》が一〇年近い歳月を要したのに対して、本書は高柳が「今回の新句集は、ほとんど中村苑子と関係なく、それぞれ吉岡氏と僕とが気ままに作品を選び、それを持ち寄って突き合わせ、素早く一冊の本に仕立ててしまおうと考えた」(同、一〇一ページ)と書くように、すみやかに一本となった。なお装丁者のクレジットはないが、版元(コーベブックス)の編集者・渡邊一考氏と考えられる。吉岡が氏の本造りに寄せた全幅の信頼を、本書に見るべきである。
〔付記〕
以前――《日本の古本屋》に浪速書林(大阪・梅田)が本書の特装版限定三七部著者本(南柯書局版)を出品しているので採録する。タイトルは「花狩 句集 特装版限定37部著者本 墨書署名入」で、その後に次の画像がリンクされている。――としてキャプション「中村苑子句集《花狩〔特装限定版〕》外函と四方帙と総紬表紙(浪速書林の出品画像)」を添えて画像を掲げてから、
と仕様体裁を書いた。2016年末、古書店から「特装版三十七冊の第八番本」を入手したので、今までの浪速書林の画像を新たに撮影した写真に差し換える。刊行時の句集の頒価は17,000円、今回の古書価格は12,500円だった。
中村苑子句集《花狩〔特装版三十七冊の第八番本〕》(コーベブックス、1976年10月25日)の外函と四方帙と総紬表紙
加藤郁乎の函題簽文に曰く「愛敬なしのホックがひねり出される現代俳句に女流がひしめくのも奇怪、一風流といふには性急すぎる。ここに中村苑子ひとり、優游涵泳、水到り魚行く。さきに三十年からの句業「水妖詞館」をまとめ、いま「花狩」を世に問ふ。柳絮の才は、さびしをりとなつた」。この耳付き和紙の函題簽には「御案内」とあり、そのまま販売促進用の葉書を兼ねていたようだ。
《現代俳句全集・全六巻》初刊 函
《現代俳句全集・全六巻》初刊 一九七七年九月五日(第一巻)〜一九七八年三月五日(第六巻) 立風書房(東京都品川区東五反田三の六 の一八 発行者下野博) 刊 定価各二五〇〇円 一八八×一二八 総二〇八二頁 上製丸背クロス装 機械函 帯 編集委員飯田龍太・大岡信・高柳重信・吉岡実 装丁前川直 本文 10ポ活版 印刷信毎書籍印刷株式会社・株式会社美術版画社 製本大口製本印刷株式会社
〔内容〕別丁本扉 著者肖像写真 目次
第一巻=赤尾兜子集(陳舜臣)/飯田龍太集(大岡信)/石原八束集(会田綱雄)/上村占魚集 (片山貞美)/加藤郁乎集(松山俊太郎)/角川源義集(山本健吉)
第二巻=桂信子集(生島遼一)/金子兜太集(岩田正)/岸田稚魚集(島田修二)/草間時彦集 (安西均)/佐藤鬼房集(岡井隆)/澤木欣一集(上田三四二)
第三巻=鈴木六林男集(小川国夫)/高柳重信集(吉岡実)/田川飛旅子集(秋谷豊)/野澤節子 集(馬場あき子)/野見山朱鳥集(宮柊二)/能村登四郎集(岡野弘彦)
第四巻=波多野爽波集(前登志夫)/藤田湘子集(飯島耕一)/古澤太穂集(黒田三郎)/細見綾 子集(足立巻一)/三橋敏雄集(高橋睦郎)/森澄雄集(那珂太郎)
第五巻=阿部完市集(飯田龍太)/飴山実集(大岡信)/飯島晴子集(飯田龍太)/宇佐美魚目集 (森澄雄)/大井雅人集(森澄雄)/大岡頌司集(大岡信)/川崎展宏集(大岡信)/河原枇杷男集(吉岡実)/後藤比奈夫集(高柳重信)/鷹羽狩行集(飯田 龍太)
第六巻=友岡子郷集(高柳重信)/中村苑子集(大岡信)/林田紀音夫集(高柳重信)/原裕集 (飯田龍太)/広瀬直人集(大岡信)/福田甲子雄集(高柳重信)/福永耕二集(飯田龍太)/宮津昭彦集(飯田龍太)/森田峠集(森澄雄)/鷲谷七菜子集 (飯田龍太)
以上四四名の俳人の近影と略歴および作品四〇〇句(〈高柳重信集〉は二一九句、第五〜六巻の作品は各二五〇句) 〈自作ノート〉 〈解 説〉〔各集の( )内は解説者〕
奥付 奥付裏広告
月報に大野林火・三谷昭の連載対談〈現代俳句三十年〉ほか
吉 岡実は随想〈幼児期を憶う一句〉で「新宿の歌舞伎町の料亭小町園で、立風書房の『現代俳句全集』の編集の会が持たれた。私はその席で、初めて飯田龍太と 会った。以来三、四回歓談したにすぎないが、同世代ということで、旧知のような親しみを覚えた」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、 三三八〜三三九ページ)と書いている。《現代俳句全集》は現役の俳人二人(飯田龍太と高柳重信)、俳句に詳しい詩人二人(大岡信と吉岡実)という編集委員 の構成が絶妙だった。飯田龍太集の解説を大岡信が、同じく高柳重信集を吉岡実が執筆しているところなど、見事な連繋と言うほかない。本全集の担当者・宗田 安正さんの采配であろう。
小澤 宗田さんはすぐれた俳人ですが、同時に編集者でもあります。現代の俳句に関して刺激的な仕事をしてこられまし た。編集者としての業績としては『現代 俳句全集』(立風書房)全六巻があります。ちょうどぼくが大学生のころ、昭和五十年代の前半に刊行されまして、一冊一冊買い集めました。ぼくらの世代はそ の本で勉強してきました。この本を読んでいない人はもぐりですね。(宗田安正・小澤實〔対談〕〈俳句に賭ける――大正十年前後生れの俳人の魅力〉、《澤》 2005年6月号、五四ページ)
宗田 『現代俳句全集』は昭和五十年代の初め、大岡信と吉岡実、飯田龍太と高柳重信で作りました。あの頃はまだ文学としての俳句の評価がされていませんで した。小説とか詩とかを視野に入れて文学の中で俳句を評価したかったので、編者に詩人を二人いれてやったわけです。あれが戦後俳句では初のアンソロジーで した。(同前、五九ページ)
本
全集の刊行当時、私は毎回の配本日に大学生協で入手したものだ。中でとりわけ親しんだのが、河原枇杷男集だった(吉岡が解説を書いているのは、高柳重信集
と河原枇杷男集のみ)。本書は四六判だが、大きな文字で読みたくてA5判相当に拡大コピーして、一冊の《河原枇杷男集》を自作した。その手製本を愛玩し
て、「西方を紐来つつあり巻貝在り」(《閻浮提考》)はいかにも吉岡好みだと納得したものである。
立風書房は高柳重信の全集や赤尾兜子・三橋敏雄の全句集(吉岡はそれぞれに文章を寄せている)の出版元として知られるが、発行者の下野博〔かばた・ひろ
む〕は一九四七年一〇月八日の吉岡の日記にも登場する、旧くからの友人である。一九七〇年代後半、すでにして詩壇で重きをなしていた吉岡を編集委員に戴く
全集の企画は他にも発案されただろうに、《現代俳句全集》とその関連の俳句全集(俳句書)しか日の目を見なかった。筑摩書房に在籍している立場上、他社が
立案した出版企画にタッチしにくいという事情はあったにしろ、吉岡が編集委員を務めたのが詩ではなく俳句の全集だった、という点をもう一度考えなおしても
いいと思う。
《鑑賞現代俳句全集・全一二巻》初刊 函
《鑑 賞現代俳句全集・全一二巻》初刊 一九八〇年五月一日(第七巻)〜一九八一年四月二〇日(第一巻) 立風書房(東京都品川区東五反田三の六の一八 発行者 下野博)刊 定価各二六〇〇円 一八八×一二八 総三九一六頁 上製丸背クロス装 貼函 帯 編集委員飯田龍太・大岡信・高柳重信・ 吉岡実 装丁前川直 9ポ活版 印刷信毎書籍印刷株式会社・東英印刷株式会社 製本大口製本印刷株式会社
〔内容〕別丁本扉 著者肖像写真 目次
第一巻=俳句の出発 正岡子規(久保田正文)/河東碧梧桐(加藤郁乎)/高濱虚子(大峯あき ら)/明治大正俳句史(村山古郷)/昭和俳句史(一)(川名大)/昭和俳句史(二)(坪内稔典)
第二巻=大正俳句の高峰 渡邊水巴(草間時彦)/村上鬼城(松本旭)/飯田蛇笏(上田三四二) /原石鼎(原裕)/前田普羅(中西舗土)
第三巻=自由律俳句の世界 荻原井泉水(三好豊一郎)/中塚一碧樓(瓜生敏一)/尾崎放哉(井 上三喜夫)/種田山頭火(大山澄太)/橋本夢道(古澤太穗)
第四巻=近代俳句の先駆者 日野草城(桂信子)/水原秋櫻子(福永耕二)/山口誓子(平畑静 塔)/阿波野青畝(岸田稚魚)/高野素十(正田稲洋)
第五巻=伝統俳句の魅力 富安風生(清崎敏郎)/山口青邨(有馬朗人)/後藤夜半(後藤比奈 夫)/芝不器男(飴山實)/久保田万太郎(成瀬櫻桃子)
第六巻=俳句型式の可能性 篠原鳳作(山畑祿郎)/高屋窓秋(和田悟朗)/渡邊白泉(三橋敏 雄)/西東三鬼(鈴木六林男)/富澤赤黄男(折笠美秋)
第七巻=人間内奥の探求 川端茅舎(永田耕衣)/松本たかし(上村占魚)/中村草田男(香西照 雄)/石田波郷(清水基吉)/加藤楸邨(金子兜太)
第八巻=女流俳人の系譜 杉田久女(橋本眞理)/中村汀女(上野さち子)/星野立子(杉本零) /橋本多佳子(辺見じゅん)/三橋鷹女(中村苑子)
第九巻=昭和俳句の開花 大野林火(中戸川朝人)/松村蒼石(広瀬直人)/秋元不死男(鷹羽狩 行)/平畑静塔(佐藤鬼房)/永田耕衣(高橋睦郎)
第一〇巻= 戦後俳人集T 赤尾兜子(平井照敏)/飯田龍太(丸山哲郎)/石原八束(深谷雄大)/上村占魚(片山貞美)/加藤郁乎(須永朝彦)/角川源義(吉田鴻司) /桂信子(宇多喜代子)/金子兜太(阿部完市)/岸田稚魚(手塚美佐)/清崎敏郎(岡本眸)/草間時彦(細川加賀)/香西照雄(鍵和田秞〔ユウ〕子)/佐 藤鬼房(林田紀音夫)/澤木欣一(富田直治)/下村槐太(金子明彦)
第一一巻=戦後俳人集U 鈴木六林男(森田智 子)/鷹羽狩行(辻田克巳)/高柳重信(岩片仁次)/田川飛旅子(永田耕一郎)/津田清子(川北憲央)/寺山修司(高野公彦)/能村登四郎(林翔)/野澤 節子(朔多恭)/野見山朱鳥(島田修二)/波多野爽波(友岡子郷)/藤田湘子(飯島晴子)/古澤太穂(敷地あきら)/細見綾子(鷲谷七菜子)/三橋敏雄 (高橋龍)/森澄雄(矢島渚男)
第一二巻=文人俳句集 幸田露伴(村山古郷)/夏目漱石(熊坂敦子)/北原白秋(田 谷鋭)/室生犀星(室生朝子)/内田百閨i村山古郷)/日夏耿之介(村山古郷)/久米三汀(村山古郷)/芥川龍之介(清水基吉)/瀧井孝作(齋藤正二)/ 田中冬二(村山古郷)/吉屋信子(池上不二子)/横光利一(清水基吉)/三好達治(石原八束・鈴木勘之)/五所平之助(上田五千石)/上林暁(山高登)/ 永井東門居(岸田稚魚)/木下夕爾(成瀬櫻桃子)/現代俳句年表(川名大編)
以上九〇名の俳人・文人の略歴、鑑賞篇と作品篇(五〇〇句、第一・一〇・一一・一二巻は割愛)の二部構成〔各作家の( )内は〈鑑賞〉 執筆者〕
月報に飯田龍太・大岡信・高柳重信・吉岡実による連載座談会〈現代俳句を語る〉ほか
《鑑賞現代俳句全集》は《現代俳句全集》の三年後、同じ顔ぶれの編集委員によって編まれたが、今回委員たちは〈鑑賞〉を執筆するかわり に、座談会 〈現代俳句を語る〉を月報に載せた。一九七九年六月二二日と九月二五日、新宿・歌舞伎町の小町園で開かれた同座談会は、のちに《高柳重信全集〔第3巻〕》 (立風書房、1985年8月8日)に収録されたから、そちらの本文を引く。
高柳 しかし素十・青畝いずれもそうなんですけれども、若い時にああい う人のお弟子さんになって一所懸命その通りに書いていたら、まずみんなだめになっちゃうんじゃないですかね。
吉岡 そうなんだよ。弟子が育っていないのがおもしろいんだ。結局エゴなんだよね。我が道を行けばいいんだ。
飯田 弟子を作らない俳人は注目してもいい(笑)。
高柳 そうなると、俳人の場合は、自分のすることをしちゃった後で、ゆっくり素十の俳句はいいとか、青畝の俳 句もすごいとか言って読むのはいいんじゃないかなあ。
大岡 いやみだな(笑)。しかし、それは非常によくわかる(笑)。弟子がもし育たない人なら、それは青畝さん とか素十さんが理論を唱えないからではないのかな。(同書、三六三ページ)
これは〈弟子を育てない俳人〉の始めの部分。編集委員の軽妙なかけあいのように見えながら、鋭い指摘が窺える場面だ。次に引くのは〈波 郷について〉の一節。
高柳 波郷は「俳句は切字ひびきけり」だから、「あ・うん」というかた ちで作者から読者へなにか響けばいいんで、それが魅力です。まあ吉岡さんは俳人でないから俳句を外から楽しんでいればいい立場で。(笑)
吉岡 いや、そんな失礼なことはないのよ。いまだって若い人の俳句も読むから、俳句は好きだし、だけど、日本の詩の中で中原中也というのがいま抜群の人気でしょ う。大岡はどうか知らんけど、ぼくなんか中也って全然好きじゃない人。だけど、世の中の移り変り……これは仕方のないことであって、中也がいま最高の人気 ですよね。いかなる故にかわからないけれど、読み継がれていくんですね。だからそれに近く波郷はいくんではないかと……。(同前、三七四ページ)
〈吉岡実の対談・座 談会集〉で本座談会の小見出しを 紹介したが、吉岡は自身の発言において一五人の俳人の句に言及している。すなわち、正岡子規・河東碧梧桐・高濱虚子・飯田蛇笏・前田普羅・原石鼎・村上鬼 城・渡邊水巴・水原秋櫻子・高野素十・阿波野青畝・高屋窓秋・西東三鬼・石田波郷・加藤楸邨である。一三句の正岡子規(吉岡が子規の句を本格的に読んだの は初めてのようだ)に続いて引用句数の多いのが八句の高濱虚子で、一五人のなかではいちばん評価が高い。
冬の蠅仁王の面[おも]を飛び去らず
秋の蠅ぱつととんでは又日向
かたまりて菫咲きけり草の中
遠山に日の当りたる枯野かな
桐一葉日当りながら落ちにけり
金亀子[こがねむし]擲[なげう]つ闇の深さかな
コレラの家を出し人こちへ来りけり
海鼠笊にあり下女つんつるてん猫へつついに在り
本全集に収録された俳人で吉岡実が最も親炙したのは永田耕衣だから、言及した句の多寡が俳人としての評価に直結するわけではないが、参 考までに句数 の多い順に挙げておこう。先述した正岡子規(一三句)、高濱虚子(八句)以下、飯田蛇笏・高野素十(ともに五句)、河東碧梧桐(四句)、石田波郷(三 句)、前田普羅・原石鼎・村上鬼城・水原秋櫻子(ともに二句)、渡邊水巴・阿波野青畝・高屋窓秋・西東三鬼・加藤楸邨(ともに一句)。これらのなかでは 「山鳩よみればまはりに雪がふる」(高屋窓秋)が詩篇〈雪〉(B・14)を想起させて、興味深い。
《現代俳句案内》初刊 ジャケット
《現代俳句案内》初刊 一九八五年二月一〇日 立風書房(東京都品川区東五反田三の六の一八 発行者下野博)刊 定価二二〇〇円 一八八×一二七 総二九四頁 上製丸背紙装 ジャケット 帯 編者飯田龍太・大岡信・高柳重信・吉岡実 装丁前川直 8ポ活版 印刷信毎書籍印刷株式会社
〔内容〕別丁本扉 〈はじめに〉 目次
(GZ)《現代俳句全集》の〈自作ノート〉として書きおろされた文章の再録(ただし物故のため書きおろしでない角川源義と野見山朱鳥を除く)
〈執筆者紹介〉 〈作家別引用句索引〉 奥付 奥付裏広告
《現代俳句案内》は前掲《現代俳句全集》の〈自作ノート〉の再録だが、一部の文章では省略・加筆が行なわれている。本書は「現代の俳句作品のアンソロジー」「実作者の証言による俳句鑑賞書」「現代俳句を担う俳人たちの俳論集」(〈はじめに〉)の側面を有しながら、その刊行意図は〈はじめに〉(編集委員もしくは編集者の文章と考えられるが、執筆者名はない)の数行に尽きる。
「本書は、活躍期の中心を戦後にもち、それぞれの立場から現代俳句の動きを押しすすめてきた人たち――時代的には石田波郷、西東三鬼以後の俳壇の原動力となり、現在の俳句隆盛を導いた俳人四十二氏の自作について語った文章により、現代俳句の世界を紹介しようとしたものである」(本書、一〜二ページ)。
《鑑賞現代俳句全集》の座談会〈現代俳句を語る〉に〈自句自解をめぐって〉という一節があるので、大岡信と吉岡実の発言から抄する。これを読むと、本書の企画は大岡発言から生まれたような気がしてならない。
大岡 ぼくは先に出た立風書房の『現代俳句全集・全六巻』で興味があったのは、自句自解の部分でした。自句自解というのはほんとうに難しいものだなあ。十分な貫禄をもって、なるほどすごいと感じる自句自解を書いていた人は、五指に満たないという感じがするわけですね。(笑)
〔……〕
吉岡 所詮、自句自解というのはせつないもんなんだよな。
〔……〕
大岡 〔……〕言葉が句の重みとほんとうに釣り合っているような散文の解があり得ると思うんだ。吉岡実は散文をめったに書かないけど、前に自分の詩について書いたことがあるね。ぼくはこれは素晴しいと激賞したんだけれど。
吉岡 一回だけね。
大岡 だからやっぱり自句自解というのはできるんです。(《高柳重信全集〔第3巻〕》、立風書房、1985年8月8日、三八二〜三八三ページ)
大岡発言の「〔吉岡が〕前に自分の詩について書いたことがある」は、〈わたしの作詩法?〉を指している。吉岡はこの手の文章は二度と書くまいと決めていたようで、のちの自作についての文の最後でも「私は今まで、自作の解説をしたことがない。なぜなら、「詩自体」より、明解な説明が出来ないし、また書けないからだ。俳句、短歌そして詩のような短詩型では、作者の作品自解ほど、興醒めなものはないと、つねづね私は思っているのだ」(〈三つの想い出の詩〉、《吉岡実〔現代の詩人1〕》、中央公論社、1984、二一〇ページ)と書いて、前掲発言の念押しをしている。
本書の刊行によって、吉岡が関わった立風書房での現代俳句関連の企画は一応の終結を見た。「吉岡実は〔……〕生涯、俳句には関心を持ち続けていた。陽子夫人の話によると、最晩年に至るまで、句集を開かない日は殆どなかったという」(宗田安正〈解題〉、《奴草》、書肆山田、2003年4月15日、一二二〜一二三ページ)。
《高柳重信全集・全三巻》初刊 第一巻函と表紙(左)と同本扉と函(右)
《高 柳重信全集・全三巻》初刊 一九八五年七月八日 八月八日(第三巻のみ) 立風書房(東京都品川区東五反田三の六の一八 発行者下野博)刊 定価各九五〇 〇円 二二〇×一五一 総一二一二頁 上製丸背布装 貼函 帯 編集委員飯田龍太・大岡信・中村苑子・三橋敏雄・吉岡実 限定各六〇 〇部 装丁吉岡実 本 文12ポ(第一巻)9ポ(第二〜三巻)活版 印刷信毎書籍印刷株式会社 製本株式会社大口製本
〔内容〕別丁本扉 著者肖像写真 目次
第一巻=俳句作品
前略十年 蕗子 伯爵領 罪囚植民地 蒙塵 遠耳父母 山海集 日本海軍 日本海軍・補遺 山川蝉夫句集 山川蝉夫句集以後
〈参考篇〉蕗子(『黒彌撒』版) 伯爵領(『黒彌撒』版) 山川蝉夫句抄
〈解題〉(三橋敏雄) 奥付
〈栞〉(島田修二・永田耕衣・草間時彦・大岡信・高柳重信語録@)
第二巻=作家論 俳句鑑賞 エッセイ
〈作
歌論〉放哉と山頭火 飯田蛇笏の世界 日野草城とエロチシズム 病人の言葉 阿波野青畝小論 松本たかし小論 富安風生先生の俳句 明喩と暗喩―中村草田
男小論 高屋窓秋の『白い夏野』 渡辺白泉と石田波郷 三橋鷹女覚書 妖説・永田耕衣 赤尾兜子の文体 いまは亡き―三谷昭 『女身』の桂信子 三橋敏雄
句集『まぼろしの鱶』紹介 鈴木六林男の三句 佐藤鬼房の俳句 神田秀夫戯論 富沢赤黄男ノート 富沢赤黄男―孤独な魂の歎きを詠う 富沢赤黄男の場合
富沢赤黄男論―その孤立の歴史 富沢赤黄男の日記から 『魚の骨』と富沢赤黄男 『天の狼』の富沢赤黄男 西東三鬼の『旗』 戦後の西東三鬼 西東三鬼と
平畑静塔
〈俳句鑑賞〉現代俳句鑑賞T 現代俳句鑑賞U 戦争と平和 雑の秀句 三橋鷹女
〈エッセイ〉大塚仲町 ダルマサンガコロンダ スイライ・カンチョウ 密書ごっこ テンモンドウ 蝉 模糊たる来し方 健なげなる昔 わが友―加藤郁乎・
鷲巣繁男・飯田龍太 若き日に―大岡信 宇都宮雑記
〈解題〉(和田悟朗) 奥付
〈栞〉(山中智恵子・鈴木六林男・神田秀夫・飯田龍太・高柳重信語録A)
第三巻=俳句論 時評 詩歌論 講演・座談会
〈俳
句論〉俳句形式における前衛と正統 子規・虚子・碧梧桐のころ 新興俳句運動概観 新興俳句運動の軌跡 戦後俳句の眺望 敗北の詩―新興俳句生活派・社会
派へ 偽前衛派―或いは亜流について バベルの塔―或いは俳句と人間性について 掌篇俗論集 密書ごっこ 大宮伯爵の俳句即生活 続偽前衛派 藤田源五郎
への手紙 身をそらす虹の絶巓
処刑台 俳壇迷信論 写生への疑問 暗喩について 酒場にて―前衛俳句に関する大宮伯爵の演説 前衛俳句をめぐる諸問題―山口誓子と金子兜太について 前
衛俳句の総決算 「書き」つつ「見る」行為 私にとって俳句とは 自作ノート 前略十年 『蕗子』への道 『蕗子』の周辺 蕗子誕生 わが「日本海軍」の
草創 新しい歌枕
〈時評〉俳壇八つ当り 「正義」について 矜恃について 盗賊と乞食について 偽前衛派について 橋關ホ句集『風景』 大政奉還の説・再説 定本・赤黄男
句集その他 俳句の廃墟 「破産」の積み上げ 詩型とは何かに肉薄―金子兜太著『定型の詩法』 俳句史の問題など 言葉の導くままに―大岡信著『子規・虚
子』 見事な才気煥発ぶり―加藤郁乎著『夢一筋』 富安風生翁の気迫 風格ある戦後派俳人―飯田龍太著『思い浮かぶこと』 歪んだ密告<E呑み 戦後俳
壇とある通過儀礼=@危険な批評の論旨 批評精神の摩滅
〈詩歌論〉詩壇遠望 幻の長歌 吉岡実と俳句形式 『旅』の中の絶景 切実に歌わざるを得ない心―鷲巣繁男歌集『蝦夷のわかれ』 生きながら鬼に―斎藤史
歌集『ひたくれなゐ』 はじめに月と―山中智恵子小論
〈講演・座談会〉関西の前衛俳句について〈講演〉 現代俳句を語る(高柳重信・飯田龍太・大岡信・吉岡実)
〈解題〉(坪内稔典) 〈高柳重信年譜〉(川名大) 〈高柳重信主要著作目録〉(川名大) 奥付
〈栞〉(吉岡実・馬場あき子・加藤郁乎・高屋窓秋・高柳重信語録B)
吉 岡実は編集委員・装丁担当・栞の執筆と《高柳重信全集》の制作に全面的に関わり、高柳の早すぎる死を惜しんだ。本全集の編集委員は飯田龍太・大岡信・中村 苑子・三橋敏雄・吉岡実の五人で、飯田・大岡・吉岡は高柳とともに立風書房の一連の現代俳句全集/書の編集委員を務めている。本全集第一巻俳句作品の実質 的な担当は〈解題〉を執筆した三橋敏雄だと思われる。
『高柳重信全集 第一巻〔俳句作品〕』は、高柳重信の全句業を収録したものである。既刊の編年順位句集については、併載の「序」「跋」「覚書」「後書」「あとがき」等と共 に原則として初版本を底本とし、以後急逝するまでの間に関係諸誌に発表した全作品については初出誌から収集した。なお既刊句集の収録順序は、高柳重信の句 業の展開を順を遂って眺望できるように、刊行順序によらず、所収作品の制作年代順とした。
『蕗子』『伯爵領』の二句集は、後年、『黒彌撒』(昭和三十一年刊)に再録するにあたって、後述するように少なからぬ作品の加除もしくは排列替えを行な い、その後の、たとえば『高柳重信全句集』(昭和四十七年刊)などにおいても『黒彌撒』版を採用しており、著者としては『黒彌撒』版を定本にしようとした 意向もうかがえるので、作品の重複をいとわず、巻末に〈参考篇〉として『黒彌撒』版の『蕗子』『伯爵領』を併載した。(三橋敏雄〈解題〉、本全集第一巻、 三九七ページ)。
三
橋の周到な筆(この〈解題〉は岩片仁次氏の高柳重信年表、川名大氏の著書解題を参照している)によってある程度底本の姿形は想像できるものの、せっかく各
句集の標題扉の裏が白で空いているのだから、書影(外装写真)を載せてもよかっただろう。書影の多くは中村苑子編著《高柳重信の世界〔昭和俳句文学アルバ
ムQ〕》(梅里書房、1991)で見ることができる。
林桂が《高柳重信全句集》(沖積舎、2002)の書評に「私たちが拠るべき最良の高柳重信の俳句テキストは、『高柳重信全集T』(昭和六〇年七月・立風書
房)であったから、十七年の長きにわたってテキスト更新がなされないで来たことになる。このたび刊行された『高柳重信全句集』(平成一四年六月・沖積舎)
は、これを更新する新たなテキストである。今後の高柳重信論のテキストは、基本的にはこの全句集に拠るものでなければならないであろう」と記しているとお
り、俳句作品に関するかぎり本全集は使命を終えたことになる。林は別のところで「高柳重信は、昭和四十年代以降、「自我」の深層に眠る、「個人」を越えた
「無意識」の世界へ赴くようになる。そこには、古代的、民族的、普遍的「自我」とでも呼ぶべきものが思われていたのではなかったか。それは、「自我」の救
済の方向性を見いだしたのだとも言える」(《澤》2005年6月号、二三五ページ)と書いているが、これはまさに《薬玉》に代表される「後期吉岡実」と相
通じる世界である。
《高柳重信全集》は、吉岡実装丁としては《高
柳重信全句集》(母岩社、1972)に続くものとなった。吉岡は、大岡信の詩集《水府》がそうだったよう
に、自分の本でやってみたい装丁プランを惜し気もなく友人の著作に投入している。本全集の装丁が満足すべき出来だったのだろう、ほとんどそのまま自身の詩
集《ムーンドロップ》(書肆山田、1988)の表紙・見返
し・本扉に採用している。
吉岡実は現代俳句の作家として高柳重信を最も敬愛し、かつ恃んでいた。気心の知れた版元(立風書房)と編集者(宗田安正)とともに編んだ本全集こそ、吉岡
の高柳への手向けである。
遺 文集《美貌の青空》初刊 土方巽著 一九八七年一月二一日 筑摩書房(東京都千代田区神田小川町二の八 発行者布川角左衛門)刊 定価二八〇〇円 一九七 ×一四七 総二六六頁 上製丸背紙装 ジャケット 帯 編者吉岡実・三好豊一郎・澁澤龍彦・鶴岡善久・種村季弘・元藤Y子 装丁吉岡 実 本文新字新かな 9ポ活版 印刷厚徳社 製本和田製本
〔内容〕別丁本扉 目次 遺文五五篇
T 犬の静脈に嫉妬することから
U 静かなヒト 中の素材/素材 暗黒舞踊 刑務所へ 他人の作品 演劇のゲーム性 アジアの空と舞踏体験 猫の死骸よりも美しいものがある 肉体に眺めら れた肉体学 人を泣かせるようなからだの入れ換えが、私達の先祖から伝わっている。 遊びのレトリック 静かな家 包まれている病芯 匂いの抜けた花から 甘えたがっていた
V アルトーのスリッパ 貧者の夏――西脇順三郎 線が線に似てくるとき――瀧口修造 言葉の輝く卵――吉岡実 内臓の人――三好豊一郎 剛直な哀愁詩人――田村隆一 闇の中の電流――澁澤龍彦 結晶好きな赤子の顔――澁澤龍彦 突っ立ってる人――加藤郁乎 細江 英公と私 祝杯――池田満寿夫 いろいろな顔がくるぶしの住処にかくれている――唐十郎 彼女の髪の空洞――篠原佳尾 原さんの影像展覧会――原栄三郎 夢の果実――金井美恵子 助けてもらった絵――田中岑 生まれてくる人形――土井典 均衡の一瞬
W 鼻血――DANCE AVANT-GARDE 広告――元藤Y子 ブルース――藤井邦彦 森田真弘の作品 剥製の後頭部を持つ舞踏家に寄せる――笠井叡 ムッシュウ・オイカワ と私――及川広信 天才論――石井満隆 神聖な柳腰――笠井叡 アスベスト館の妖精――芦川羊子 片原饅頭をメサッと割った時――高井富子 親愛なるシビ レットC――大野一雄 爪の孤独――大野慶人 種無桃のマイム役者――ピエール・ビラン 舞踏家の婚礼によせて――大野一雄 天龍製機の足踏み脱穀機にま たがって――玉野黄市 暗黒舞踏の登場感覚――芦川羊子 北方舞踏派に七面鳥を贈る 木乃伊の舞踏――室伏鴻 同志の舞踏――中嶋夏 異形の変容――白虎 社 世界一幸福な男――Butoh Festival '85
〈初出および若干の註〉(鶴岡善久) 〈土方巽年譜〉(構成アスベスト館 担当合田成男・國吉和子) 〈編集後記〉(種村季弘) 奥付
〈栞〉(細江英公・三好豊一郎・大野一雄)
装丁もよくする画家の林哲夫は、《歌壇》に連載した〈装幀の遠近〉で《美貌の青空》を取りあげている。簡潔な吉岡実装丁論でもあるの で、本題の少し前から引く。
現代詩にはあまり興味を持てない。だから気に入った装幀の詩集というものもほとんどなく、所有もしていない。もちろん例外はあって、〔……〕かつて何某古 書店で見た吉岡實の詩集『静物』(私家版、一九五五年)も忘れられない。薄ぺらな何ほどのこともない小冊子で、簡素な表紙の中央に卵形の像が配置され、そ の上部に文字がポトリ、ポトリと植えられている、それだけである。だが、思わず唸ってしまった。享楽とストイシズムが保つ絶妙の均衡。このとき、吉岡實の 名前が要注意人物として脳裏に刻印された。
ふたたび吉岡の装幀に刮目したのは土方巽『美貌の青空』(筑摩書房、一九八七年)をブックオフの半額棚に発見したときだった。賑やかに自己主張する単行 本の群れのなか、『美貌の青空』は、そこだけ異空間、真空の静けさで人を引きつけた。周辺には誰もいないのに、慌てぎみに本を捕獲し、レジへ直行した。五 色のチリが控えめに漉き込まれた灰色のジャケットの効果はすばらしい。横組みのタイトル、著者名、そして中央に中世風な鳥形装飾品のイラスト。その緑灰色 が効いている。表紙は白い厚手のコート紙。モロッコ革に擬した空押し模様。文字は背だけ、金箔押し。見返し紙の鈍い水色、わずかに紫が勝っている。(《古 本デッサン帳》、青弓社、2001年7月13日、五〇〜五一ページ)
《美貌の青空》の装丁を語って余すところがない。本書はその装丁の「真空の静けさ」で読み手を捕縛し、「遺稿集を残して、自身をさらに
厚いベールの
下に包み隠してしまったかにも見える」(〈土方巽一周忌で刊行〉、《日本経済新聞》1987年2月7日)土方の文章が読者を幻惑する。
吉岡実が土方巽の章句を引用した詩は〈聖あんま語彙篇〉(G・8)、〈螺旋形〉(H・10)、〈聖あんま断腸詩篇〉(K・12)の三篇である。これらに登
場する「 」内の章句がすべて土方巽のものだとは限らないが、そして吉岡は《病める舞姫》のほか土方の談話を文章化したテキストからも引いているが、本書
と照合すれば次のようになる――( )内は本書のページノンブル〔漢数字〕・行数〔アラビア数字〕――。このうち〈聖あんま語彙篇〉と〈聖あんま断腸詩
篇〉は本書刊行の八カ月後、吉岡の《土方巽頌》(筑摩書房、1987)に再録された。
〈聖あんま語彙篇〉
〈馬を鋸で挽きたくなる〉……馬を鋸で引きたくなる(一三三・14)
「キンカクシに歯を立てる」……きんかくしに歯を立てて(六〇・3)
「歯槽膿漏の親父がおふくろのおしめを/川で洗っている道端で兄が石を起し/たりすると/クルッとまるくなる虫がいる」……親父がおふくろのおしめを川で 洗っていた(六・13)
「聖なる角度を手探る者」……聖なる角度の時を手探りしながら(一三四・6-7)
「魚の浮袋をパチンとつぶす」……魚の浮袋をパチンとつぶす(一三九・12)
「スギナを噛む老人の顎を外せば/火が吹き出る」……スギナを噛む老人の顎を外せば(一三七・15)、火吹く(一三七・17)
〈螺旋形〉
「赤児はにごった材質のガラスで/出来た蠅取り器のような感じがする」……赤児は、にごった材質のガラスで出来た蠅取り器のような 感じがする(一四・6)
「幼児はかさぶたと/キャラメルをなめて成長する」……かさぶたとキャラメルを取り替えるような智恵がこんなところから生まれたのかもしれない(一四・ 13-14)
「濡れてささくれだつ板に/兎をなすりつける」……濡れてささくれだった板に兎をなすりつけたり(一〇・18-一一・1)
「血球一つ落ちていない風景が展開してくる」……血球一つ落ちていない風景が展開してくる(一四・2-3)
〈聖あんま断腸詩篇〉
「物質の悲鳴が聞こえた」……物質の悲鳴が聞こえてくる(一二六・14)
なお、売野雅勇作詞・坂本龍一作曲の〈美貌の青空〉が坂本のアルバム《Smoochy[スムーチー]》(For Life、1995)に収録されており(坂本自身によるボーカル)、詞には「美貌の青空」という一節も見える。本書の書名《美貌の青空》は、「この狂おし い美貌の青空とは一体誰なのか。」(一二六・13)から吉岡が採ったものである。
〔2014年11月30日追記〕
松田哲夫は〈吉岡実、あるいは特注クロス黄金時代の巻〔装丁でたとこ評論〕〉(《本の雑誌》1988年8月
号)で「昨年、吉岡さんたちが企画した土方巽さんのエッセイ集『美貌の青空』の編集を手伝わせてもらった。奇妙によじれつつ、不思議なリアリティを醸しだ
す土方さんの文章に惹かれていたぼくには、楽しい仕事だった。吉岡さんも、既製の資材を使いながら、贅沢でシックな装いで、この本を仕上げてくれた」(同
誌、六〇ページ)と書いている。「既製の資材」とあるのは、前段での言及――《現代日本文学大系》の黄味がかった栗色や《堀辰雄全集》〔装丁者のクレジッ
トは岡鹿之助だが〕の薄い紅藤色など、筑摩での吉岡実装丁の多くの全集用のクロスが特注であったこと――を受けたため。さすがに単行本で特注のクロスは使
えないが、取りあわせしだいでは贅沢にもシックにもなるのが吉岡実装丁だ、という指摘は肯える。
《季刊 新詩集》第2号 表紙
《アンソロジー抒情詩》 ジャケット
《一角獣の変身》 〔〈壁掛〉掲載のページ〕
《A Play of Mirrors: Eight Major Poets of Modern Japan》 表紙
《新潮名作選 百年の文学》 表紙
《Pris de Peur, le numero 5 [Poesie d'aujourd'hui au Japon]》 〔〈Minoru Yoshioka〉の冒頭見開きページのモノクロコピー〕
《Poems for the Millennium: the University of California book of modern & postmodern poetry》 表紙
日伊対訳詩集《Sei Budda di pietra〔六体の石の御仏〕》 表紙
《山海塾 2001》 表紙
《PO&SIE numero 100――Poesie Japonaise》 〔〈YOSHIOKA Minoru〉の冒頭ページ〕
《[Four] Factorial〔四の階乗〕》 表紙
吉岡実書誌 了
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